抄録
一九三六年夏、京城のモダニスト李箱(イ・サン)は、短篇小説「童骸」で、横光利一の「頭ならびに腹」の冒頭の言葉をパロディ化した。李箱はなぜ、横光をパロディ化したのだろうか。パロディ化の目的が風刺にあるとすれば、李箱は横光のパロディ化を通じて何を風刺しているのか。本稿はこのような研究動機のもとで一九三六年以降の横光のテクストを読む。日中戦争、大東亜文学者大会、そして竹内好。同時代の文脈に開きながら横光のテクストを読み直し、一九三六年夏に李箱が予感した横光の姿を浮き上がらせたい。それは、横光にとって「近代の超克」とは何だっ
たのかを再考する試みになるだろうし、ひいては横光を現代に翻訳する作業になるだろう。