社藝堂
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10 巻
選択された号の論文の10件中1~10を表示しています
  • 日下 淳
    2023 年10 巻 p. 3-18
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/11/10
    ジャーナル フリー
    筆者は過去 30 年以上、新聞社などで国際報道や国際情勢の分析に関わってきた。東⻄冷戦の終結から最近の新型コロナ感染拡⼤、ロシアのウクライナ侵攻まで様々な動きを⾒てきたが、流れの中で芸術に関係するニュースに注⽬した場⾯も少なくない。そうした事例は、芸術の役割や機能、社会との関係について、幾多の問いを投げかけてきた。⾃⾝の体験をベースに、国際ニュースの視点からみた芸術と社会・世界の関わりについて考えてみたい。 なお、芸術の定義や範囲は必ずしも明白でないが、マスメディアにおける言葉使いはかなり曖昧かつ雑駁だ。芸術と文化、アートなどの言葉が混同して使われることも多い。本稿の記述にはメディアからの引用も含まれるが、 一読の際にはそうしたメディアの実情も留意していただきたい。
  • 米田 明
    2023 年10 巻 p. 19-44
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/11/10
    ジャーナル フリー
    本覚書では、19世紀後半から20世紀初頭にかけて「近代建築」(modern architecture)が潜在的に「歴史性」(Geschichtlichkeit)という概念の媒介によって、「現代建築」(contemporary architecture)へと変容していった経 緯を概観する。潜在的にという⾔葉を使うのは、現在から⾒た事後的な形容だからで、19世紀後半当時、⻄欧の建築の分野で建築家、あるいは建築史家の念頭にあったのは、⼈間の精神活動とは切り離された外⾒上の建築様式 にまつわる歴史性(Historizität)であり、本覚書で扱うような「精神科学」(Geistewissenschaften)に付随する新しい概念として「歴史性」を同時代的に認識していた可能性は低い。少なくとも建築論、あるいは建築史の記述において「歴史性」への⾔及を⾒いだすことは困難である。しかし「歴史性」概念の形成と並⾏して、またその登場の背景となった歴史状況に対する類似した思考回路を介して、「近代建築」の認識が変容していったことは事実であり、後代からはむしろ「歴史性」という概念が建築の概念史的変化にあたかも介在していたように⾒える。そこで本覚書では、「歴史性」が形成された背景と近代建築が批判的に認識されるようになった状況の共通の思想的源泉に遡る。そして「近代建築」から「現代建築」へ変容する経緯を、「歴史性」の形成過程を概観しつつ、両者の内的関係からの理解を試みる。
  • 伊藤 徹
    2023 年10 巻 p. 45-60
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/11/10
    ジャーナル フリー
    是枝裕和の監督作品《そして⽗になる》が映像化した「家族」のイメージを、ポスト⾼度経済成⻑期の家族イメージのひとつとして位置づけたうえで、他の作品とも共通してもたれている撮影⼿法に着⽬することによって、このイメージに含まれている⽣の感覚、統⼀的なストーリーに回収されない⽣の肌触りを賦活させようと試みた。このことが筆者にとっての歴史理解を巡る哲学的問題構成、すなわち意味化されない事実性の問題とつながることを、本論は冒頭で確認している。
  • 相米慎二試論 (4)
    檜垣 立哉
    2023 年10 巻 p. 61-76
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/11/10
    ジャーナル フリー
    本稿は、これまで(1)から(3)と時代を追って書き綴ってきた相⽶慎⼆試論の最終稿をなすものであり、2001 年の相⽶の死の前に撮影された『あ、春』『⾵花』という⼆作品の、相⽶映画のなかでの特殊性をとりあげ、「晩年」なきこの映画監督の、⾮⾃覚的ではあれそれなりの形をなした「仕舞い⽅」について論じる。この⼆作品は、相⽶映画の中⼼である 1980 年代の⼥優たちの「中年期」をことさらにとりあげ、ある種の「中年の時間」とその緩慢な危機を撮るものであるが、相⽶の突然の死によって、意図的せざる「最後の作品群」になっている。そこでの相⽶のあり⽅と、後の世代への連携についても触れる。
  • 「生の哲学」からクラカウアー『映画の理論』を解読する
    荻野 雄
    2023 年10 巻 p. 77-96
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/11/10
    ジャーナル フリー
    本稿は、近年再評価が進みつつあるジークフリート・クラカウアーの 1960年の作品『映画の理論』を、ジンメルの⽣の哲学を参照枠組にして読み直し、副題にも掲げられている「物理的現実の救済」とはいかなる事態を意味しているのかを明らかにする試みである。クラカウアーは、「⽡礫の散乱した世界」という近代批判の図式の中で映画を考察し、⼈間の「縮⼩した⾃我」に⽣の経験を回復させることに映画の使命を認めたのだった。
  • ある高校英語教師の「家で仕事をする」あり方
    伊藤 翼斗
    2023 年10 巻 p. 97-118
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/11/10
    ジャーナル フリー
    本研究の⽬的は、教師の専⾨性の議論からは除外されてきた⼀⾒「⽬⽴たない」⾏為を分析対象にし、解釈学的現象学のアプローチによって、その成り⽴ちを明らかにすることで、教師の専⾨性に対する捉え⽅を拡⼤することである。インタビュイーの岸さんは家で仕事をする必要がある⽇は仕事をするためにスイッチのオンオフを切り替えるということを⾏なって いた。また、スイッチのオンオフの切り替えは岸さんの職業倫理に関わるものでもあった。「⽬⽴たない」⾏為は教師の専⾨性と関わっており、このような⾏為にも⽬を向けなければならないだろう。
  • 鑑賞から創作へ
    平田 公威
    2023 年10 巻 p. 119-134
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/11/10
    ジャーナル フリー
    本稿は、ジル・ドゥルーズの最初と最後の主著と⽬される『差異と反復』と『哲学とは何か』を対象に、その芸術論を研究するものである。具体的には、まず『差異と反復』の芸術論を検討し、それが芸術作品との衝撃的な出会いを扱う鑑賞の理論であることを⽰し、その芸術外的な観点ゆえの限界を指摘する。そのうえで『哲学とは何か』を検討し、『差異と反復』を乗り越えるような、芸術内的な創作論の意義と内実を明らかにする。
  • 細井 綾女
    2023 年10 巻 p. 135-160
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/11/10
    ジャーナル フリー
    En 1932, Kiyono Kenji écrivit une série dʼarticles sur lʼobservation « scientifique » des parties génitales dʼune femme criminelle. Les arguments de ce médecin de renom concernant le sexe de la criminelle furent basés sur « lʼanthropologie criminelle ». Or, ses articles soi-disant « sérieux » firent lʼobjet de la censure. Nous allons décortiquer lʼaffaire Kiyono, afin de dévoiler l'hypocrisie et le délire du monde « académique » au Japon du XIXe-XXe siècle.
  • 20世紀以降の物語バレエにおけるプティパからの脱却
    小林 園子
    2023 年10 巻 p. 161-182
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/11/10
    ジャーナル フリー
    バレエが「物語」を表すためには、いくつかの⽅法が存在する。マリウス・プティパの⼆分法は、物語と舞踊を作品中で両⽴するものであった。⼀⽅プティパ以降の時代のバレエ作品は、バレエの⽂脈による“再現”によって物語を説明した。“再現”がいかに⾏われてきたかを追うことで、今⽇のバレエが、バレエと認識されながら同時に物語を伝達するべく、いかなる動きで踊るのかを明らかにする。そしてそこでは“再現”の⼿法を得た今もなお、プティパスタイルが潜在的に意識され続ける実態も明らかになるであろう。
  • 九鬼周造と中井正一の隔たりについての思想
    織田 和明
    2023 年10 巻 p. 183-199
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/11/10
    ジャーナル フリー
    本論⽂では九⻤周造と中井正⼀のそれぞれの「いき」の⽐較を通じて⼆⼈の間の思想的関係を分析し、昭和前期における京都の美の哲学の系譜の⼀端を明らかにする。両者はともに「いき」を江⼾期に典型的な「息」に通じる⽇本の⽂化の根本とみなしている。しかし九⻤は「いき」の平⾏線によって隔たりを保つことを主張し、中井は「いき」を合わせて隔たりを越えて脱出し、ほんとうの⾃分と邂逅することを求める。両者の思想の間で隔たりを柔軟に調整しながらしなやかに⽣きていく個⼈の新しい共同体論を模索していくことが私たちの今後の課題である。
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