文化人類学研究
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特集論文
人類学との対話
――キリスト教徒の医学生として――
土肥 清志
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2022 年 23 巻 p. 39-57

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抄録

 私は福音派プロテスタントのキリスト教徒として育ち、入学した医科大学で文化人類学と出会った。そこで習う文化相対主義は聖書絶対主義の福音派信仰とは相容れないものであり、相対主義に内在する自己矛盾に対しても強い反発を感じた。しかし、文化相対主義の文化人類学には私自身の信仰に欠けていた重要な要素である、他者理解の姿勢があった。最終的に、聖書絶対主義という視点を捨てることで文化相対主義と信仰を調和させる道にいたったのだが、その過程で相対主義的なキリスト教信仰者との出会いが大いに影響した。この経験を踏まえて以下4点を主張した。第1に、当時の自分自身のキリスト教信仰の文化相対主義に対する反発の根源には聖書絶対主義があったこと。第2に、文化相対主義への反発には、他者の絶対主義を批判して相対主義を貫徹していなかった文化相対主義者である恩師への反発があったこと。厳密な相対主義は自分自身にしか主張できないが、それを徹底することはほぼ不可能に近い。その点を理念と実践の違いという点から分析した。その上で、真の文化相対主義は実践不可能だが、他者理解のために掲げるべき理念ではある、と結論した。第3に、私の反発の根源的動機であった文化相対主義の倫理的課題に対する扱いに関して検討した。ダニエル・エヴェレット(Daniel Everett)の『ピダハン』における事例を用いることで、倫理相対主義ではない文化相対主義が成立することを説明した。第4に、全体を踏まえた考察として、キリスト教文化に人類学の視点がどのように影響したかを振り返ることで、生物医学の文化に対して人類学の視点がどのように影響しうるか検討した。そして、生物医学の絶対主義によって生じる齟齬に対して人類学の視点は役立つと主張した。最後に架空の事例に対して文化相対主義を学んだ現在の私がどのように実践するかを示した。この事例検討を通じて、私自身が1)病者本人がどのような生活を希望しているのかの主軸をよく確認すること、2)生物医学を相対化すること、を重視していることを示した。

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© 2022 現代文化人類学会
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