はじめに: 森林の分断化や攪乱によって、樹木の個体群構造や、送粉、種子散布などの生物間相互作用系も変化する。こうした変化が樹木の個体群維持におよぼす影響は、樹木の送粉型(風媒、虫媒)と種子散布型(風散布、鳥散布、動物散布)や、送粉者・種子散布者の特性の違いに対応して異なるだろう。森林の分断化や断片化が樹木の個体群維持におよぼす影響をメカニスティックに評価するためには、個体サイズや性表現を考慮した空間分布特性(樹木密度)や訪花昆虫、繁殖の空間スケールなどの生物間相互作用系を規定する諸因子を、それぞれの樹種について明らかにする必要がある。 今回の発表では、断片化した森林での
イタヤカエデ
(虫媒・風散布)個体群を対象として、1)成熟林分、断片化林分での
イタヤカエデ
成木の空間分布(樹木密度)の把握し、2)樹木密度や個体の特性(個体サイズ、性先熟性)が、種子の発達過程における各イベント(受粉・受精や種子食害など)に与える影響と、その影響がおよぶ空間スケールを評価する。方法:1)茨城の小川群落保護林(成熟林分)と、それに隣接する保残帯(断片化林分)において、
イタヤカエデ
の成木(繁殖可能個体)の位置と、性先熟性のタイプ、DBHを記録し、同サイトでの
イタヤカエデ
分布図を作成した。2) 分布図を元に、各個体を中心にした周囲200×200m、50×50m以内の同種成木本数を計数し、それらの値を全体密度(本/ha)、局所密度(本/ha)として換算した。3)開花結実フェノロジーの調査のため、3個体の樹冠部で、花序と種子の観察・採取を5月__から__11月まで行った。4)10月__から__12月に同サイト内の17個体について種子採取をし、周囲の全体密度と局所密度、性先熟性のタイプ、DBHの異なる個体間で、しいな、腐り、虫害、充実種子率の比較をした。結果・考察:1)
イタヤカエデ
成木の空間分布 保残帯として断片化した林分では、
イタヤカエデ
成木の密度が非常に低い場所がある一方で、逆に高い場所(全体密度0.3__から__9.8本/ha、局所密度4__から__108本/ha)があることがわかった。また、他のカエデ属で報告されているように、
イタヤカエデ
もやや複雑な雌雄異熟性を示し、個体群内に、雌雄、雄雌、雄雌雄の順に小花が咲く、あるいは雄花だけ咲かせる、という4つのタイプがあった。さらに、各タイプの個体は空間的に混在していた。2)樹木密度、個体特性と種子の発達・死亡との関係
イタヤカエデ
成木の全体密度は、どの種子発達・死亡要因とも関係が示唆されなかったのに対して、局所密度が高い場所での個体は、低い場所の個体よりも、有意にしいな率が低下するが、腐り率(菌害と生理的死亡含む)は高くなった。このことから、局所密度が高いところでは花粉制約が軽減されるが、なんらかの密度依存的な死亡がおこると思われる。 有意ではないが雌先熟個体の方が、雄先熟個体よりも、しいな率が低く充実率も高い、つまり、前者の方が後者よりも種子生産効率が高い傾向にあった。
イタヤカエデ
においても、オニグルミのような性先熟性の違いによる個体群内の繁殖役割の分化があるかもしれない。また、DBHが大きい個体ほど種子充実率が有意に高かったが、DBHの違いによるしいな率や腐り率などの差はみられなかった。このことから、親個体の資源量は受粉・受精後の種子充実(胚成長)には重要だが、受粉・受精や死亡要因には直接影響しないと考えられる。 一方、今回検討した樹木密度や個体特性の違いによる虫害率の差はみられなかった。散布前の種子食害昆虫の分布や頻度は、同種成木密度や個体サイズ、性先熟性以外の要因で決定されるせいかもしれない。 以上のように、周囲の同種成木密度や個体の特性が樹木の繁殖に与える影響は、種子発達過程の各段階によって異なることがわかった。
抄録全体を表示