農研機構研究報告
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ミニレビュー
農業メタボロミクスの最新動向および農産物機能性成分解析の展望
十一 浩典 関山 恭代
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2023 年 2023 巻 13 号 p. 99-105

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Abstract

メタボロミクスとは生物の代謝物を網羅的に調べ,それらを解析することで生命現象を捉えようとする研究手法である.一般的には,液体クロマトグラフィーやガスクロマトグラフィーなどの分離装置と質量分析計を組み合わせることで試料中に存在する代謝物を分離し,これらを一斉かつ網羅的に測定して代謝物の総体(メタボローム)情報を得た後,種々の解析方法を用いて得られた情報の意義を考察する.近年では,メタボロミクスの発展と共に培われた分析技術・解析技術を応用し,農産物・食品を対象とした研究が活発に行われており,本稿では農産物に含まれる機能性成分に主眼を置いて実施したメタボローム解析について述べる.まず農研機構が保有する来歴が明らかな農産物に含有される代謝物を 75%エタノールで抽出し,これらをペンタフルオロフェニルプロピル(PFPP)カラムで分離後,Q-TOF/MS で各成分の保持時間,および質量情報を得た.続いて差分解析により試料間で差異が見られた成分を特定し,来歴情報に照らして差異の意義について考察した.解析結果の一部を紹介し,将来の展望について解説する.

はじめに

新たな機器分析技術の開発により,未知であった事実が見いだされた例は枚挙にいとまがなく,この半世紀の科学の発展は分析機器の高性能化と分析技術の向上と共にあると言える.現在では,高度化された機器分析技術は基礎研究のみならず,種々の産業分野において不可欠なものとなっており,今後も技術の進歩を見据えた研究戦略が求められる.農研機構においては,農業・食品産業分野でのイノベーション創出に向けたデータの徹底活用を標榜しており,高度分析研究センターでは,各種分析機器の整備・運用・管理と機器分析技術の開発・普及による分析基盤の確立に取り組むとともに,ビッグデータを活用した研究開発に資するべく,遺伝子・タンパク質・代謝産物・環境化学物質を対象に高精度分析機器を活用した多種多様な知見の蓄積を進めている.

2019 年からは新たな取り組みとして,農産物に含まれる機能性成分の一斉評価法の開発とデータ創出を目的に,株式会社島津製作所と共同研究を開始し,島津製作所の KYOLABS 内に「食品機能性解析共同研究ラボ(NARO 島津ラボ)」を設置した(図 1).この背景には,世界的にヘルスケア市場が急速に拡大している中,機能性農産物に関する科学的エビデンスが圧倒的に不足していることが挙げられ,情報の蓄積が喫緊の課題となっている.NARO 島津ラボでは,農産物に含有される機能性成分を簡便に分析する手法の開発および機能性成分情報の収集を行っており,農研機構が保有する来歴が明らかな種々の農産物試料を分析対象として,島津製作所製の最新の分析装置を活用した分析を実施し,新たな分析メソッドパッケージの販売・普及,機能性成分データベースの構築,機能性成分に着目した育種素材開発へのフィードバック,新規な機能性表示食品開発の提案などを目指している.

医療分野では大規模コホート研究へのメタボロミクスの活用が知られており(Soininen et al. 2015三枝ら 2019),食品分野でも農産物の個別品目について各論的に機能性成分の分析を実施している研究事例が多くあるが(González-Peña and Brennan 2019),農産物の機能性成分に関する大規模分析については筆者らの知る限り事例が無い.そこで本共同研究では,日本全国に所在する農研機構の育成拠点から 500 点以上の品種・母本サンプルを集積し,来歴の確かな農産物について,機能性成分の一斉分析を進めることとした.

本稿では,農業・食品研究分野におけるメタボロミクスの概要,農研機構の分析機器を活用した取り組み,および機能性に着目した食品メタボロミクスの動向を紹介し,最後に機能性成分を中心としたメタボローム解析の一例として,高分解能質量分析(HRMS)装置を用いた茶の分析例を示し,多様な農産物への適応について,今後の展望を述べる.本稿をきっかけにメタボロミクスに興味を持ち,活用を検討いただけると幸いである.

メタボロミクスの背景と農研機構でのこれまでの取り組み

農作物の生理状態や農産物の品質を決定する重要な表現型の一つに,代謝プロファイル(代謝物の種類および含有量を視覚化したデータ)がある.糖やアミノ酸,有機酸,核酸,ビタミン類,脂質などの一次代謝物や生理活性二次代謝物など,分子量がおよそ 1,500 以下の低分子有機化合物を可能な限り網羅的に検出し,一度の測定で多成分の挙動を捉える解析手法をメタボロミクスと呼ぶ(Markley et al. 2017).植物体内の代謝物の情報を基に生命現象を理解することは,作物育種や農産物の貯蔵技術開発などにおいて戦略上,合理的である.

メタボロミクスの歴史を振り返ると,その発展のもとには 2 報の論文がある.1 報は 1971 年に発表されたもので,代謝物の定量的な解析によって疾病の遺伝的背景や病態などの情報を得るアイデアが示された.諸説あるが,この時にメタボロミクスの概念が初めて公言されたとされる(Pauling et al. 1971).もう 1 報は,酵母の抽出物を用いたゲノムの機能解析に関する総説であり,この中で,抽出物中から検出された全代謝物に対して初めて「メタボローム」の呼称が使用され(Oliver et al. 1998),これ以降,代謝物の分析および解析手法の向上とともにメタボロミクス研究は本格的に加速していった.

現在,代謝物を分析する際には液体クロマトグラフィー(LC),ガスクロマトグラフィー(GC),キャピラリー電気泳動(CE)といった分離システムと連結させた HRMS 装置あるいは核磁気共鳴(NMR)装置がよく用いられる.それぞれに特徴があり,実施する試験の目的に応じて適切な分析機器を選択することが望ましい.各機器分析法の特徴と,メリット・デメリットについては多くの総説で紹介されているので,そちらを参照されたい(Markley et al. 2017吉田ら 2008).農業・食品産業分野への応用という視点からは,分離装置と HRMS 装置の組み合わせは,メタボロミクスによって評価指標とした代謝物群の同定と分離条件の最適化ができれば,直ちに安価で簡易な LC あるいは GC による分析に移行できることが魅力である.

農研機構ではこれまで,GC-MS 法による揮発性成分・香気成分の分析(田中ら 2016)や一次代謝物の解析(岡崎 2017),また,農業研究における NMR メタボロミクスの活用と現場同士の連携に向けた提案などを行ってきた(関山ら 2020).これにより,環境変化に対する代謝応答の変化(Ikeda et al. 2015),産地の違いによる代謝プロファイルの違い(Tomita et al. 2015),加工食品の品質評価(Ishihara et al. 2018),食味と代謝物の関連(Fukuda et al. 2016)などを明らかにしている.

フードメタボロミクスと食品機能性研究

メタボロミクスはそのきっかけとなった医療分野のみならず,食品分野や環境分野など様々な研究分野に応用されるようになっている.食品分野への応用(フードメタボロミクス)においては,得られた知見を活用した食品の品質評価が試みられている.食品には各素材由来の代謝物が化学反応により多様化した成分が多く含まれることから,これは自然な流れと言えよう.評価の対象としては香りや味といった直接的なものにとどまらず(Tarachiwin et al. 2007),鮮度・加工・栄養の評価に至るまで多岐にわたる(Diez-Simon et al. 2019, Wishart 2008).さらに近年ではフードメタボロミクスの農業分野への応用が進められており,主な出口としては,品種の判別・品質予測法への利用,生産性の研究,食味・機能性研究などがある(岡崎 2017).とりわけ,機能性研究に注目が集まっており,これは 2015 年にはじまった「機能性表示食品」制度がきっかけとなっている.2016 年度に早くも 1,000 億円を突破した機能性表示食品の国内市場規模は 2020 年度には 3,000 億円に達し,今後も市場の拡大は続くと予想されており(矢野経済研究所 2022),現在ではテレビなどの広告で機能性表示食品に関するものを目にしない日はないほどである.このような現状から,機能性農産物に科学的エビデンスを付与するための分析手法の開発とデータ蓄積が強く求められる.に農産物の機能性成分の情報を含む既存のデータベースの例を示す.

農産物や食品の品質は多様な環境要因の影響を受けるため,各環境要因と成分変動との関係をリンクすることができれば,より機能性成分に富む農産物の作出,より効果的な栽培技術の開発,より優れた食品加工技術の向上などにつながると期待できる.農研機構のように,来歴が適切に管理された試料を大量に保有する機関において,メタボロミクスデータを蓄積することの意義は非常に大きく,これを充実させることで環境の多様性と成分の多様性との関係を明らかにしようとする研究を,今後ますます拡大させる必要がある.

質量分析計を用いたメタボロミクス

質量分析計を用いてメタボロミクスを行う場合,GC, LC, CE といった分離装置と検出器である質量分析計(MS)を連結した GC-MS, LC-MS, CE-MS がよく用いられる.いずれの場合も試料中の代謝物を分離後,MS へ導入してイオン化させ,検出器でそれらを検出する.代謝物の物理化学的性質は非常に多様であり,性質が異なる化合物を多数,かつ同時に測定することは非常に難しい.よって,真に包括的なメタボロミクスを行うには複数の手法で分析を行わなければならないが,実際には目的の代謝物の性質に応じた手法を選択する.先に述べた各分離装置では対象とする化合物が異なり,GC では極性が低い揮発性化合物(香り成分など),CE ではイオン性化合物(アミノ酸・有機酸・核酸など),LC では極性二次代謝物(ポリフェノールなど)の分離に適している.

MS 導入後のイオン化の手法は,GC-MS では電子衝撃イオン化法(EI)がよく使用される.EI では夾雑成分によるイオン化の抑制が見られず,安定的に,再現性高く成分固有の開裂パターンを示すマススペクトルが得られる.さらにスペクトルライブラリを検索することにより成分の同定が可能である.CE-MS と LC-MS のイオン化の際には,エレクトロスプレーイオン法(ESI),あるいは大気圧化学イオン化法(APCI)がよく用いられる.両イオン化法とも生じるイオンは主にプロトン化分子(脱プロトン化分子)であり,スペクトルの解釈が容易であることが特徴である.ESI は最もソフトなイオン化法であり,高極性・難揮発性・熱不安定化合物に適用が可能である.APCI は ESI よりも高い熱エネルギーを与えるため,低・中極性の化合物には用いられるが,熱に不安定な化合物には不向きである.このため,メタボロミクス分析においては ESI の利用がより一般的である.イオン化された成分は,その質量/電荷比(m/z)によって運動性が異なる.これを利用し,種々の原理の質量分離部でイオンが分離され,最終的に検出器で検出される.質量分析計で用いられる質量分離部の主な種類には,四重極型・飛行時間型・イオントラップ型があり,それぞれ特性があるが,メタボロミクスに最適なのは質量分解能が非常に高い飛行時間型である.

どの手法の組み合わせにおいても,それぞれ一長一短があり,目的に沿った組み合わせを選択することが肝要である.島津製作所はメタボロミクス分析のために,自社の LC-MS を用いて特定用途の分析をする際の条件や前処理を最適化した情報を製品として販売している.NARO 島津ラボではこれを農産物に最適化して農産物の機能性成分のメタボロミクス解析を行うことにした.本手法の大きな特徴は,アミノ酸の同時分析が期待できるペンタフルオロフェニルプロピル(PFPP)カラムを LC カラムに用い,高い質量分解能に加えて定量分析も可能な Q-TOF 型(四重極型・飛行時間型のハイブリット型)の MS を用いている点である.

茶に含まれる機能性成分のメタボロミクスの例

先述した機能性農産物に関する科学的エビデンスの不足を打破するべく,筆者らが実施した機能性成分の一斉分析の例として LC-MS による茶の分析例を紹介する.

1.試料の入手

茶試料は荒茶の形で農研機構果樹茶業研究部門より合計 64 点を提供していただいた.

2.試料の粉砕

荒茶試料は粉砕機(クラッシュミルサー IFM-C20G,イワタニ)で粉砕し,粉砕試料は脱酸素剤とともに,PET/AL/PE ラミネート袋に入れて真空包装して -30℃で保存した.

3.成分の抽出

抽出方法はかずさ DNA 研究所が食品メタボロームレポジトリで公開している手法を参考に,図 2に示す方法で抽出した.続いて LC-MS に供する分析試料の濃度と注入量について検討を行い,キャリーオーバーが観察されない条件を決定した.

4.分析方法

分析試料の経時変化を評価した結果,大きく変化する成分がみられた.そこで,経時による影響を排除するために試料は用事調製とし,さらに調製の完了から注入までの時間を正確に揃えて分析を実施することとした.また,高い精度の分析データを得るためには各試料について複数回の測定を実施することが好ましいが,多点数を分析することを優先し,それぞれの分析回数を 1 回とした.分析開始時と終了時には茶標準品種(やぶきた)をクオリティーコントロールとして分析し,解析時に日間差を補正した.分析条件は次の通りとした.

1)LC 条件

カラム:Discovery HS F5-3 (2.1 mm I.D.×150 mm, 3.0 µm, Sigma-Aldrich),移動相 A:0.1% ぎ酸水溶液,移動相 B:0.1% ぎ酸含有アセトニトリル,流速:0.25 mL/min,カラム温度:40℃,注入量:2 µL,グラジエントミキサー容量:20 µL,グラジエント条件(B %):0 % (0-2 min) 0-25 % (2-5 min) 25-35 % (5-11 min) 35-95 % (11-15 min) 95 % (15.01-∞ min)

2)MS 条件

機種名:LCMS-9030,測定モード:スキャンモード(Positive, m/z 50-800),イオン化モード:ESI,ネブライザーガス流量:3 L/min(窒素ガス),ドライイングガス流量:10 L/min(窒素ガス),ヒーティングガス流量:10 L/min(ドライエアー),インターフェイス温度:300 ℃,DL 温度:250 ℃,ヒートブロック温度:400 ℃

5.メタボローム解析の一例

茶試料 64 点から得られたポジティブイオンのデータ(保持時間とm/z の情報セット)に対し,ライフィクスアナリティカル社の多変量解析ソフトウェア「Signpost MS」を使用して主成分解析を行った結果,試料 No.53 と 54 が他の 62 点と大きく成分が異なっていることが分かった(図 3).この結果に寄与している成分を探索したところ,運動後の筋肉へのポジティブな効果が期待されている分子鎖アミノ酸(BCAA)(Matsumoto et al. 2009)が含まれており,当該試料には他の試料に比べてこれらが多く含まれることが示された.試料の提供元にこれらの来歴を照会した結果,No.53 と 54 は加工方法が異なることが分かり,加工により BCAA の含量を増加させ得ることが示唆された.

おわりに

現在,高度分析研究センターでは茶以外の作物についても同様にメタボロミクスを進めており,検出された各成分の溶出時間と精密質量情報は農業情報研究センターにより食品機能性成分データベースに収録されることになる.これについては本特集号の別稿で桂樹哲雄博士が述べられる予定となっているので,是非ともご覧になっていただきたい.筆者らは,このようなデータベースを多数の研究者が様々な視点から眺めることで,思いもよらなかった気付きがあり,それが大きな発見につながり得ると信じている.

また,本稿の冒頭でも述べたが,高度分析研究センターには NMR と LC-MS の両方を駆使できる環境がある.農研機構のように膨大な数の試料を保有し,かつそれらをメタボロミクス分析することが可能な研究機関は限られており,今後のさらなる研究の発展に期待していただきたい.

謝辞

本研究は株式会社島津製作所から研究費の提供を受けて行ったものである.研究の遂行にあたり専門的なご助言をいただいた皆様に厚くお礼を申し上げます.また,貴重な試料を提供して頂いた農研機構果樹茶業研究部門の方々に深く感謝申し上げます.

利益相反

本稿に開示すべき利益相反はない.

引用文献
 
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