抄録
種も問わず、状態も問わず、部位も問わず、私たちは世の中にある動物遺体を、どんなものでも受け取る活動を続けてきた。それは、遺体を所有し、遺体を囲む人や社会と一体化した運動として、築いてきたものである。無限の自由の元に、無制限、無目的に死体を集め、それを研究し、未来へ引き継ぐ。遺体を文化の根源として扱い、その知を多くの人々と分かち合う。所詮私たち自身はいずれ消え去るのみだが、後には知と遺体とが残されていく。サルもイヌもウシもネズミも問いはしない。遺体たるものすべてをどう活かすかを自らに問うのが、私たちの生き様である。
解剖学なる学問は古くからある。しかし、遺体から事実を探究する場としては、今日甚だひ弱だ。どのような遺体からでも最大限に謎を解こうとした場合、現存する解剖学では事足りない。同じように、サンプルを採ると遺体を捨ててしまう日本動物学流のスクラップアンドビルドも、遺体の未来を育てることはない。
ここに、「遺体科学」が登場する。
遺体科学はデータの面白さと、遺体をどう大切にするかという二面から語るのがよかろう。形態学のデータの話と、遺体をどうしていくかという未来構想と。
「顔と話しことばの進化 -形態と運動制御-」
西村 剛(京都大学・理学研究科・自然人類)
「遺体をどう集め、どう引き継ぐか」
遠藤秀紀(京都大学・霊長類研究所・形態進化)
あたりを、まずは今年の話題にしてみよう。
死せる身体と向き合う仕事のなかで、新しい発見と久しい継承に挑もうではないか。