ジフェニルアルシン酸(DPAA)は2003年に茨城県神栖町(現神栖市)において発生した地下水のヒ素汚染事故の主因物質である。このDPAAに汚染された井戸水を生活用水に利用していた住民は小脳症状を主徴とする神経症状を長期にわたり発症した。我々はこれまでにこのDPAAによる小脳症状発症の生物学的メカニズムについてラットを用いてDPAAは小脳アストロサイトに酸化ストレスおよび神経・血管作動性ペプチド(MCP-1、Adrenomedullin、FGF-2、およびCXCL1)の異常放出を引き起こすことを明らかにしてきた。本研究ではラット小脳由来培養アストロサイトにおけるDPAAの生物学的影響をさらに詳細に検討した。生後2日目のWistarラット小脳よりアストロサイトを選択的に培養し、無血清培養液中にてDPAA(10 µM)に96時間ばく露した。DPAAばく露はアストロサイトにおいて酸化ストレス応答因子の発現上昇、MAPキナーゼ(ERK1/2、p38MAPK、およびSAPK/JNK)のリン酸化亢進、そして転写因子(CREB、c-Jun、およびc-Fos)の発現上昇とリン酸化亢進を引き起こした。また、細胞内および培養上清中のグルタチオン(GSH)濃度を測定したところDPAAばく露により、細胞内のGSH量の低下と培養上清中のGSH濃度の上昇がみられた。一方、グルタチオン合成阻害剤(BSO)によりDPAAによる変化は減弱した。これらの結果からDPAAはアストロサイト内で酸化ストレスを生じさせ、アストロサイトはそれに応答してGSHを細胞外に放出すると考えられる。また、DPAAの影響機序について細胞外GSHでは無く、細胞内GSHが重要な役割を果たすと考えられる。今後はこのDPAAによるアストロサイトからのGSHの過剰放出におけるMAPKの役割を検討することが必要である。