2016 年 16 巻 p. 59-72
自由民主主義を指導的政治理念とする政治社会においては今日,国によって程度の差こそあれ概ね,公共政策の分析(デザイン)/決定/実施/評価は民意との整合性に留意しつつなされているし,またそうでなければならないとされている。民意は今や全ての政策活動に対する最重要の制約条件かつ究極の正統性根拠としての広範な社会的認知を獲得するに至った,そう言っても決して過言ではない。しかし,それにしても,民意と祖容れない政策を構想・決定・実施しようとすることが何故かくも激しく指弾されねばならないのか。《民の声》(Vox Populi)は《神(天)の声》(Vox Dei)としてどこまでも敬い崇められねばならないのか。
本論ではまず,《政策需要》(ある政策の実施に市民がどの程度の強さの正もしくは負の選好を有しているか)という意味での民意を発見・同定するための二種類のアプローチ――議会選挙,国民投票,世論調査等の結果から民意を推定しようとする考え方と,社会構成員の日々の市場行動から政策需要を推定しようとする支払意思額アプローチ――の各々の意義と限界(問題点)を検討する。次いで,社会構成員の政策需要(民意)――その「民意」がいずれのアプローチによって同定されたものであれ――に従わないこと,民意に変化を惹き起こすことを目的意識的に追及するような政策を構想し断行することが強く要請され正当化される,そうした場合も決して稀ではないことを論ずる。(598字)