宮城県刈田郡宮尋常高等小学校(現宮城県蔵王町立宮小学校)小野さつき訓導は、1922年川におぼれる教え子を救助しようとして自らの命を落とした。殉職した一訓導の姿は顕彰され、昭和初年には映画も作られた。今日でも、殉職の事実は語り継がれ、1991年に同校で副読本も作られた。しかし今日の道徳教育で、命の教育を扱う際には、生命の尊さは教えても、自分の命と引き替えに他者の命を助けることに価値を見いだすことはしない。子どもを助けるために殉職した教師の姿は「生と死において矛盾をはらむと思われる事実」なのである。そのため、副読本は、殉職という事実を命の教育という視点ではなく語り継ぐべき郷土の偉人という価値観でまとめている。筆者は、昭和初年の映画と今日の副読本の扱い方のそれぞれの背後にある教育的な意味を探る。