【水俣病の研究史概要】
水俣病の公式発見は、新日窒病院の細川一院長と野田兼喜小児科医長が、1956年5月1日に「原因不明の中枢性疾患が多発した」ことを水俣保健所に報告した時とされている。細川一院長は69歳の時に肺癌で死亡した。ネコ実験を共にした小嶋照和医師の話では、細川一院長はヘビースモーカーであったとの事である。彼らは工場内のアセトアルデヒド作成過程から排出される廃液を使用した10匹のネコ実験を行った。ネコ実験No. 717の剖検臓器(脳、肝、腎)が、1968年に熊本大学医学部の武内忠男教授に送られた。1999年に熊本大学医学部に保管されていた臓器を国立水俣病総合研究センターで再検索して報告した。
1) これは細川ネコ実験が国際的に公表された唯一つの論文である。
熊本大学医学部の武内忠男教授は、奇病発生以来、一貫して水銀中毒を疑い、ドイツ語で書かれた書物
2) が1958年に出版されたのを機に、水俣奇病の原因が水銀中毒である事を確信した。その中には有名なハンター・ラッセル症候群を呈す、ジメチル水銀中毒症の一例の剖検例の記載があった。その症例は、劇症型水俣病の剖検例と脳病変が酷似しており、水俣病がある種の有機水銀中毒であることが、熊本大学第一次水俣病研究班の統一見解となり、その成果が邦文
3) および英文
4) で出版された。
1968年に工場からの排水が停止され、水俣病は政府統一見解で、工場排水によるメチル水銀が魚介類に蓄積され、それを摂食し、主として神経系病変をもたらす中毒性疾患である事が判明した。水俣奇病の原因が解明されてから、しばらくの間研究が中断されていたが、武内忠男教授を班長とする、熊本大学医学部水俣病第二次研究班が1971年に結成され、その成果は青林舎の「水俣病」に記載されている。
5) その後水俣病に関する熊本大学医学部の剖検例450例を英文で出版した。
6) 上記英文論文出版後に、真の水俣病の原因の解明は西村肇・岡本達明によってなされ、1951年8月に従来使用していた助触媒の二酸化マンガンを硫酸第二鉄に変更したために、メチル水銀が工場内で多量生産され、1968年まで直接水俣湾に排出されていたことが判明した。
7) その後、水俣湾のメチル水銀汚染魚介類の水銀値は激減したが、多数の軽症水俣病の生存者が死後剖検されて水俣病病変が認められたが、排水停止までの、メチル水汚染魚介類摂取による後遺症と考えられるに至った。
【水俣病の神経病理学的研究】
熊本大学医学部病理学第二講座における水俣病関係の剖検症例は、2005年までに450例あり、臨床的に水俣病と診断された42例の中に水俣病病変を認めない2例が含まれていた。また、水俣病の疑いとされた408例の中で、剖検後に水俣病病変を認めた症例が162例あり、246例には水俣病病変を認めなかった。
一方、新潟大学脳研究所における剖検例では、臨床的に水俣病の診断が25例なされ、その中の2例には水俣病病変を認めなかった。また、水俣病の疑いとされた5例の中の1例に水俣病病変が確認され、4例には水俣病病変は認めなかった。
熊本大学医学部の症例を成人型、小児型、胎児型に分類し、さらに詳述すると、急性型6例、亜急性型6例、重症長期経過型9例、軽症長期経過型15例、発症不明型156例になる。小児型は5例、胎児型は5例であった。
急性型の特徴は、大脳も小脳も浮腫状病変が認められ、これはコモン・マ-モセットの実験でも証明された。
8) 9) この実験により、大脳病変は、深い脳溝周囲皮質に選択的傷害の局在性が見られる事を実証出来た。武内忠男教授らは、大脳全体の脳浮腫により、深い脳溝周囲皮質の循環障害が出現し、低酸素、低グルコース環境下で、神経細胞が傷害されるという仮説をたてた。その後、2010年に入って、鍛冶利幸教授らの研究グループによって、その分子基盤を構成するヒト脳微小血管内皮および周皮細胞に対するメチル水銀の毒性発現が明らかにされ、メチル水銀による脳浮腫のメカニズムの解明は大きく前進した。
10) 小児型の剖検例は全て重症であり、大脳、小脳共に広範囲に病変を来たし、長期生存例で海綿状態を示す選択的傷害の局在性病変が認められた。胎児型は基本的に神経組織の発育障害であり、胎児期には脳溝が殆ど見られず、大脳全体に病変を認め、成人型、小児型の様な選択的局在性病変は呈していなかった。また、海綿状態は確認されていない。
水俣病患者では胎児型を除く、大脳の後頭葉鳥距野、中心後回、中心前回、横側頭回の選択的病変に加えて、末梢感覚神経病変が認められる。実験動物によっては末梢神経病変を認めないものもあるが、コモン・マーモッセトのメチル水銀中毒実験で、大脳、小脳病変と共に末梢感覚神経病変を認めた。コモン・マーモセットのメチル水銀中毒実験が、水俣病患者に認められる神経系病変への外捜に最適と考える。
水俣病剖検例の全てに、末梢感覚神経病変が認められており、中心後回の病変に由来する全身性感覚障害に加えて、水俣病に特徴的な四肢末端優位の感覚障害が見られる。
メチル水銀中毒症における初期の末梢神経傷害は、軸索傷害であり、髄鞘は良く保たれている。
9) この傷害機構が未だ解明されていない。また、末梢感覚神経は破壊された後、再生してくる。この再生神経線維の機能回復がなされれば、感覚障害は寛解ないし消失するであろう。
水俣病患者の中枢神経病変の恢復は困難かもしれないが、末梢感覚神経機能の改善はなされる可能性がある。
【文献】
1) Tohoku J. of Exp. Med.
194, 197-203 (2001)
2) Handbuch der Speziellen Pathologischen Anatomie und Histologie, Springer-Verlag (Berlin-Goettingen-Hiderberg) (1958)
3) 水俣病―有機水銀中毒に関する研究。熊本大学医学部水俣病研究班編 (1966)
4) Minamata Disease. Kumamoto University Study Group, Shuhan Co. (1968)
5) 水俣病―20年の研究と今日の課題。有馬澄雄編、青林舎(東京)(1979)
6) The Pathology of Minamata Disease―A tragic story of water pollution.
ed. by Kyushu University Press, INC (Fukuoka) Japan (1999)
7) 水俣病の科学。日本評論社(東京)(2001)
8) Toxicol. Pathol.
29, 565-573 (2001)
9) Toxicol. Pathol.
30, 723-734 (2002)
10) J. Toxicol. Sci.
38, 837-845 (2013)
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