本稿では、光明皇后垢すり伝説の変容とその背後にある叡尊・忍性らを代表とする叡尊教団による身体的接触をともなうライ者救済活動に光を当てた。また、叡尊教団によるライ者救済活動が文殊信仰に基づいていることを論じた。
まず、鎌倉期から南北朝期に、光明皇后垢すり伝説において、垢すりの場が阿閦寺(の前身)から法華寺へと変化し、また、皇后の慈愛を試す仏が阿閦仏から文殊菩薩へと変化した伝承があることを指摘した。そうした変化はまさに、その時期にライ者救済活動を担い、法華寺をも末寺化し、光明皇后ライ者垢すり伝説を広めた主体であった叡尊教団による、と考えられる。
また、古代・中世日本において浄・不浄観は重要な社会的な意味を有していた。ライ者は穢れた存在とされていた。それゆえ、ライ者との身体的な接触は穢れに触れる不浄な行為と考えられていたが、忍性らは、自分たちは厳格な戒律護持を行っており、穢れることはないと考えていた。
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