抄録
イタリア最南端のランペドゥーザ島には、地中海を渡ってきた移民たちの船が置かれたままの「船の墓場」がある。そこには船のみならず、移民たちが有していた様々な所持品も残っている。これらのモノは、移民たちの移動を可能とした移動空間を構成していたものである。それらが移民たちの身体から切り離されるとき、これらのモノは別種の時間・空間の軌道を描いていくのではないだろうか。
本稿では、これらのモノの物質性とモビリティが、観光地でもあるランペドゥーザの島民、さらにはヨーロッパの人々を、どのように主体化させているのかを考察する。一方には、これらのモノを「境界スペクタクル」として客体化することで、移民たち自身をも客体化、犠牲者化し、かれらの移動性を取り締まる制度レヴェルでの主権的態度がある。他方には、たとえこれらのモノを「展示」するとしても、それらの物質性とモビリティの内側に留まりながら、モノ、そして移民たちとの関係性を内在的に模索する、一部の島民の脱主権的な態度がある。後者の態度には、移民たちの自律的な移動性、移動空間の形成に対して開かれた政治的過程を、この観光空間において引き起こす潜在性があろう。