1.研究目的
乾燥・半乾燥地域の自然環境は,乾燥気候と水資源の希少性だけでなく,地形など諸々の要因に起因する,水や土地生産性の時間的・空間的偏りなどによっても特徴づけられる.灌漑などにより,その偏りを人工的に変えることで農業生産性向上が図られてきたが,その過程で様々な問題も発生してきた.水や土地の利用に直接かかわる,農牧業変遷を様々な角度から分析し,それがどのように変化したか,あるいはそれによってどのような問題が起こったかを,実態に即してとらえなおすことは,乾燥・半乾燥地域の自然環境と人とのかかわり方を考える上で不可欠な作業である.
中央ユーラシア乾燥・半乾燥地域の農業について考えるとき,旧ソビエト連邦の果たした役割を軽視することはできない.アラル海流域における綿花栽培などのように,ソ連時代には農業生産部門における地域分業構造が形成された.それがそれぞれの地域の農業や土地・水資源の利用に与えた影響は大きかったといえる.加えて,カザフスタンの場合は,他の連邦構成共和国の需要を満たすための「過剰生産能力」が存在していたため,ソ連崩壊後の共和国間の経済的連関の断絶により,以前なら輸出されていた農産物が大量に滞留し,より深刻なダメージの原因となったとされる(野部,2007).
本報告では,アルマトゥ州パンフィロフ地区の,トウモロコシ採種業を専門とした旧「10月革命40周年記念」
コルホーズ
を取り上げる.
コルホーズ
において,どのような開発が行われてきたのかという点に加え,種トウモロコシ栽培に焦点をあてて,その分業構造形成の背景や,それが地域に与えた影響について報告する.
4.「10月革命40周年記念」コルホーズ
の開発史
4.1農業開発と景観変化
対象地域周辺には,集団化の時期に1929年~30年にかけて,複数の
コルホーズ
が創出された.これらが合併・名称変更を繰り返したのち,1957年に「10月革命40周年記念」
コルホーズ
となった.
アルマトゥ古文書館所蔵資料や聞き取り調査によると,この地域に種トウモロコシ栽培が導入されたのは,
コルホーズ
名称変更前の1956年のことで,それ以前にはトウモロコシ栽培はほとんど行われていなかったようである.本格的農地開拓もこの時期に始まり,はじめに扇状地が農地へ転換され,さらに1970年代には,扇状地以外の場所(イリ河河畔の砂地など)へと開発が広がっていった.
結果,本地域では扇状地の農地化に加え,栽培作物の転換という大きな景観変化が起こることになった.
4.2.種トウモロコシ導入の背景と地域分業
種トウモロコシ導入の背景としては,フルシチョフ農政初期における畜産振興があげられる(中川,1976).畜産振興のためには,飼料問題の解決が不可欠であり,飼料作物の栽培が奨励された.ところが,ソ連邦の北部や東部は気候条件の制約から,ほとんど青刈りの状態で飼料にされた.このため,飼料を栽培するための種を別の地域で栽培する必要性が生じ,本地域で採種業が導入されることとなった.
本地域では地域外での消費を目的とする作物が生産開始され,モノの流れが大きく変化することとなった.また地域分業の一要素として,それぞれを結ぶネットワークに依存する農業への転換でもあり,ソ連崩壊後の,この地域における農業生産の縮小の要因は,この時期に作られたといえる.
本研究は,総合地球環境学研究所・研究プロジェクト『民族/国家の交錯と生業変化を軸とした環境史の解明―中央ユーラシア半乾燥域の変遷(リーダー:窪田順平)』による成果の一部である。
文献)中山弘正(1976):『現代ソヴエト農業』/錦見浩司(2004):農業改革-市場システム形成の実際-.岩?一郎・宇山智彦・小松久男編著『現代中央アジア論-変貌する政治・経済の深層-』201-226./野部公一(2003):『CIS農業改革研究序説-旧ソ連における体制移行下の農業』/野部公一(2007):縮小から回復に転ずるカザフスタン農業-経済体制転換後のあゆみ-.「ユーラシア研究」37:28-33.
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