獨り消化管のみならず, あらゆる部位に於ける手術に於て先づ手術死の危險なく病氣を治癒せしむると云ふ方法は第1の努力で最善のものであると云ふことは勿論でありますが, 若しこれと等しい結果が達せられるとするときは次に起る考は手術による局所破壌の後に來たる建設が最も自然其のままに近い状態に域形し其の位置を排列整頓し, そうしてそれによつて生物機能が軍に局所のみならず心身共に全體に對する影響から見て自然的に行はるる様な方法は最も擇澤的な理想的な方法と云ふ事が出來ましやう.私の生理的手術と提唱したのも即ちこの自然の状態に復歸せしめんとする理念から出たものであります.
勿論我が準據して來た歐米の手術方法には凡てこの様な考へ方が行き互つてゐるには相違ないのであります。然るに今私の之れを特に強調致しまする所以は更にこの上に我々のもつ東洋的な性格から生れて來るもつと強い自然的な總合的な考を加へてこの歐米の方法と融合してここに我々の特徴ある方法を工夫して行きたいと云ふ希望からであります.この觀點から歐米の方法を仔細にふり返つて見まするとそこに澤山の改良すべき手術方法が生れて來ると思ふのであります.
例へば肺結核に於ける胸廓成形術と申しても肺室洞を消滅せしめんとする方法としては良い方法には相違ありませんが澤山の肋骨を切除して病竈のみならず健康肺をも萎縮せしめたり著しい胸廓の變形や呼吸機能0不全を起す様な手術方法は理想法とは云ひ難く次々にもつと自然的な生理的方法にかはるべきだと考へます.
消化管に於ても私は次の目次表の様な手術方法を工夫して見たのであります.これを凡て演べることは時間の關係上不可能でありますからこの中の (丸標) をつけた條下の方法に就て述べて見たいと思ひます.
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