教師の教育研究の歴史において1950年代は,教師が一人称で記述する物語的な実践記録が主要な様式として定着していた時期であり,土田茂範はそのような研究を代表する教師の一人として位置づけられている。本稿は,未活用史料である「教育ノート」に着目して,1950年代後半における土田の教育研究の展開を明らかにした。1950年代後半における土田の教育研究は,「子ども」と「社会」と「方法」との相互往還的な把握を自覚の程度は別にして底流として忍ばせつつも,子どもの位置づけの変容と「社会科学」的視点の後退に伴い,「方法」の研究へと収斂していく過渡期であったと結論づけられる。
そして,本事例は1950年代から1960年代にかけての教師の教育研究の展開について三つのことを示唆している。第一に,1950年代後半に教師の教育研究が文学的視点を喪失していったことが示唆される。第二に,1950年代末ごろに,教師の教育研究の基盤としてのサークルから,教師や研究者以外の人々の参画可能性が縮減したことが示唆される。第三に,教師の教育研究において重視される「科学」の意味内容が1950年代と1960年代とで異なっていたことが示唆される。以上の展開の中で,土田においては,特異な事実の記述を通じて従来の認識を相対化していくような研究や,授業と「社会科学」という二つの焦点を有する「楕円的」研究の可能性が閉ざされていった。