本稿の目的は、マックス・ヴェーバーによる『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』研究におけるデータ処理を事例にして、行為論的分析に含まれる「経験的実証研究と社会学理論との新たな対話」の可能性を明らかにすることにある。
行為論的分析の典型的事例として、隣人愛の変容を扱った『プロ倫』の本文と注を検討した。本文では、まず文化的意義をもつ卓越した社会組織が研究対象として設定され、この結果を産み出した信仰者の行為の主観的意味が教義書から定式化され、信仰者が必ずしも意識していない人間に対する無関心によって卓越した社会組織が形成されたことが経験則と観察者の観点との組み合わせで説明されていた。注では、本文で示された隣人愛の特性を例証する事実群が示され、これらが「隣人愛の非人格化」という観点から統一的に理解可能であることを明確にして、断片的事実を典型例に転換するモノグラフ形式の理論の存在を確認した。
ここで検討した事例に見られる「経験的実証研究と社会学理論」の関係は、R.K. マートンが提唱した「中範囲の理論」のような理論構築上の関係ではなく、多様な事実を具体性のままに統一的に理解可能にする観点の提示を特徴とするものであり、ここにもうひとつの「経験的実証研究と社会学理論との新たな対話」の可能性がみられる。
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