2018 年 92 巻 1 号 p. 53-77
本論では、西田幾多郎(一八七〇―一九四五)や鈴木大拙(一八七〇―一九六六)の「即」の論理を、戦後日本に即応する形で展開するには如何にすべきかを構想した市川白弦(一九〇二―一九八六)の思索を追いかける。
市川の反省と問いとは、太平洋戦争に及んで禅の所謂「随処作主」が誤った方向へ転じたのではないか、ということであった。市川にとって、時代の趨勢と共に「不惜身命」が表され、禅が皇道へ従っていく有様は、痛切な反省を求めるものであった。そうした戦時体制への徹底批判を試みた市川は、大拙による「不二の自由」の看方から「無諍」という在り方を導出した。そこから市川は、「仏土は遠く離れた無限の彼方にしか無いから、即ち今=此処が仏土である」という「即」の構造として世界を捉えようと試みた。そしてそうした「即」の具体像として、「風流ならざる処も也た風流」という境涯を旨とした一休宗純(一三九四―一四八一)を論じるに到った過程を、本論は明らかにするものである。