アンデス・アマゾン学会研究発表要旨集
Online ISSN : 2759-9124
第11号(2022)
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植民地時代中期ポトシ銀山とその周辺部社会における市場経済の浸透と先住民
*真鍋 周三
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会議録・要旨集 オープンアクセス

p. 15-16

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抄録
1.はじめに
 1570年代後半から17世紀前半にかけてポトシ銀鉱業は繁栄し、ポトシには巨大市場が出現した。この時期、アルティプラノ(海抜高度3800m前後の高原地帯。その特徴は高地の湖と広い高原で先住民の密集地帯であった)の先住民共同体首長であるカシケ(cacique. 別名curaca, malluku)は貢納を徴収し、ポトシ銀山の強制労働であるミタ(mita)労働者を自己の共同体から選出・徴集する役割を支配者から強いられた。だがカシケは単なる受け身の仲介者だったのではない。商業活動を展開し、農牧畜用地を入手し、自己の経済的状況を向上させようとするアクティブな存在でもあった。
 カシケのうち、社会的上昇を遂げていた人々の事例としてシカシカ地方カラマルカ村のペドロ・チパナ、パカヘス地方ヘスス・デ・マチャカ村のガブリエル・フェルナンデス・グアラチらについてみると、彼らはポトシ銀山のミタの選出人・差配を務めていた。他方で彼らは、ペルー南部海岸地帯の渓谷部に出向いてぶどう酒を仕入れ、シエラ(山岳部)のポトシをはじめとする諸都市で販売するなど、商業や輸送業に従事することで富を蓄えていた。こうしたカシケの経済活動の実態を検討すると、17世紀において一部のカシケが実に企業家精神に富む人々であったことがわかる。
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© 2022 本論文著者

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