背景
本発表は、先日、地理学評論上の書評でいただいたご批評を受けてのものである。
本発表では、その批評を受け、私どもがどのようにして、その「原石らしき物」を見つけ、そして、それを私がどのようにして石ころへと変貌させたのかを説明する。
方法
本発表のための研究期間は、平成24年4月から、令和2年3月に至るまでの8年間である。研究方法は、その間に行ってきた池谷さん(国立民族学博物館)との長い対話の分析になるだろうか。
結果
詳しい指導の方針は、池谷さんに聞いてみないとわからないが、8年間を振り返ってみると研究当初より、私には人類学的な視座より、人間の作り出す環境について論ぜよという課題を与えられていた。池谷さんは、それを自身の地理学的な学識をもって批判し、対話を深めていくという一風変わった指導の形であった気がする。
こうした奇妙な形の指導方法のためかはわからないが、私たちの主張は、真逆になる事が実に多かったように思える。私たちは、いかなる場所においても、互いの弱点を突くような攻撃的なコメントを選んだ。
私は、池谷さんはなぜ、こちらの言うことを理解してくれないのかと悩んだことがあった。そして、それは数え切れない数に上った。それは池谷さんも全く同じであったと思う。そして、こうした互いを傷つけあうような状態がとても長く続いた気がする。
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池谷さんの指導は、モスキート海岸をはじめ、アマゾン川やアドリア海など、場所を選ばなかった。私たちはそうした場所で長年、対話を積み重ねていった。
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いつの頃だったか忘れたが、そうして会話し、共に歩みを重ねるなかで、私と池谷さんとの対話には、リズムのような物が生まれていった気がした。違う楽器を一緒に鳴らして刻むような感じで、軽快なものである気がする。
そのようにして、私どもはそのリズムにのって、評者の言う「原石らしき物」を発見した。
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私どもは、こうして実に長きにわたる歩みを経た。しかし、私は書籍化の最終段階で、自らのエゴイズムを過度に表現することを選んだ。
評者が言うように、石の磨き方を間違えたような分析をしているとするならば、その部分であろう。そのような裏切りにも似た行為によって、「原石らしき物」は、ただの石ころになった。
だから、このように言うこともできる。「原石らしき物」は、池谷さんが見つけたのである。原石や鉱脈は、極めて優秀な
地理学者
にしか発見できない物である。それが出来たのは、私ではない。
結論
書評でのご批判は全て正しい。評者が指摘するように、書籍には間違いが多く、過大評価しすぎである。
しかし一方で、私たちにはその書評によって、対話らしきものが生まれた。評者は、先日の合評会で、その対話を地理学と人類学をつなぐ架け橋のようなものだと表現した。評者は書評を用いて、その重要性を遠まわしに示唆してくれているのだと思っている。その点に私は賛同したい。
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長くなってしまった。このような書評への返答でご容赦いただけるかどうかはわからないが、随分ともったいないものをいただいてきた8年であった。心より感謝を申し上げたい。
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