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クエリ検索: "地理学者"
5,915件中 1-20の結果を表示しています
  • *鈴木 隆介
    日本地理学会発表要旨集
    2009年 2009s 巻 S401
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/06/22
    会議録・要旨集 フリー
    複数の事象(例.地形,地質,植生,土地利用,強雨発生確率,積雪量)の分布図の重ね合わせやメッシュ法での相関グラフを論拠とする程度の地理学的な防災論は,予算配分には有力でも,任意地点の防災対策には無力に近く,その地点の属性を地形学公式で表現しうるレベルで正確に把握することが不可欠である.
  • 陳 正祥
    地学雑誌
    1957年 66 巻 4 号 257-260
    発行日: 1957/12/30
    公開日: 2010/02/25
    ジャーナル フリー
  • 姜 蘭虹, 周 素卿
    人文地理
    2006年 58 巻 6 号 557-571
    発行日: 2006年
    公開日: 2018/01/06
    ジャーナル フリー

    台湾の

    地理学者
    は,5つの地理学科とさまざまの社会科学および教育関係の諸学科に所属している。
    地理学者
    の数は少ないけれども,その研究業績は中国語による主要な5雑誌と英語圏のいくつかの国際的雑誌によく示されている。この論文では,上記の諸学科の発展を要約する他に,主要な大学に所属する
    地理学者
    の専門領域を紹介し,1996年から2005年までの研究業績を検討した。そして,人文地理学の発展を分析するために,計量文献学的なアプローチを用いた。この分析に関しては,人文地理学会の主題分類法を使用した。

    地理学的研究は英語圏の諸国,ことに台湾の

    地理学者
    の多くが学位を得たアメリカ合衆国やカナダのプラグマチックな研究動向の後を追うと同時に,台湾の社会変化を反映したものであった。
    地理学者
    は,人文地理学の新たなパラダイムに導かれながら,1990年代になると他の社会科学者と共同するようになり,その結果,研究者の関心はとりわけ経済,都市,社会,そして人口地理学などの異質の分野に分散することになった。実証的研究が多くを占めているけれども,研究された全てのテーマで社会的適切さが示された。人文地理学の将来の発展は,一層の学際的協力,海外の研究者との共同,そして伝統的な研究テーマと方法論を打破する若手研究者の実践にかかっている。

  • 吉野 正敏
    地理学評論 Series A
    2013年 86 巻 5 号 466-468
    発行日: 2013/09/01
    公開日: 2017/12/08
    ジャーナル フリー
  • ポコック D.
    地理科学
    1991年 46 巻 1 号 41-50
    発行日: 1991/01/28
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 地学雑誌
    1914年 26 巻 11 号 887a-888
    発行日: 1914/11/15
    公開日: 2010/12/22
    ジャーナル フリー
  • リー ボントン
    人文地理
    2008年 60 巻 6 号 482-500
    発行日: 2008年
    公開日: 2018/01/06
    ジャーナル フリー

    マレーシアにおける人文地理学は,クアラルンプールにあるマラヤ大学において,1959年に始まった。教室の外国人

    地理学者
    とマレーシア人研究者からなる初期のパイオニア達は協力しあい,教室は1970年代から80年代を経て90年代にかけて,絶頂期を迎えた。その後,英語を使用しない教員の採用や年長の人文
    地理学者
    の退職と代替雇用の政策的な遅延,それから教室規模の縮小などがあったために,少数の人文
    地理学者
    の研究活動は盛んであるが,以前ほどの隆盛はない。マレーシア国民大学(UKM)とマレーシア科学大学(USM)の2つの地理学教室は,総合的で学際的なプローチを採用したので,人文地理学の役割と機能は,むしろ限られたものとなった。例えば,UKMでは人文地理学のコースが他の学問分野と再統合され,地理学科は学科の中の1つのプログラムに変更されてしまった。このような多分野の統合は,USMの人文地理学の研究と出版活動も変質させた。マレー語による論文公表の拡大は,人文
    地理学者が世界の人文地理学者
    集団に参加したり,あるいは突出することを制限するように作用した。その他のマレーシアの大学では,人文地理学は人文および社会科学の中で重要な役割は果たしていない。最後に,高等教育機関における地理学専攻の学生数の減少は大きな課題であり,中等教育機関で地理学が必修化されなければ,人文地理学が持つ本来の価値とその貢献度が,充分に実現することはないだろう。

  • 荒又 美陽
    都市地理学
    2015年 10 巻 116-122
    発行日: 2015年
    公開日: 2019/04/07
    ジャーナル フリー

    【訳者解題】本稿はカヴァリエ・ブルー社から2007 年に出版された『私はどうして

    地理学者
    になったのか』の 一章を訳出したものである.この本では,1930 年代から1960 年代生まれまでの12 人の
    地理学者
    が,それぞれなぜこの分野を選んだのか,またどのように研究を進めてきたのかを語っている. カヴァリエ・ブルー社は同様のタイトルのシリーズを作っており,
    地理学者
    の巻は最初に出版された.シリーズに歴史学や社会学が入っていないことは重要だろう.編者のシルヴァン・アルマンは,「はじめに」の中で,他の社会科学と比べてこの学問分野の研究者や学生数が少ないことに言及している.フランスにおける地理学のプレゼンスは日本と比べればかなり大きいが(本書によれば,2005 年のデータで社会学の学生が約17,000 人なのに対し,地理学は12,000 人程度とのこと),それでも地理学はその内容が想像しづらい分野だということである.本書は,研究者になった人たちがどのように地理学を選んできたのか,そこで何をしてきたのかを示し,さらには付録の中でどこで勉強できるのか,どういう仕事につながりうるのかまで解説している.地理学か,歴史学か,社会学か,迷った学生たちが手に取り,自分の思いと比較しながら読んでいるところが想像できる. とはいえ,日本の学界からみたこの本の価値は,世界的に著名な人物から比較的若い研究者まで,フランスの
    地理学者
    の道程の一部を見ることができるということだろう.そこには,日本や英語圏の
    地理学者
    とは異なる関心や思考の広がりがあり,またそれが本人によって非常に明快に語られている.この12 人でフランス地理学が見て取れるとは言えないが,彼らの研究動向から知的好奇心を刺激されることは少なくない. 『都市地理学』への投稿に当たり,日本でもよく知られたポール・クラヴァルの章を訳出した.彼の手がけた地理学の広がりとともに,重鎮ともいえる学者の若いころの「脱線」なども含め,学会員の関心も高いと考える.日本語には訳されていない『都市の論理』についても概略を知ることができる.

  • 二村 太郎
    地理学評論 Series A
    2009年 82 巻 5 号 495-498
    発行日: 2009/09/01
    公開日: 2011/08/25
    ジャーナル フリー
  • 松山 洋
    水文・水資源学会誌
    2018年 31 巻 6 号 467-486
    発行日: 2018/11/05
    公開日: 2019/01/25
    ジャーナル フリー

     この30年間,

    地理学者
    が水文・水資源学会誌に公表してきた種別Aの原稿(以下「論文」)について概観し,21世紀当初挙げられた「2020年頃までに解決すべき問題」に対して,
    地理学者
    がどのように貢献してきたかについて述べた.「
    地理学者
    による論文」を,“公表時に,地理学関係の機関に属していた方たちが全著者数の1/2以上を占める「論文」”と定義したところ全体の約9 %を占め,2005年にピークがみられた.2005年には,研究ノートと原著論文の寄与が等しいことが特徴であった.研究対象地域は,国外ではアジア,国内ではつくばと東京周辺が多かった.多く挙げられたキーワードは,リモートセンシング(7回),NDVI,安定同位体,季節変化,降水,植生指標,積雪水当量(各4回)であった.1990年代はデータ解析の「論文」(含レビュー)が多かったが,2000年代後半にかけて観測の「論文」が多くなっていく傾向がみられた.2010年代は2000年代前半同様,観測とデータ解析の「論文」が同数になっていた.2020年頃までに解決すべき問題に関して,
    地理学者
    はHydrological Research Lettersの編集,観測データベースの整備,水文プロセスの発見,国際共同研究の推進,水文学の教科書執筆,など目に見える形で貢献してきた.

  • *二村 太郎
    日本地理学会発表要旨集
    2014年 2014s 巻 S0303
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    本報告は人文地理学分野を中心に、日本とアメリカの地理学界の接点について検討する。アメリカの地理学における学術査読誌では中国語とスペイン語の論文要旨が掲載されているが、日本の地理学のプレゼンスは総じて弱い。他方で、日本ではアメリカを研究する
    地理学者
    が少ないばかりでなく、アメリカの
    地理学者
    と広い交友がある日本の
    地理学者
    も限られている。本報告では両国の地理学がより多く接点をもつ上で、英語による研究成果の発表はもちろんのこと、積極的な人的交流を通じて、世界各地で人的ネットワークを拡大していくことの必要性を指摘する。
  • 伊藤 修一, 有馬 貴之, 駒木 伸比古, 林 琢也, 鈴木 晃志郎
    経済地理学年報
    2013年 59 巻 2 号 250-252
    発行日: 2013/06/30
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
    本稿は,富樫幸一氏による『役に立つ地理学』の書評(本誌58巻3号掲載)への返答文である.
    地理学者
    の有する地域課題解決のための知見やノウハウは,学部学科改組に伴って学際的な研究領域に身を置くことになった研究者たちによって,個別に蓄積された経験知の色合いが濃い.こうした経験知や深い見識を体系化しようとする動きが乏しいところに,現在の地理学が抱えるひとつの弱点があるように思われる.より豊かな経験知と深い見識をもつ中堅やベテランの
    地理学者
    から,地理学のレゾンデートルや貢献可能性について多方面から論じ,地理学の外に向けて情報発信する機運が高まったとき,地理学は他分野からも『役に立つ地理学』として認知されるようになるだろう.
  • *小泉 武栄
    日本地理学会発表要旨集
    2014年 2014s 巻 S0206
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    日本ジオパーク委員会委員11名のうち
    地理学者
    は2人しかいないが、審査を担当した場合、その役割は大きい。ジオパーク候補地の説明者は地質関係者がでてくることが多いが、彼らの頭の中には、地形はともかく、植生や文化財、土地利用などは入っていない。そうした部分について逆に説明し、ジオパークの魅力を増すように働きかけるのが、
    地理学者
    の役割である。
  • 田中 阿歌麻呂
    地学雑誌
    1905年 17 巻 8 号 579-584
    発行日: 1905/08/15
    公開日: 2010/10/13
    ジャーナル フリー
  • 成瀬 厚
    人文地理
    2018年 70 巻 3 号 414-415
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/10/31
    ジャーナル フリー
  • 寺谷 亮司
    日本醸造協会誌
    1993年 88 巻 2 号 147-150
    発行日: 1993/02/15
    公開日: 2011/09/20
    ジャーナル フリー
    アフリカの伝統的酒類にどのようなものがあるのか知る機会は滅多にない。テレビなどで紹介される場合も製造法までよくわからないことが多い。本稿はお酒に興味を持つ
    地理学者
    の目からみたナイロビの伝統的酒類を, 技術面も含めて紹介していただいた。
  • 張 文嘗
    経済地理学年報
    1991年 37 巻 2 号 166-172
    発行日: 1991/06/30
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
    地大物博と形容される中国の場合, 適切な経済地域区分に基づいて経済政策を行うことは, 極めて重要な政治的課題であり, それ故に合理的な地域区分(経済区)の立案が研究者, 特に
    地理学者
    に対して要求されている. 新中国成立後, 経済区の性格規定が多くの研究者によって試みられたが, まだ十分な意見の一致は得られていない. また経済区の区分に関しても諸説がある. 比較的有力な多数意見として, その区分は客観性, 地域性, 全面性, 階層性の特性を具備すべきことと, 地域間分業と域内の総合的発展とをうまく結びつけ, かつ各経済区では中心都市と周辺地区とが有機的に結びついた地域経済総合体の形成をめざすべきことが, 指摘されている. だが, 上記の観点を共有する, 合縦型とも言うべき地域区分草案にも
    地理学者
    によって3つの草案が提示されている. そのそれぞれの特性を明かにし, 中国地域区分研究の動向を示した.
  • *高木 仁
    日本地理学会発表要旨集
    2020年 2020s 巻 P142
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    背景

    本発表は、先日、地理学評論上の書評でいただいたご批評を受けてのものである。

    本発表では、その批評を受け、私どもがどのようにして、その「原石らしき物」を見つけ、そして、それを私がどのようにして石ころへと変貌させたのかを説明する。

    方法

    本発表のための研究期間は、平成24年4月から、令和2年3月に至るまでの8年間である。研究方法は、その間に行ってきた池谷さん(国立民族学博物館)との長い対話の分析になるだろうか。

    結果

    詳しい指導の方針は、池谷さんに聞いてみないとわからないが、8年間を振り返ってみると研究当初より、私には人類学的な視座より、人間の作り出す環境について論ぜよという課題を与えられていた。池谷さんは、それを自身の地理学的な学識をもって批判し、対話を深めていくという一風変わった指導の形であった気がする。

    こうした奇妙な形の指導方法のためかはわからないが、私たちの主張は、真逆になる事が実に多かったように思える。私たちは、いかなる場所においても、互いの弱点を突くような攻撃的なコメントを選んだ。

    私は、池谷さんはなぜ、こちらの言うことを理解してくれないのかと悩んだことがあった。そして、それは数え切れない数に上った。それは池谷さんも全く同じであったと思う。そして、こうした互いを傷つけあうような状態がとても長く続いた気がする。

    池谷さんの指導は、モスキート海岸をはじめ、アマゾン川やアドリア海など、場所を選ばなかった。私たちはそうした場所で長年、対話を積み重ねていった。

    いつの頃だったか忘れたが、そうして会話し、共に歩みを重ねるなかで、私と池谷さんとの対話には、リズムのような物が生まれていった気がした。違う楽器を一緒に鳴らして刻むような感じで、軽快なものである気がする。

    そのようにして、私どもはそのリズムにのって、評者の言う「原石らしき物」を発見した。

    私どもは、こうして実に長きにわたる歩みを経た。しかし、私は書籍化の最終段階で、自らのエゴイズムを過度に表現することを選んだ。

    評者が言うように、石の磨き方を間違えたような分析をしているとするならば、その部分であろう。そのような裏切りにも似た行為によって、「原石らしき物」は、ただの石ころになった。

    だから、このように言うこともできる。「原石らしき物」は、池谷さんが見つけたのである。原石や鉱脈は、極めて優秀な

    地理学者
    にしか発見できない物である。それが出来たのは、私ではない。

    結論

    書評でのご批判は全て正しい。評者が指摘するように、書籍には間違いが多く、過大評価しすぎである。

    しかし一方で、私たちにはその書評によって、対話らしきものが生まれた。評者は、先日の合評会で、その対話を地理学と人類学をつなぐ架け橋のようなものだと表現した。評者は書評を用いて、その重要性を遠まわしに示唆してくれているのだと思っている。その点に私は賛同したい。

    長くなってしまった。このような書評への返答でご容赦いただけるかどうかはわからないが、随分ともったいないものをいただいてきた8年であった。心より感謝を申し上げたい。

  • 「領土の罠」論再考
    *山﨑 孝史
    人文地理学会大会 研究発表要旨
    2013年 2013 巻
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/02/24
    会議録・要旨集 フリー
    今日の領土問題について、政治
    地理学者
    ジョン・アグニューが1994年に唱えた「領土の罠」論をもとに、領域性の効果や実効主権の概念から再検討する
  • Isidoros 研究の序説として
    田中 穂積
    オリエント
    1963年 6 巻 4 号 61-76,103
    発行日: 1963年
    公開日: 2010/03/12
    ジャーナル フリー
    Isidoros was an important geographer of Parthian Period, who was born in a Greek city called Charax Spasinu which was located at the mouth of the Tigris. His survived work “Mansiones Parthicae” is one of the very few records of the two great overland routes of the Parthian Empire, and it is also one of the most valuable materials for Parthian History since the works of the Parthian historians, that is, Apollodoros and other anonymous authors, have been lost.
    However, the details of Isidoros' works and the era in which he lived in uncertain, so many scholars have studied them. For that reason, concerning my treatise I will investigate the proofs of scholars from the following points: 1) Isidoros' works of which there are at least three; The Geography of the World, The Description of Parthia, and Mansiones Parthicae. 2) The possible era in which his writing flourished; Isidoros' flourishing age was probably in the latter half of the first century A. D. and might be a little after Plinius the Elder. 3) Mansiones Parthicae in detail; above all, Mansiones Parthicae was an independent itinerary and it was written during the latter part of the Parthian Period, though his information was derived from an official survey of the Parthian Empire in the great period of Mithridates II (ca. 123-88/87 B. C.). 4) Comparison of the description of Parthia of Plinius' Naturalis Historia with Isidoros' Mansiones Parthicae.
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