2015 年 64 巻 5 号 p. 41-53
『萬葉集』の防人歌「今日よりは顧みなくて醜の御楯と出で立つ我は」(巻二十・四三七六)は太平洋戦争下では、国民が天皇に命を捧げ国を護る決意を述べた歌として流布した。しかし、日中戦争の聖戦短歌では「醜の御楯」は〈銃後〉の人々が、兵士となった肉親や友人との別れを受け容れるための兵士の理想像に止まっていた。それは「顧みなくて」を〝家も身も顧慮しない〟とする久松潜一の解釈に基づいている。太平洋戦争開戦に当たり情報局次長奥村喜和男がその理想像を、〈銃後〉の人々にまで拡大して尽忠を求めたのである。