嗅覚受容は、7回膜貫通型の嗅覚受容体(OR)が環境中のにおい物質を分子認識することにより開始される。多様なにおい物質に対応するために、ゲノム中には多数のOR遺伝子が存在し、それらは哺乳類最大の多重遺伝子族を形成している。視覚的な生物とされる霊長目では、進化の過程で嗅覚の相対的な重要性が低下し、嗅覚機能が大きく失われたといわれる。実際、ヒトやチンパンジーのOR機能遺伝子数は400程度であり、1000以上にも及ぶマウスやラットのOR機能遺伝子数に比べるとかなり少ない。それでは、他の哺乳類と比べて霊長目のOR遺伝子のレパートリーはどの程度異なるのだろうか?遺伝子数が少なくとも、多くの哺乳類が持つ嗅覚受容体の機能を網羅しうるだけのレパートリーは確保されているのであろうか?
そこで、霊長目5種と、他の哺乳類8種のOR機能遺伝子の相同遺伝子を同定し、OR遺伝子のレパートリーを比較解析した。その結果、霊長目5種の共通祖先段階で、他の現生哺乳類8種と同程度にまでOR遺伝子のレパートリーを減少させており、現生霊長目ではそれぞれの系統でさらに、遺伝子のレパートリーを失っていることがわかった。また、霊長目におけるOR遺伝子の重複は他の哺乳類に比べて非常に少なく、レパートリーに加えて、霊長目で新たにうみだされるOR遺伝子が極端に少なくなっていることが示唆された。
哺乳類における霊長目の嗅覚機能の低下は、OR遺伝子の「数」から類推されていたが、その「レパートリー」の減少からも強く支持することとなった。また、霊長類を含む哺乳類の相同遺伝子のペアワイズ比較からは、系統的に近い種間で必ずしもレパートリーは類似しておらず、哺乳類における嗅覚受容体遺伝子の動的な進化が示唆された。