Ⅰ はじめに
国家やエスニック集団の記憶は,そのアイデンティティ形成に重要な役割を果たしており,それらは博物館やイヴェントを通じて強化され,継承される.たとえばカナダでは,実質的な建国記念日であるカナダ・デーを祝うイヴェントが首都オタワの連邦議会議事堂前広場において総督や首相が出席する国家行事として開催され,二言語主義や多文化主義といったカナダの国是に沿った演出がなされてきた(大石 2019).エスニック集団の記憶も,たとえば矢ケ﨑(2018)がアメリカ合衆国におけるさまざまな集団の事例を検討し,移民博物館やエスニック・フェスティヴァルがその記憶と継承に大きな役割を果たしていることを示した.本報告では,カナダ東部の沿海諸州(ノヴァスコシア州,ニューブランズウィック州,プリンスエドワードアイランド州)のフランス系住民
アカディ
アンの記憶とその継承を,5年ごとに開催される世界
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アン会議に注目して検討する.報告者は,2014年開催の第5回および2019年開催の第6回世界
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アン会議に参加していくつかのイヴェントを観察するとともに,関連資料を収集した.
Ⅱ
アカディアンと世界アカディ
アン会議
アカディ
アンはカナダの沿海諸州に居住するフランス系住民であり,北アメリカに入植した最初のヨーロッパ人であるフランス人入植者の末裔である.18世紀にイギリスの支配下に入って以降,英語への同化が進んでしまったが,フランス語が英語と並ぶ公用語となっているニューブランズウィック州を中心に,現在もフランス語を母語として維持している.そこで一般には,統計的に把握しやすいこともあって,沿海諸州に居住するフランス語を母語とする者を
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アンとみなす場合が多い.ただし,沿海諸州のフランス語話者にはケベック州出身者が一定程度含まれる一方,同化されてしまった家系にも
アカディ
アンとしてのアイデンティティを維持する者が存在する.
アカディ
アンの先祖であるフランス人入植者は,1755年にイギリス植民地当局によって入植地(現在のノヴァスコシア州)から追放された.この「ディアスポラ」体験は,今日まで彼らのアイデンティティの核となってきた.また,19世紀末の一連の
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アン・ナショナル会議で選ばれた象徴(守護聖人,旗,歌など)も,
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アンのアイデンティティを今日まで支え,また可視的なものとしてきた.
世界
アカディ
アン会議は,入植400周年を10年後に控えた1994年に第1回が開催されて以来,
アカディ
アンが居住する各地をホスト地域として5年ごとに開催されている.
Ⅲ
アカディ
アンの記憶と継承
報告者が参加した第5回はニューブランズウィック州北西部を中心にアメリカ合衆国とケベック州の隣接する一部の地域を,第6回はプリンスエドワードアイランド州とニューブランズウィック州南東部をそれぞれホスト地域として開催された.興味深いのは,それぞれのホスト地域とのかかわりで
アカディ
アンのアイデンティティが再確認されることである.すなわち,世界
アカディアン会議はアカディ
アンのアイデンティティを統合・強化するのみならず,居住する各地を参加者らに展示する役割をも担っている.
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