2022 年 96 巻 1 号 p. 1-24
ラカン精神分析と禅は、人間の言語活動を根本的に問題化し、現実界(物自体、存在そのものの次元)に接触しようとする点で、軌を一にする。後期ラカンは、現実界との接触を果たした主体がどのように生きることになるかを考える中で、巧妙な言葉遊びに満ちた『フィネガンズ・ウェイク』の作者、ジェイムズ・ジョイスに出逢った。そしてラカンはジョイスを論じつつ、象徴界(言語活動の次元)と想像界(イメージの次元)と現実界の繋がりを、ボロメオ結びとして考え、主体自身がこれら三つの次元をボロメオ結びで結ぶ第四に成ることを、精神分析の目標と見定めた。本論文は、こうしたラカンの考え方を手がかりにして、道元の「身心脱落」の体験を捉えようとする試みである。また、『正法眼蔵』を読むと、道元が仏典の語句を独自に解釈したり、自在に分解し組み直したりする、その大胆さに驚かされるが、本論文では、道元の言語宇宙と身心脱落との関連性について若干の考察もおこなう。