ミュンヘン一揆によってヒトラーは国家反逆罪による実刑判決を受けた。ナチ党は裁判所から解党処分を言い渡される。当時のニューヨークタイムズはナチ党が解党処分になったことにより,すでにドイツ全土で著名となっていたヒトラーが今後,活動することはないであろうと報じるほどであった。しかし,ヒトラーは服役中にナチ党を再建するための構想を著した『わが闘争』を口述筆記により完成させたのである。出所後,ナチ党の解党処分が解かれたのと同時にヒトラーはナチ党を一から立て直すことに着手,成功する。そして,完全にドイツ国民を扇動することになる。これはヒトラーの手腕と共に国民啓蒙宣伝省の担当大臣を務めたヨーゼフ・ゲッベルスがラジオ,新聞,映画等のメディアと特異な街頭演説の一つである「早朝プロパガンダ」そして「夜間の松明行進」等,斬新なプロパガンダを導入し功を奏した結果であると言っても過言ではない。人の能力を正確に見ぬくヒトラーの眼識がゲッベルス流のプロパガンダを開花させ,ナチ党を国会での第一政党に,さらにはヒトラーを首相・総統にまで押し上げたのである。