1998 年 1998 巻 p. 1998-1-008-
公共政策は現在の自国居住者への配慮に基づくという従来の前提は,環境問題の深刻化により大きく揺らいでいる。環境破壊は他国居住者・将来世代・他の生物に重大な影響を与えるからである。本稿は環境倫理学の諸理論の批判的検討を通じて,これらの存在者に配慮の射程が正当に拡張されうるかを考察する。まず,諸個人が対立にもかかわらず共存しうるリベラル・デモクラシーの下では,公共政策の正当化論が不偏性を要求されることが確認される。その上で,他の生物への本来的配慮を唱えるディープ・エコロジーが吟味され,対立の看過,不偏性への違背,基本的権利の侵害のゆえに退けられる。次に,他国居住者への配慮を否定する救命ボート倫理を批判した後,著者は本来的配慮の2つの論拠を提出する。環境問題の国際関係における矯正的正義・配分的正義と,窮状国居住者の援助を他国政府に求める配慮補助の原理である。続いて,将来世代への配慮について,子孫への情愛,将来への自己拡大,将来世代の権利による正当化の試みを検討した後,著者は世代間の自然的遺産の継承関係における公正を正当化根拠として提示する。最後に,継続的税率上昇を伴う包括的環境税が提案され,それがもたらす社会的変化が展望される。