忍者研究
Online ISSN : 2433-9008
Print ISSN : 2433-8990
2023 巻, 6 号
選択された号の論文の17件中1~17を表示しています
表紙等
査読論文
  • 新出史料「杣中木村本家文書」から
    磯田 道史
    2023 年2023 巻6 号 p. 1-14
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/09/01
    ジャーナル フリー
     二〇一七年十一月に「杣中木村本家文書」がみつかった。既存の関連史料を突き合わせ、本稿で は、尾張藩忍役人である甲賀者五人の成立過程、勤仕、家計・経済や諜報活動の実態を明らかにす る。尾張藩には甲賀者十七人がいたが廃絶し、その後、寛文十二年(一六七二)の初代・木村奥之 助の召し抱えをきっかけに、甲賀五人が成立した。奥之助は、甲賀の在所に帰り、「家軍」を伝え る家々の者たちと契約を結んでいる。甲賀五人が名古屋にきて射撃訓練をする際には、旅宿まで見 舞いに出向き、家督相続があるときは嫡子とともに甲賀まで行って儀式を行うなど、丁重に遇し た。城下に住んだ奥之助家は生活費や、甲賀五人を自屋敷に滞留させるなどの費用がかさみ、窮状 を訴えるに及んでいる。諜報活動については、初代・奥之助は慎重な見方をもっていたようで、彼 の死後の享保八年(一七二三)から、七代藩主・宗春隠居謹慎の元文四年(一七三九)までの十六 年間において最も活発であった。
  • 足利義昭と徳川家康に仕えた伊賀
    上島 秀友
    2023 年2023 巻6 号 p. 15-28
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/09/01
    ジャーナル フリー
     『寛永諸家系図伝』によると、服部保次の生国は伊賀で、徳川家康の伊賀越えを助けた功で鉄砲同心五十人を預かったという。「服部介」宛など、保次拝領と思われる文書の写しが内閣文庫に残っているが、これまで足利義輝関係のものとされてきた。しかし徳山稔家文書と照合すると、足利義昭関係のものであることが分かる。また「服部同名中」宛のものがあることなどから、服部要介(介)を甲賀衆とする説があるが、各文書をみる限り、甲賀衆と断定することはできない。また義昭に対する働きから『寛永伝』の永禄八年に家康に仕えたとの記事は成立しない。多くの伊賀者由緒関係文書は、家康は大和から伊賀に入った点で共通し、保次と思しき「服部仲」が家康を助けたという。この大和越えは『当代記』等、多くの史料に記されているが、通説の前に否定され、 「服部仲」も無視されてきた。大和越えの蓋然性を確認し、併せて、伊賀越えにおける保次の働きを再検証すべきと考える。
研究ノート
  • 上田 哲也
    2023 年2023 巻6 号 p. 29-40
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿は忍びの家督相続に関する研究の一事例として本多家を取り上げ、忍びの相続や供給源についての考察を行う事を目的とする。基礎史料として活用したのは、本多家に仕えた家臣の先祖書をまとめた『本多家岡崎藩分限帳』である。この分限帳を分析した結果、家督相続の開始から百年後には一般藩士同様に、忍びの家筋でも養子による相続が無ければ家の存続が不可能であった事が明らかになった。また、役替えの発生により、忍びから他の部署に配置転換されるケースが多かった事も判明し、忍びの職務を世襲し続けるのは難しかった事が明らかになった。  忍びの供給源に関する考察では、本多家に仕えた忍びの多くは、本多忠勝の出身地である三河国、本多家の転封先、旧領地から召し抱えられていた事が明らかになった。また、忍びの養子については、足軽や同心、同僚の子息から得るケースが多かった事が新たに判明した。
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