2019 年 103 巻 p. 95-114
本論は、ジェフリー・アレクサンダーの一連のアメリカ大統領論を手がかりとして、アメリカにおけるユニバーサリズムの理論的・実質的意義を探ろうとするものである。アレクサンダーは「アメリカン・ユニバーサリズム」の信奉者であり、師のタルコット・パーソンズと同様、ユニバーサリズムのさらなる普遍化(一般化)に志向するという点において、「機能主義的伝統」の正統な継承者である。ユニバーサリズムの対極にあるパティキュラリズムは、ユニバーサリスティック・パティキュラリズムである限りにおいて正当化されるものであり、一九六〇年代以降のアメリカにおける公民権運動に代表される「新しい社会運動」はユニバーサリスティック・パティキュラリズムの典型として論じられている。機能主義的伝統において、このアメリカン・ユニバーサリズムを最もよく体現している人こそ、アメリカの大統領であると論じられる。
まず、アレクサンダーの「大統領の社会学」の成立と展開をみていく。次に、パーソンズが取り出した「ユニバーサリズム」と「パティキュラリズム」という二つの社会的価値(パターン変数の一組)を用いながら、アレクサンダーの「オバマ主義」をトランプの視点から相対化する作業を行いたい。そして「オバマ主義」と「トランプ主義」を超克する途をパーソンズの「価値の一般化」の議論に確認し、アメリカ社会(学)の未来を展望することで結論としたい。