農研機構研究報告
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農業生物資源ジーンバンク事業の概要
江花 薫子
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2023 年 2023 巻 13 号 p. 75-80

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Abstract

ジーンバンク事業は農業に関わる遺伝資源の探索収集,特性評価,配布と,遺伝資源に関する情報の管理および提供を行う事業として 1985 年に開始された.扱っている生物遺伝資源は,関係する組織の改編を反映して変わってきており,現在は,植物,微生物と昆虫を含む動物である.現在,植物遺伝資源 23 万点,微生物遺伝資源 3 万 7 千点,動物遺伝資源 2 千点を保存し,年間約 1 万 3 千点の遺伝資源を教育および研究用に配布している.ジーンバンク事業の概要を述べるとともに,農研機構内の研究素材として利活用していただきたい各種の遺伝資源について紹介する.

はじめに

世界の人口は現在約 80 億であり,21 世紀中ごろには 100 億人を超えると推定されている.このような世界的な人口増加や気候変動,自然災害や病虫害などに対処するために,遺伝資源は貴重な素材である.過去にも,「緑の革命」のように大幅に収量を上げた事例があり,今後,作物の遺伝的改良に遺伝資源の利用は不可欠であると考えられる.また,現在,栽培されている優良品種は,ごく限られた品種に由来するものであり,将来の様々な可能性に対応するためには,可能な限り多くの遺伝資源を後世に伝え,利用していくことが必要である.一度失われた遺伝資源を同じ形で復活させることは不可能であるため,何らかの手段で遺伝資源を継続して保存していくことは非常に重要である.

農林水産省ジーンバンク事業

品種育成が国家的なプロジェクトとして開始されて以来,その材料となる品種や系統が遺伝資源として保存されてきた.1953 年には,農林省の研究機関に主要作物の育種材料研究室が整備され,1966 年には,平塚市の農林省農業技術研究所に種子貯蔵施設が設立された(表 1).1978 年には,茨城県に種子貯蔵施設が新たに建設され, 農業技術研究所で保存されていた種子はつくばに移転した.

1985 年に,農林水産省が,植物,動物,微生物,水産生物を対象とする組織的事業として「農林水産ジーンバンク事業」を開始した.1987 年からは保存対象に林木も含められた.この事業が開始したことで,それまで,各組織や研究者が個別に行っていた,遺伝資源の保存や収集,評価を集約して組織的に行うことになった.

このうち,植物,動物,微生物については,1986 年に農業生物資源研究所に設置された「遺伝資源センター」が中心となって,日本各地の農林水産省傘下の試験研究機関とともに,遺伝資源に関する活動を行う体制が整備された.1988 年には,遺伝資源センター内に -1℃,湿度 30%で 40 万本の遺伝資源保管容器を保存し自動出庫装置を備えた配布用種子庫,および,-10℃で長期保存が可能な種子庫(GB1)を併設することになった.また,1993 年には DNA 部門が運営を開始し,DNA マーカーやクローンの配布を行った.1996 年にはこうした遺伝資源データを管理するためのデータサーバーが整備され,ユーザーが利用したい遺伝資源を検索する際に,また,遺伝資源の管理にと,威力を発揮している.この時期は,「遺伝資源は人類共通の財産」というポリシーのもと,国際機関とも協力して,日本国内や,海外で多くの遺伝資源探索収集を進めていた.その結果,事業開始時には 114,060 点が保存されていた植物遺伝資源は,2000 年には,212,057 点まで保存点数が増加した.

現在の農業生物資源ジーンバンク事業

2001 年に,農林水産省傘下の研究機関は独立行政法人となり,その際に,ジーンバンク事業も再編された.植物,動物,微生物および DNA 部門については,「農業生物資源ジーンバンク事業」として遺伝資源センターを抱える農業生物資源研究所が運営する形となった.林木遺伝資源は森林総合研究所(現 国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所)に,水産生物遺伝資源は水産総合研究センター(現 国立研究開発法人水産研究・教育機構)が引き継いでいる.さらに,2016 年には,農業生物資源研究所が農業・食品産業技術総合研究機構 (以下,農研機構)に組織統合されたことにより,ジーンバンク事業は,農研機構が主体となって,遺伝資源研究センターが事務局として運営する形となっている.この間,2015 年には 40 万点の保存能力を持つ新たな永年保存用種子庫を備えた遺伝資源保管施設(GB3)が竣工し,-18℃での長期保存を新たに開始した.DNA 部門は,次世代シークエンサー等の遺伝子配列解読技術が進んだことから,マーカーやクローンの配布という一定の役割が果たされたということで 2021 年に事業を終了した.現在,遺伝資源研究センターは,農研機構の各研究所や農研機構外の研究所と協力して,植物,微生物,動物の 3 部門の遺伝資源を保存し,増殖や特性評価,配布を実施している.

ジーンバンク事業の構成

ジーンバンク事業は,茨城県つくば市にある遺伝資源研究センターを事務局(センターバンク)として,全国各地にある研究室(サブバンク)と連携して事業を実施している.センターバンクは,配布用種子庫や永年保存用種子庫における種子管理とともに,遺伝資源データベースの管理や配布業務などの調整業務を担当する.ジーンバンク事業におけるセンターバンクの役割は,植物や微生物などの遺伝資源に関する事業を,遺伝学や作物学等の専門的知識を持つ研究者が,それぞれの知識や経験を生かして運営していくことである.国内外から収集する遺伝資源の決定,海外の研究機関との遺伝資源に関わる交渉や連携,収集した遺伝資源の正確な分類・同定,有用特性の評価,増殖や保存,配布について,専門的な知識を持った研究者が関わることによって,効率的に行うことが可能である.サブバンクは,イモ類や果樹などの栄養体での保存,地域の環境条件に適した特性評価や種子増殖などを,センターバンクと連携しつつ行っている. 

ジーンバンク事業は,植物,動物,微生物の 3 部門で構成されている.各部門の概略を以下に述べる.

  1. 1.   植物部門

食料・農業に関わる植物遺伝資源の探索収集を行うとともに,遺伝資源の分布や多様性解析,遺伝的変異や栽培特性を調査し,保存管理を行っている.2021 年 11 月時点では,232,226 点を保存している.その内訳は稲類 39,975 点,麦類 61,018 点,マメ類 25,796 点,イモ類 5,388 点,雑穀・特用作物類 16,922 点,牧草・飼料作物 32,094 点,果樹類 7,815 点,野菜類 29,247 点,茶 6,432 点などである.最近は,海外野菜遺伝資源の収集・評価を行う農林水産省委託事業(https://sumire.gene.affrc.go.jp/pgrasia/about.php)の実施によって,野菜遺伝資源の保存点数が増加中である.

遺伝資源利用を効率的に進めるために,保存遺伝資源の中から選定した代表的品種セットとしてコアコレクションを作成している(表 2).ゲノムの多様性や,形態特性,地理的分布などを考慮して選定されたコアコレクションは,作物の育種や,新たな遺伝子座・対立遺伝子変異の探索,進化的研究などさまざまな分野で利用されている.現在,ジーンバンクから配布されているコアコレクションは,表 2 に示した 13 種類に茨城県で選定した「陸稲在来品種」コアコレクションを加えた 14 種類である.イネ,麦のような主要な作物のコアコレクションに加え,最近では,野菜や雑穀のコアコレクション,除草剤スクリーニングに利用できる雑草セットなども配布している.

植物遺伝資源は,毎年 1 万点- 1 万 2 千点の遺伝資源を国内外の研究者に配布している.

  1. 2.   微生物部門

食料・農業に関わる微生物遺伝資源として,細菌,糸状菌,ウイルスなどの微生物遺伝資源について,遺伝資源の分布,同定・分類を明らかにするとともに,病原性などの諸特性を調査している.微生物遺伝資源では,真空凍結乾燥や超低温保存によって,長期間にわたって安定した保存管理を実施している.2021 年 11 月時点で 36,797 点を保存しているが,その内訳は細菌 11,785 点,放線菌 346 点,糸状菌 20,428 点,植物ウイルス 501 点,酵母 926 点,卵菌 1,354 点などである.2021 年度からは,農研機構内で利用されている乳酸菌遺伝資源のバックアップ保存を開始し,精力的に進めている.さらに,DNA 配列情報による再分類と培養下での性状点検結果に基づき,Fusarium 属,Colleototrichim 属,Rhizobium 属,Pseudomonas syringae pv. actinidiaeについて推奨菌株を選定している.数年前からは,TOF-MS を用いた種の確認も行うようになり,遺伝資源の確実な管理を進めている.毎年,約 2,000 点の遺伝資源を国内外に配布しており,病気の分類・特定,殺菌剤などの農薬開発,耐病性検定や抵抗性の研究,生物防除資材や新たな加工食品の開発などに利用されている.

  1. 3.   動物部門

動物遺伝資源の変異や生理特性を調査するとともに,精子や卵子を液体窒素中で安定した保存を行っている.動物遺伝資源は 2021 年 11 月時点で 2,057 点保存されており,カイコ 814 点の他,ウシ 477 点,ブタ 252 点などである.このうち,カイコ遺伝資源については,在来品種や,かつて,蚕糸・昆虫農業技術研究所(現 農研機構生物機能利用部門)が育成した優れた品種などを保存している.これまで,カイコは,毎年,生体飼養を行うことで保存してきたが,今後のバックアップ保存の方向性として超低温保存の可能性を追求し始めたところである.

年間 300 点程度の遺伝資源を配布しており,教育目的の他,様々な用途で利用されている.

ジーンバンク事業の新たな方向性

ジーンバンク事業が発足した当時は,できるだけ多くの遺伝資源を,人類共通の財産として収集保存するという方針のもと,国内外を問わず,多くの遺伝資源の探索調査収集が行われた.ジーンバンクに保存されている遺伝資源の大部分はこの時点までに収集・受入されている.

しかしながら,1993 年の生物多様性条約締結以来,海外からの遺伝資源導入は困難となってきた.それを踏まえ,ジーンバンク事業も,保有する遺伝資源の利活用を主たる研究対象とするようになった.折から,遺伝子型の同定手法の開発が進み,遺伝資源の評価についても,DNA マーカーや遺伝子型の利用が進み始めた.以下に,イネを例として説明したい.なお,この一連の研究に関しては,遺伝資源研究センターだけではなく,農業生物資源研究所所内の一部門であった QTL ゲノム育種研究センター(2008 - 2014 年)が大きく関わっている.ここで得られた成果やリソースは,現在は,作物研究部門ゲノム育種支援室が引き継いでおり,イネの育種や遺伝研究に貢献している.

イネ遺伝資源の利用~コアコレクション~

遺伝資源センターでは,導入したイネ遺伝資源についてアイソザイム分析を行い,その結果によってどの品種群に含まれる品種かを判定していた(Nakagahra et al. 1975).アイソザイム分析では,3 遺伝子座に由来するエステラーゼの泳動像をもとに,品種群の分類を行っていた.当時は,エステラーゼ以外のアイソザイム分析や,判別形質をもとにした分類などの結果に基づき,イネの品種群分類に関して様々な説があった.1990 年代には,RAPD(Fukuoka et al. 1992)や RFLP マーカーによる多型解析(Kawase et al. 2008)が進み,ゲノム全体から得た DNA 多型に基づく品種群の分類は,ほぼ同一の結果に収斂した.形態形質やアイソザイム分析での結果は,関連する遺伝子が座乗する近傍領域の遺伝的多様性を反映していたことが明らかとなった.

日本はイネの栽培地としては北の方に位置するため,海外から導入した遺伝資源のうち,特に南方から導入した遺伝資源についての評価は遅れていた.筆者らは,より幅広い遺伝資源の利用を促進するため,日本での栽培特性ではなく,中立と思われる RFLP 変異を利用して,イネの多様性をカバーできる品種セットを選定する取り組みを開始した.2000 年から栽培特性や RFLP 多型の評価を進め,2003 年に候補品種を選定し,試験的な配布を開始した (Kojima et al. 2005).特に,分子生物学や作物学の研究者からの利用希望が多かったため,「世界のイネコアコレクション(WRC)」として,2005 年から本格的な配布を開始した(表 2).現在も,WRC の配布は年間 30 点から 40 点と,ジーンバンクの中でも人気のリソースとなっている.

図.世界のイネコアコレクション(WRC)

2000 年代に入り,さらに各種のジェノタイピングシステムや次世代シークエンサー等の技術開発が進んできた.イネでも,次世代シークエンサーを使ったゲノム情報の取得(Yamamoto et al. 2010)や SNP タイピング(Ebana et al. 2010)による,より詳細なタイピングが進むようになった.多数の多型を検出できるようになったため,これまで,なかなか検出できなかった近縁度の高い品種間での遺伝的な差異を検出できるようになった.このことは,日本品種同士の交配組合せからも十分に多型を得ることができ遺伝解析を進めやすくなったという結果をもたらした.ちょうど,「日本在来イネコアコレクション」(JRC)(Ebana et al. 2008)を公開した時期とも重なり,日本品種の持つ遺伝的多様性の見直しも進んだ.さらに,コアコレクションは,遺伝解析等のリソースとしても用いられており,旧 QTL ゲノム育種センターが育成したコアコレクションに由来する 10 あまりの染色体置換系統(CSSL)は,現在は作物研究部門ゲノム育種支援室から配布されている.2021 年には全ゲノム情報を公開(Tanaka et al. 2020, 2021)し,ゲノムワイド関連解析(GWAS 解析)も可能となったことから,さらに利用が進むと思われる.CSSL の活用やコアコレクションの GWAS 解析が可能になるなど,多様な遺伝資源が持っている農業上重要な形質に関与する遺伝子をより特定しやすい環境や材料が整備されている.

コアコレクションについては,期待していた以上に,様々な特性や遺伝子に差が見られてきており,多様な遺伝資源を解析することの重要性が実感される.イネのコアコレクションからは,カドミウム吸収性や耐病性などを始め様々な変異が見つかっており(Abe et al. 2011, Kasajima et al. 2011, Perera et al. 2019),多数の論文が公開されている.前述したように,現在も年に 30 - 40 点の配布があるコアコレクションからは,さらに多様な変異が見つかるものと期待している.

おわりに

コアコレクションは少数の系統で遺伝的多様性の概略を把握できる便利な遺伝資源であるが,遺伝的多様性を 100%反映しているわけではない.そこで,コアコレクションよりも広い多様性をカバーできる品種セットを,イネやダイズで整備中である.コアコレクションをきっかけに,農研機構内外の研究者にさまざまな遺伝資源を利用していただき,農業に役立てていただくことをめざして,引き続きジーンバンク事業を継続し発展させていきたい.また,微生物でも,画像データや各種特性データ,配列データなど遺伝資源に付加する情報を整備して,よりユーザーが利用しやすい遺伝資源提供を進めている.

利益相反

著者は開示すべき利益相反はない.

引用文献
 
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