抄録
小林秀雄は、横光利一の「機械」を自意識の文学として高く評価したが、その判断は小林の読み間違いであった。「機械」は当時の小林が考えていたような自意識の文学、すなわち意識に対してのメタ意識の問題が表現されている文学ではなかった。しかし小林の評価に使嗾された横光はやがて、自意識の問題と通俗文学の興隆という当時の文学状況の問題とを統合した「純粋小説論」を述べる。ここで重要だったのは、物語性の強い通俗文学的要素の、純文学への組み入れという提言にあったが、それを「私小説論」の小林は理解しようとしなかった。両者はここで擦れ違ったが、日本主義の問題に対しては、どちらも見当外れの対応という点では共通していた。