サイフォンを持たない三角貝はcorbiculoidの出水管・入水管に相当する機能を, エリアの内部形態の構造(たとえばエリアの形態・エリアの中央内肋など)を変えることによって, 出水部・入水部としての機能を獲得していった事は確実であろうと思われる.本邦白亜紀三角貝に共通している特徴は, 沖合泥底に生息する種に比べ, 浅海・極浅海生の種ほど出水部に対し入水部が巨大化する事である.しかし出・入水部をパイプ状に分離しようとするエリア中央内肋は, 下部白亜系の種では, たとえば, Nipponitrigonia, Rutitrigoniaなどの浅海・極浅海種でも不完全である.逆に言えば, その時点までは, その機能を高度化する必要はなかったのであろう.Pterotrigonia類でも, 浅海生種では, 出・入水部の機能はエリアの部分だけで果たしている.一方上部白亜系の極浅海・浅海種では, 入水部の巨大化と共に, 中央内肋が良く発達し, 出・入水部がパイプ状になり, 種によっては完全にパイプ化している.しかし, 沖合泥底の種では, 下部白亜系の種とさほど違いがみられない.したがって, 浅海生種ほど, また後期白亜紀の種ほど, 出・入水部の発達が顕著である事が判る.三角貝のエリアの装飾が, その古生態にどのような役割を果たしていたのかについては, 白亜紀三角貝を観察する限りでは, よく判らない.白亜紀では浅海・極浅海生の種ほどエリアの装飾は消失していて, 泥底沖合生の種には明瞭に残されている.中生代初期の覇者的存在であった三角貝のエリアの装飾は, ほぼ殼全体を潜没させていた段階では, なんらかの意味をもっていたものと思われる.しかし, 白亜紀後半の三角貝が, エリアを突出させる生息姿勢をとりはじめた時, そのエリアの装飾は無用の長物化してしまったものと思われる.三角貝の生息姿勢に関しては, 筆者らの考察は, これまでの考察, たとえば, 本邦のPterotrigonia, Nipponitrigoniaに関する中野(1970)による復元, 北アメリカのYaadiaの種に関したSaul (1978)の復元とは, かなり違った結論となった.また, ディスクの肋の配置に関してはStanley (1978) の提唱に対する問題点を指摘した.本邦の白亜紀三角貝の潮下帯沖合泥底に生息する種については, 中生代初期三角貝類のその生息姿勢を変えることなく引き継いでいる.しかし, 浅海潮間帯の種では, 時間の経過と共に, また, 極浅海に生息する種ほど, 殼頂の潜没深度は浅く, 種によっては, ほとんど海底面に露出させる生息姿勢へと変移している.このことは, 現生の内生二枚貝が一般に浅海のものほど, サイフォンを長く海底面上に突出させているのに似ている.このような三角貝の生息姿勢の変化は, おそらく白亜紀中期から急増するveneroid二枚貝, なかでも出・入水管を完備したcorbiculoid (Veneracea, Mactracea, Tellinacea等)との競争に対抗するための三角貝の適応戦略であったのであろう.エリアの中央内肋が不完全であった三角貝Nipponitrigonia, Rutitrigoniaは中期白亜紀では消滅し, 中央内肋の発達に活を求めたYaadia, Pterotrigonia, Apiotrigonia類は, 殼後半をcorbiculoidのサイフォンに似せる事によって対抗した.しかし, 新生界ではさらに増加するveneroidの敵にはなりえなかったのであろう.そして, それぞれの生息環境から駆逐されてしまった.中生代には捕食性動物の勃興と関連して, 二枚貝にサイフォンが発達して内生に移行したと言われている(例えば, Stanley; 1978)が, 三角貝は早くから内生であった.従って, 三角貝の衰退・絶滅は, このような直接の捕食圧というより, 間に合わせの適応が不利に働いて, 本格的なサイフォンをもって内生として侵入してきた他の二枚貝との競争に敗れたと考えられる.これらの三角貝が選んだ適応戦略のための形態変化は, その祖先型が, いずれも同心円肋を持ったTrigonia (s. s.)やFrenguelliellaにあらわれている事があげられる.一方, 中生代初期に出現した放射状肋をもつ三角貝(例えば, Minetrigonia, Perugonia)は, 現生三角貝(Neotrigonia)や第三紀三角貝(Eotrigonia)の形態とさほど大きな違いは認められない.これらは, おそらく, Cardium類やAnadara類に似た全体形や表面装飾とその生息姿勢を持って, 比較的に限定された生息環境の中で生き延びてきたものであろう.
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