近世のロンドンは流入民の激増と郊外の拡大の時代として知られる。その中で、中世以来の市域であるシティと郊外とが一体性を維持できたのかについては、研究者間で意見の一致を見ていない。 そこで本稿は、ロンドン東部郊外ステップニ教区のラトクリフ集落に位置したチャリティの運営を通じて、シティの同職団体、桶屋カンパニがどの程度郊外地域に影響力を持ち得たのかについて検討し、以下の点を明らかにした。まず、チャリティ運営に伴う組合員の継続的な現地訪問によってカンパニが構築した人的ネットワークは、細分化していたロンドンの諸権力のそれぞれの管轄の垣根を越える可能性を持っていた。同時に、その影響力には地理的、時間的限界があったと思われる。影響力の及ぶ範囲はチャリティ施設の周辺に留まっていたであろう。また1680年代頃までに、地域の状況変化を背景として、チャリティ運営を通じた住民からの支持獲得は困難になっていたと考えられる。
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