宗教研究
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96 巻, 1 号
選択された号の論文の24件中1~24を表示しています
論文
  • 西村 則昭
    2022 年 96 巻 1 号 p. 1-24
    発行日: 2022/06/30
    公開日: 2022/09/30
    ジャーナル フリー

    ラカン精神分析と禅は、人間の言語活動を根本的に問題化し、現実界(物自体、存在そのものの次元)に接触しようとする点で、軌を一にする。後期ラカンは、現実界との接触を果たした主体がどのように生きることになるかを考える中で、巧妙な言葉遊びに満ちた『フィネガンズ・ウェイク』の作者、ジェイムズ・ジョイスに出逢った。そしてラカンはジョイスを論じつつ、象徴界(言語活動の次元)と想像界(イメージの次元)と現実界の繋がりを、ボロメオ結びとして考え、主体自身がこれら三つの次元をボロメオ結びで結ぶ第四に成ることを、精神分析の目標と見定めた。本論文は、こうしたラカンの考え方を手がかりにして、道元の「身心脱落」の体験を捉えようとする試みである。また、『正法眼蔵』を読むと、道元が仏典の語句を独自に解釈したり、自在に分解し組み直したりする、その大胆さに驚かされるが、本論文では、道元の言語宇宙と身心脱落との関連性について若干の考察もおこなう。

  • 小林 弥那美
    2022 年 96 巻 1 号 p. 25-49
    発行日: 2022/06/30
    公開日: 2022/09/30
    ジャーナル フリー

    キルケゴールは、すべての人を平等に愛する隣人愛と特定の他者に愛情を向ける恋愛・友情を鋭く対立させる一方で、他者の個性を愛することと隣人愛は両立すると考えている。本論文では、この一見矛盾するキルケゴールの主張を整合的に解釈することを試みる。

    第一章では、隣人愛と恋愛・友情の両立可能性に関する従来の研究を概観しながら、その問題点を整理する。第二章では、他者を特徴づけるものには、他の人間との比較によって与えられる差異性と、神から与えられる個性の二種類があることを示す。第三章では、キルケゴールが隣人愛と対比させ批判しているのは差異性に基づく愛であり、個性に基づく愛は隣人愛と調和することを論証する。また、キルケゴールの隣人愛の持つ平等性は、すべての人間を愛の対象に入れるというよりも、すべての人間をバラバラの単独者として独立させておく性質のものであるということを示す。

  • 「大アーリム議員」の資格問題をめぐる国会審議の分析から
    佐藤 友紀
    2022 年 96 巻 1 号 p. 51-75
    発行日: 2022/06/30
    公開日: 2022/09/30
    ジャーナル フリー

    アーリムとは、イスラーム諸学を修めた知識人を指すが、国王は、ある者を恣意的に「大アーリム」とみなして、一九二四年以降に稼働した国会の上院議員に任命することができた。それゆえに、その者が本当に「大アーリム議員」かをめぐる資格争訟が国会において発生しえた。本稿では、「大アーリム議員」の資格問題をめぐって一九二七年に国会で展開された論争を分析する。まずは、近代エジプト議会の役割の変遷を概観し、国家と宗教をめぐる研究において議会内の政治主体の諸議論に着目する意義を指摘する。その上で、上述した論争の分析を通じて、一九二三年憲法制定時の曖昧なままにされたと評価されてきた近代エジプトの国家と宗教の関係が、実際は、国会の諸議論の過程で、大アーリムの厳密な定義化などにより、国王の権力を調整する形で具体化されていたことを明らかにした。

  • 羅 旌超(道悟)
    2022 年 96 巻 1 号 p. 77-98
    発行日: 2022/06/30
    公開日: 2022/09/30
    ジャーナル フリー

    拙論では唐代仏教制度史の視角から、勅住・配住・寄住という用語を考察する上で、唐代の僧侶及び在俗者が寺に住まう形態を明らかにする。唐代には、膨大な数の教団を管理する為に、厳密な僧籍制度が実施されており、その中で在籍僧(寺)は官度僧(寺)と呼ばれている。官寺における官度僧の人数は限定されており、人数が足りない時には試験によって僧を選抜した。そのために寺に止住することを「配住」と呼ぶ。本寺以外の外来僧が寺に住む時、「寄住」とよばれた。その申請の時には牒文が必要であった。それ以外に、皇帝の命令によって寺に止住する「勅住」がある。在俗者の住寺について、限られた文献から、唐代の官員と文人がよく寺に寄住していたことが分かってきた。詳細はまだ不明だが、後代の文献から類推すれば、在俗者の寄住には家賃の支払が伴った可能性があると考えられる。

  • 藤井 麻央
    2022 年 96 巻 1 号 p. 99-122
    発行日: 2022/06/30
    公開日: 2022/09/30
    ジャーナル フリー

    本論文では、明治期の黒住教の自己規定の言説を検証し、教派神道の明治期を通じた遷移について論じた。分析に際しては、その時々の黒住教の社会的立場を考慮しながら、史資料を読み解いた。黒住教において、明治前期から中期に見られた「神道」の「一派」であるという自己規定は、明治末期になり「教祖の道連の団体」である「黒住教教団」という表明へと変化した。神道的伝統において乏しかった集団的概念を、当時は常用されていなかった「教団」という言葉を導入することで克服し、教祖に原拠を置く信徒の集団であることを自らの語りとして獲得したのである。それは、黒住教が外部からの評価に晒される中で「団体的形式」を追求した「改革」の結果であった。教派神道は近代の社会変動の中で生じた神道の新たな宗門的形態であり、そもそもは政策的につくられた事務機関である。黒住教の明治期を通じた経過は、行政の産物である教派神道をより普遍的な「宣教型の教団宗教」として存立することを可能にした神道の近代的展開における一つの転機であった。

  • 境野黄洋における「詩的仏教」の構想
    呉 佩遥
    2022 年 96 巻 1 号 p. 123-146
    発行日: 2022/06/30
    公開日: 2022/09/30
    ジャーナル フリー

    近代日本における「宗教」と「科学」の交錯を考えるにあたって、「信」に関する一連の言説が重要だろう。明治期には、合理的な認識枠の影響のもとで仏教を真の「宗教」たらしめるべく、「迷信」の領域はそこから排除すべき異物として語られ、「信仰」もこうした態度から形成された。かかるプロセスにおいて、「信仰」に教義的な根拠を提供する「経典」の解釈問題が一つの争点となった。

    本稿の対象である境野黄洋は、一八九九年に開始し、「健全なる信仰」と「一切迷信の勦絶」を掲げた「新仏教運動」の旗手の一人であると同時に、仏教の歴史的研究を初期の段階から唱導し、実践した人物である。境野が一八九〇年代に「詩的仏教」──「経典」の記述を事実ではなく、「詩的」な表象として解釈する方法──を提示し、仏教を「迷信」から救出しようとした。本稿では、こうした境野の知的営為に着目し、それがいかにキリスト教の自由主義神学や仏教の歴史的研究など同時代の動向と交渉しつつ展開したかを検討する。

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