抄録
自然選択を否定し、種を主体とする進化論を唱えた“今西進化論”の是非も手伝い、今西錦司の評価には毀誉褒貶がつきまといます。例えば、『科学』での特集「今西錦司」(2003)で伊藤嘉昭は、(1)戦前から国外の生態学理論への関心と批判的立場を保った、(2)若手に国外の理論を学ばせ、リーダーを育成、(3)霊長類の社会行動研究を主導した等を肯定的に評価する一方、(4)人類学的視点等に偏した指導は若手が世界の研究者との激しい討議に身を置く姿勢を失わせた、(5)種は変わるべくして変わるとして現代進化論から離脱したと批判します。一方、西田利貞は(1)今西進化論は日本の霊長類学の発展を10年から20年も遅らせたという批判があるらしいが、あまり根拠のない言説である、(2)少なくとも西田等は、今西進化論は進化の機構を説明していないから、哲学とはいえても進化論とはいえないと思っていた。いわんや第3世代は直接的なつきあいもなく、「今西進化論」はまったく浸透してない、とします。それでは、今西が与えた影響とはどのようなもので、いつまで続いたか? あくまでも試行ですが、“印象論”ではなく、文献の引用数等を分析することで、日本の霊長類学の歴史を振り返りたいと思います。ちなみに、今西の文献が引用された率は1955~64年には伊谷、川村に次いで高いものの、1970年代に減少、1980年代以降はほとんど途絶えるなど、上記の西田の指摘を裏付けます。