社会学研究
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103 巻
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特集 ポスト真実と民主主義のゆくえ
  • 清水 晋作
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 103 巻 p. 1-5
    発行日: 2019/10/16
    公開日: 2021/10/24
    ジャーナル フリー
  • 特集「「ポスト真実」と民主主義のゆくえ」が問いかけるもの
    長谷川 公一
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 103 巻 p. 7-20
    発行日: 2019/10/16
    公開日: 2021/10/24
    ジャーナル フリー

     ポピュリズムや反エリート主義、既成のマスメディアへの反感、反グローバリズムなどと結びついて反知性主義が猛威を奮っている。「ポスト真実」の時代の民主主義の危機は、日米英などにとどまらない、現代の先進産業社会に共通する根深い構造的な問題である。リベラリズムと普遍主義的な志向の退潮とともに、民主主義の危機は一層深刻度を増している。グローバル化する経済のもとでの格差の拡大とSNSなどの発達が、価値パターンの分断と亀裂をいよいよ深刻化させている。各個人向けにパーソナル化されたフィルターバブルによって、インターネットは、対話のメディアから、「意見の異なる他者を排除するための装置」に変質している。「ポスト真実」は一過的な徒花ではない。その意味で、パーソンズによる「ホッブズ的秩序問題」の二一世紀的な意義が再評価されるべきである。

     本稿は、特集の清水・上田・寺田・鈴木論文に対するコメントである。

  • R・ホーフスタッターの議論を手がかりとして
    清水 晋作
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 103 巻 p. 21-43
    発行日: 2019/10/16
    公開日: 2021/10/24
    ジャーナル フリー

     「ポスト真実」、特に「トランプ現象」を受けて、本稿は、ホーフスタッターの「反知性主義」論に依拠して、アメリカン・デモクラシーおよび民主主義の課題とゆくえを展望する。「トランプ現象」をめぐっては多くの議論や解釈がなされており、「ポピュリズム」、「グローバリズム/反グローバリズム」などの文脈で論じられることが多いように思われる。筆者は、「トランプ現象」を理解するために、ホーフスタッターが『アメリカの反知性主義』において展開した議論が有効であると考えている。本稿では、ホーフスタッターが「ニューヨーク知識人」の一員であったことから、ニューヨーク知識人としての側面にも着目しつつ、反知性主義についての彼の考察を通じて、「ポスト真実と民主主義のゆくえ」を展望したい。

     本稿の議論は以下のように進める。第一節では、ホーフスタッターが属していたニューヨーク知識社会について概観し、ホーフスタッターの反知性主義論はマッカーシズムを背景に書かれたことを確認する。第二節では、さらにホーフスタッターを含めた「ニューヨーク知識人」のマッカーシズム論を考察し、ホーフスタッターの議論の内容と背景を理解する一助としたい。特にR・ホーフスタッター、S・M・リプセット、D・ベルの分析を取り上げる。第三~五節において、ホーフスタッターの『アメリカの反知性主義』の議論を追いかけながら、アメリカン・デモクラシーの特質について検討する。

  • エマソン・デューイ・ローティの民主主義論、ソロー・鶴見のアナキズム論からウェストの預言的プラグマティズムへ
    寺田 征也
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 103 巻 p. 45-71
    発行日: 2019/10/16
    公開日: 2021/10/24
    ジャーナル フリー

     本稿はプラグマティズムの政治思想における二つの流れ――民主主義論とアナキズム論――の検討を通じて、今日の民主主義論に対する貢献可能性について考察する。

     プラグマティズムにはR・W・エマソン、J・デューイ、R・ローティらによる民主主義論の伝統がある。かれらは、公衆間での協働と対話の文化、そして科学的な態度と文化の涵養を重視している。他方で、H・D・ソローや鶴見俊輔によるアナキズム論の系譜は、法に抵触することであっても自らの私的な信念に基づく正しい行為が、他者との協働的な社会運動への呼び水となることを論じる。そしてこの二つの流れを架橋し、プラグマティズムの政治思想を深める可能性を持つのが、C・ウェストによる「預言的プラグマティズム」である。

     今日の政治状況は「反省か、抵抗か」「上か下か」といった選択が強いられているが、私的なものに依拠した下からの抵抗可能性を、プラグマティズムのアナキズム論は持つ。

  • ロバート・ダールの論考を手がかりとして
    上田 耕介
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 103 巻 p. 73-93
    発行日: 2019/10/16
    公開日: 2021/10/24
    ジャーナル フリー

     英国のEU離脱、トランプ政権の誕生などの動きに対して、それを非合理な反動と見るリベラル左派から、盛んに批判が行われている。しかし本稿は、これらの動きが合理的であると論じていく。そのために本稿は、ロバート・ダールの晩年の論考を手がかりにする。それは、移民の増加と、国際組織の影響力増大、国民国家の弱体化に関するものである。

     ダールによれば、①移民は民主制にとって厄介な問題を引き起こすため、移民を無制限に受容すべきでない。②国際組織は非民主的であり、民主化する見込みもない。③国民国家が近い将来消滅することはなく、国民国家の民主制が機能するためには、ナショナリズムが欠かせない。

     こうした議論からすれば、近年の「極右」台頭は、当然の帰結であり何ら驚くべきことではない。それをもたらしたのは新自由主義者とリベラルの連合である。かつてのポランニや近年のトッドが、ダールと同じ方向で議論を展開している。

  • ジェフリー・アレクサンダーの「アメリカ大統領論」を中心として
    鈴木 健之
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 103 巻 p. 95-114
    発行日: 2019/10/16
    公開日: 2021/10/24
    ジャーナル フリー

     本論は、ジェフリー・アレクサンダーの一連のアメリカ大統領論を手がかりとして、アメリカにおけるユニバーサリズムの理論的・実質的意義を探ろうとするものである。アレクサンダーは「アメリカン・ユニバーサリズム」の信奉者であり、師のタルコット・パーソンズと同様、ユニバーサリズムのさらなる普遍化(一般化)に志向するという点において、「機能主義的伝統」の正統な継承者である。ユニバーサリズムの対極にあるパティキュラリズムは、ユニバーサリスティック・パティキュラリズムである限りにおいて正当化されるものであり、一九六〇年代以降のアメリカにおける公民権運動に代表される「新しい社会運動」はユニバーサリスティック・パティキュラリズムの典型として論じられている。機能主義的伝統において、このアメリカン・ユニバーサリズムを最もよく体現している人こそ、アメリカの大統領であると論じられる。

     まず、アレクサンダーの「大統領の社会学」の成立と展開をみていく。次に、パーソンズが取り出した「ユニバーサリズム」と「パティキュラリズム」という二つの社会的価値(パターン変数の一組)を用いながら、アレクサンダーの「オバマ主義」をトランプの視点から相対化する作業を行いたい。そして「オバマ主義」と「トランプ主義」を超克する途をパーソンズの「価値の一般化」の議論に確認し、アメリカ社会(学)の未来を展望することで結論としたい。

論説
  • 岩手県陸前高田市りくカフェの事例から
    板倉 有紀
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 103 巻 p. 115-137
    発行日: 2019/10/16
    公開日: 2021/10/24
    ジャーナル フリー

     本稿では、近年保健行政で用いられる「ソーシャルキャピタル」に注目し、被災地における行政と専門職らの協働におけるソーシャルキャピタルの内実について、コミュニティカフェの事例から検討する。岩手県陸前高田市は、行政レベルで、外部支援者の保健師と医師の協力のもと、「ソーシャルキャピタル」を明確に意識した取り組みを行っている。震災後の社会状況や文脈において、その理念に適合的なかたちでコミュニティカフェが、市内の医療専門職らにより運営されるようになった。その運営の基盤には結合型のソーシャルキャピタルというよりも、職業やPTAといった橋渡し型のソーシャルキャピタルが活かされていた。コミュニティカフェの利用者らもその利用を通して健康増進に必要な様々な資源にアクセスしていることが分かった。被災という文脈において、行政と地域の医療専門職らが偶然にも協働しあう基盤が構築された一つの事例として位置づけられるとともに、地域の医療専門職の専門性という観点からみると、事業立ち上げを含む地域保健への介入と協働という点で地域づくりへの積極的関与ということが、震災前の通常の専門性とは異なることが示された。

  • ホネットによる生産美学批判を参照点に
    馬渡 玲欧
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 103 巻 p. 139-163
    発行日: 2019/10/16
    公開日: 2021/10/24
    ジャーナル フリー

     本論文ではマルクーゼの「労働と遊び」論における一九三〇年代初頭の議論と一九五〇年代の議論を再検討する。前者については、必需品を生産する領域の彼方にある自由の領域において、歴史的な現存在である人間をつくりあげる「行為としての労働」にとっては、他者や対象への予測が必要となり、その予測を可能とするのは現存在の存在論的な場であることを明確にする。この場を確保するための条件として、労働と労働のあいまに位置する「遊び」が必要となるのである。マルクーゼは三〇年代の問題構成を五〇年代に洗練させる。特に本稿では精神分析家ヘンドリックが主張する、効率的な仕事が快楽をもたらすとする議論へのマルクーゼの反論を取り上げる。この過程でマルクーゼが遊びこそが疎外された労働や産業社会における生産性信仰を克服する方途であるとみなしていたことを示す。市民社会における業績原理は生産性という桎梏にとらわれており、それゆえに必然的に承認のイデオロギーや強制された自己実現の隘路に陥らざるを得ない。「労働と遊び」論の社会理論的検討は生産性信仰に陥りがちな労働の過程から距離を取ることができる点で有用である。

  • 福島県南相馬市X集落の事例
    庄司 貴俊
    原稿種別: 研究論文
    2019 年 103 巻 p. 165-187
    発行日: 2019/10/16
    公開日: 2021/10/24
    ジャーナル フリー

     本稿では、原発被災地で農業をやめた人びとが、農地に対して継続的に働きかけ、農地の外観を保とうとする理由を明らかにする。本稿が対象とした集落の農家は、原発事故の影響により、農業から離脱せざるをえなくなった。その上、人びとは再開の意志すらもっていない。けれども、生産活動をしないと決めた農地でも、農家は農地を荒らさないようにと、その手入れを続けている。その背景には、農地を荒らすことなく、互いに認め合うことで、集落の農家たちと同じ立場に居続けたいとする考えがあった。以上から、農地の手入れを続けその外観を保つことは、事故前の社会関係を取り戻す行為になっていると考えられる。集落内における社会関係という視点から考えた場合、人びとが事故前の生活を取り戻す上で、農地の外観を保つことは重要な要素であることが、本稿では明らかになった。

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