抄録
てきた。特に我が国に生息するニホンザルの標本に関しては、その質・量ともに群を抜いている。霊長類研究所のニホンザル標本コレクションの中には、産地のはっきりした野生由来の標本もあれば、所内で飼育されていたために生年月日、死亡年月日、血縁関係等、詳細な生前のデータが明らかになっている標本も数多く存在する。今回我々はこのコレクションの中に、極めて珍しい大臼歯萌出異常をもつ個体が同じ家系の中に現われた事例を発見した。この家系は高浜群に属し、Mff90というメスを始祖とする。Mff90は所内で4頭の仔(♂3頭、♀1頭)を残した。このうち娘であるMff277の下顎は右側には正常な歯列をもつが、左側の歯列を見ると1番目と2番目の大臼歯は明らかに右側のM2とM3に対応し、3番目の大臼歯は著しく退化した杭状の歯であり、霊長類で稀に見られる第四大臼歯を思わせる形状である。つまり、この左歯列においては大臼歯の形成にあたって、あたかもM1が飛ばされていきなりM2から始まり、かつその遠心のM3で終わらずに第四大臼歯の形成に至ったかのように見える。Mff277には仔が5頭(♂2頭、♀3頭)あった。そのなかで骨格標本が残っている4個体のうち1頭(Mff618、♂)で母と同じような大臼歯萌出異常が見られた。この個体では左右下顎歯列ともにM1の形成が飛ばされており、P4の遠心にはすぐにM2,M3が続いて萌出していた。ただし母とは違い、M3の遠心に第四大臼歯的なものは見られなかった。大臼歯列から歯が消失する場合、遠心側から進むのが普通である(Miles & Grigson, 1990)。今回のように近心のM1が消失するのは極めて珍しい。また、母子間に共通して見られる事から、なんらかの遺伝的要因によって生じた異常だと考えられる。