1999 年 1 巻 3 号 p. 014-023
本稿は,98年1月に妥結した日米航空交渉を巡り,完全なオープンスカイの実現という米国政府の当初の対日政策目標が,どのような過程を経て後退したかについて,米政府と航空業界の動きを政治経済学の視点から分析したものである.米政府の対日航空政策は,運輸省が独自に推進するものではなく,航空業界のその時々の意見に左右された.米国航空各社は,独自の判断で自社の立場を政府に働きかけており,その結果が政策の形成と転換につながったという結論が導かれた.ただし,政府は無原則に業界の代理人となるのではなく,市場における競争の確保を政府の役割とみなしていた.理論的には,米国内の政策過程における多元主義,国際交渉での2レベル・ゲームの有効性,及び現実主義を応用することの限界についても明らかとなった.