2008 年 2008 巻 11 号 p. 70-88
医薬品は従来の低分子合成化学物質からタンパク質や抗体に開発がシフトしてきて、ヒトあるいはその類縁種でなければ生体反応性が期待できないものが増えてきており、それに呼応してカニクイザルをはじめとしたサル類の非臨床試験が増えている。その一方で未だにイヌを用いた薬効薬理試験や安全性試験も数多く実施されている。
イヌを用いた安全性試験の試験責任者の人たちからは、「イヌはわけのわからない反応が出て困る。」、「ヒトヘの外挿性のない作用は報告書のまとめ方に苦労する。」等のボヤキとも思える話しを聞く事がある。確かに多発性動脈炎が精巣や胸腺、心臓に自然発生し易いので安全性試験の結果評価には注意を要するという報告 1)があるし、イヌ独特のセロトニンシンドロームというヒトには外挿性のない異常行動を起こすことも知られているので試験責任者の方々の思いは理解できる。しかし、実験動物として汎用されるようになったカニクイザルは安全性試験に用いる上で問題はないのであろうか。確かにカニクイザルの背景データはかなりそろってきたとは言え、従来から非臨床試験に使用されているイヌに比べればはるかに少ないし、入手や飼育などの点で制約があり、イヌほど容易に使用できない。また、臨床において比較的よく認められる副作用である嘔気や吐気についての基礎検討において、ドーパミンD2受容体賦活作用による催吐薬であるアポモルヒネ(apomorphine)ではヒトやイヌ、ネコ、フェレット、ハトは嘔吐するが、サル、ブタ、ウマ、ロバは嘔吐しない 2)。この様に遺伝的にヒトに近いといわれるサル類でさえもヒトヘの毒性の予測は万全ではない。
1990年から2004年までの間にグローバル市場から撤退した医薬品のリスト 3)を表1に示した。それぞれの薬剤について各種の非臨床試験の結果と撤退理由がどの程度、相関しているのか非常に興味深いことではあるが、この表を見ると34薬剤中13薬剤が肝毒性、11薬剤が不整脈をはじめとした心臓電気生理作用で撤退したことになる。さらに、2005年末にはチオリダジン(thioridazine)がQT間隔延長作用の為に販売中止となっているので、市場から撤退した薬剤のほぼ3分の1が不整脈をはじめとした容認しがたい心臓電気生理作用をその理由としている。心臓電気生理系への作用は市場撤退理由の大きなウエイトを占めることから臨床試験、非臨床開発を通して十分に評価をする必要がある。ここ10年程の医薬品開発上の大きな話題となった薬物誘発性QT間隔延長に関してはin vitroの試験系がほぼ確立されているものの、細動をはじめとした不整脈評価系は十分に確立しているとは言い難い。また、in vivoの試験系におけるQT間隔延長以外も含めた不整脈惹起性の検討には動物種の選択を始め、まだ検討の余地がある。そうした中、本稿では主に心臓電気生理作用を中心にイヌの有用性を考えてみたい。