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クエリ検索: "新制作協会"
22件中 1-20の結果を表示しています
  • 司会:市川 銀一郎, 演者:澄川 喜一
    口腔・咽頭科
    2016年 29 巻 3 号 279
    発行日: 2016/08/10
    公開日: 2016/10/25
    ジャーナル フリー
  • 堀 文子
    認知神経科学
    2012年 14 巻 2 号 90
    発行日: 2012年
    公開日: 2017/04/12
    ジャーナル フリー
    自然の美しさや生命の神秘を描き続ける日本画家・堀文子。1939 年、女子美術専門学校(現・女子美術大学)在学中、新美術人協会展に初入選、第二次世界大戦後も、創造美術、
    新制作協会
    、創画会と革新的なグループで活躍を重ねた。風景や動植物など自然界に取材した初期作品には、既に旧来の日本画とは一線を画し、西洋絵画の表現をも取り入れた新しい絵画を目指す強い意志を見ることができる。1961 年には、エジプト、ヨーロッパ、アメリカ、メキシコなどを単身で巡り、異国の文化を探求した。3 年に及ぶこの欧米旅行は、異国を主題とした斬新な作品を生む一方、堀文子が日本画と向き合い、画家として再出発を果たす契機ともなった。その後、49歳の時に東京から神奈川県大磯町に転居、12 年後には軽井沢にアトリエを構えて大磯と行き来する生活を始めた。さらに69 歳で単身、イタリア・アレッツォ郊外にアトリエを構え、6 年間にわたり日伊を行き来して豊かな自然に取材した作品を描いた。自身の感動に根ざした独自の表現と新しいモチーフを常に求めて、堀は80 歳を越えても中南米やネパールなどへ取材旅行を行い、異境の風景などに取材した作品を発表した。80 歳代半ば以降は、顕微鏡下の微生物や中国古代の甲骨文字など神秘的な自然世界と不可思議な歴史世界からインスピレーションを得た作品で新境地を開き、90 歳を越えた現在も、飽くことなく創造を追究し続けている。こうした堀文子の長期に及ぶ創造の歩みと人生に対する姿勢は、多くの人々から感嘆と共感をもって支持されている。
  • 槇村 洋介
    飯田市美術博物館 研究紀要
    2007年 17 巻 5-24
    発行日: 2007年
    公開日: 2017/10/01
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
  • 孫 大雄, 宮崎 清, 樋口 孝之
    デザイン学研究
    2008年 55 巻 3 号 1-10
    発行日: 2008/09/30
    公開日: 2017/07/19
    ジャーナル フリー
    本小論は、小池新二の1940年代における活動を小池自身が綴った文章を基本的資料としながら、顧みたものである。欧州で展開されていた近代造形運動の思想・方法に心服して自ら創始した「海外文化中央局」に集結した諸資料の分析・紹介をすでに1930年代から続けていた小池は、1940年代に商工省工芸指導所専任技師・企画室長に着任してから、旧来の「工芸」を超える「新たな工芸」の勃興・発展の必要性を、執筆活動のみならず、各種展示・博覧会の企画などを通じて世に訴えた。「工芸への訣別」を唱えた小池が「工芸」の先に描いた新しい地平こそ、工業時代の到来のなかで「工業の人間化」を図るインダストリアル・デザインの世界であった。小池のこの期における活動は、日本におけるインダストリアル・デザインの社会的な普及に大きく寄与した。
  • 小野 行雄
    日本機械学会誌
    2008年 111 巻 1078 号 748-749
    発行日: 2008/09/05
    公開日: 2017/06/21
    解説誌・一般情報誌 フリー
  • 吉野 弘
    日本建築学会技術報告集
    2024年 30 巻 75 号 909-914
    発行日: 2024/06/20
    公開日: 2024/06/20
    ジャーナル フリー

    This paper discusses the history of the reception of art space in Kagawa. The origin of Japanese art space is considered to be the space of shrines and temples, and is found in Kotohira Shrine. Historically, the shrine has supported artists such as Maruyama Okyo and Yuichi Takahashi. It was not until the postwar period that a modern art museum was built in Kagawa. The Takamatsu Art Museum designed by Bunzo Yamaguchi, which opened in 1948, can be regarded as the first modern public art museum in Japan. Through research, it will reveal the advanced nature of this museum.

  • ―粒子径の違いに着目して―
    日野 沙耶
    美術教育学研究
    2022年 54 巻 1 号 257-264
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/03/31
    ジャーナル フリー

    戦前から戦後は日本画表現の過渡期であり,近代以降開発が進んだ岩絵具による表現手法も変化した。しかし,具体的な内容はこれまで明らかにされていない。そこで本稿では,日本画表現の過渡期における岩絵具の表現手法について,その具体例を示すことを目的として,日本画家の福田豊四郎の1920–1960年代の作品に着目し,文献調査および作品の実見調査を行った。文献調査から,豊四郎が岩絵具を強い色彩効果のために利用していたことが分かった。実見調査からは,岩絵具の粒子径を大まかに細口,中口,荒口として,1932年までは主に細口の岩絵具を用いた彩色表現が行われていたが,徐々に荒口や中口の粗さを利用した質感表現や彩色表現,マティエール表現が試されるようになったことが窺えた。これらの表現は制作時期と関わっており,豊四郎が時代の影響を受けながら岩絵具による表現を追求していたことが明らかになった。

  • 小橋 恭一
    ファルマシア
    1981年 17 巻 1 号 69-70
    発行日: 1981/01/01
    公開日: 2018/08/26
    ジャーナル フリー
  • 田中 正明
    デザイン学研究
    1991年 1991 巻 84 号 5-6
    発行日: 1991/03/30
    公開日: 2017/07/25
    ジャーナル フリー
  • 津田 恭介
    ファルマシア
    1981年 17 巻 1 号 67-69
    発行日: 1981/01/01
    公開日: 2018/08/26
    ジャーナル フリー
  • 辻 泰岳
    文化資源学
    2018年 16 巻 53-68
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/07/12
    ジャーナル フリー

    本論は発足した当初の国立近代美術館(現:東京国立近代美術館)とその特別展(企画展)の会場について検証する。戦前はもちろん戦後においても、日本には近代や現代といった名称を掲げるミュージアムは少ない。そのため占領期から1950年代には、新たに登場する近代美術館の活動とデパートメント・ストアや画廊、公園等を利用する芸術運動とが入り交じっていた。だが丹下健三や谷口吉郎といった建築家たちが「芸術の総合」という標語を掲げ、日本の国内外で開催された博覧会や展覧会の会場を設計していたことは次第に忘れられ、これまでの研究でも二次的に扱われてきた。また明治や大正、昭和戦前期、戦時下の博覧会や展覧会をひとつひとつ挙げるまでもなく、こうした対象を遡り考察しうることは自明である。しかしながらこうした時期を対象としてこれまで研究の成果が蓄積されてきた一方で、戦後の動向については具体的な検証がなされぬままにあり、それをどのように位置づけていくかについては課題となっている。そこで本論はこの観点から、戦後の建築や都市に関わる人々が関与した国立近代美術館の会場設計に焦点を当てる。またそのために本論は東京国立近代美術館に保管される特別展の調書をはじめとする先行研究で未検討の資料を用いて、展示空間を品物や作品などが並べられた物理的な拡がりとして読み解くことで、展示する施設あるいは制度を事物から捉える方法を示す。具体的にはまず、国立近代美術館の性格を規定する敷地の選定や建築物の改修、そして発足時の特別展を検証する。続いて同館で開催された一連の「現代の眼」展などを事例として取り上げることで、こうした特別展の作品や器物あるいは資料が、それをつくりだした作者によってだけではなく、ディスプレーを含めてどのように視覚化されたのかを会場から読み解いていく。

  • 森 仁史
    アート・ドキュメンテーション研究
    1999年 7 巻 12-18
    発行日: 1999/09/30
    公開日: 2022/09/01
    ジャーナル オープンアクセス
    The Japanese art has been established as a system by the Japanese government since 1868. Recently, the historical fact has increasingly been paid attention to and has been implied in some exhibitions held in Japanese art museums. The recognition of art itself, however, has not changed so much as the interests in the art system. This study tries to consider the recognition of the art system and the historical background, taking the classification rule in Japanese public art museums as an example. Although Japanese art museums were established after the World War II, they are mostly confined to the pre-war art system. The author clarifies that their recognition is getting rid of such a restriction and they are improving the system of art collections.
  • 木下 哲人, 内堀 豪, 田中 遵, 内田 康之
    工学教育
    2023年 71 巻 5 号 5_16-5_22
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/09/20
    ジャーナル フリー
    In this study, we examined whether incorporating active learning into lectures on “dessin,” which involves drawing observed objects, and “image sketching,” which entails organizing and expressing internally conceived images, would lead to changes and growth in students’ skills. Furthermore, we aimed to determine which skills were effectively addressed by this approach. To conduct a quantitative analysis and discussion, we categorized skills into five items and employed a rubric-based grading system. In the case of dessin, no significant differences were observed in any of the items; however, better results were obtained for “perspective drawing” compared to other items. In image sketching, the “detailed shape” item showed a significant improvement in evaluation. The introduction of active learning suggested the potential for skill improvement in both dessin and image sketching.
  • 竹田 直樹, 八木 健太郎
    環境芸術
    2008年 7 巻 1-6
    発行日: 2008/05/01
    公開日: 2017/10/06
    ジャーナル フリー
    1978年から始まる仙台市の彫刻設置事業は、制作者に設置場所をふまえた作品の制作を依頼する、いわゆるオーダーメイド型を最初に計画的な彫刻設置事業に採用したものとして知られている。しかし、この手法は1977年に釧路市幣舞橋で行われた彫刻設置事業の影響を受けたものであった。釧路市の事業は、1950年代から始まる、いわゆる「平和の像」の設置事業における北海道型の流れに位置づけられるものであるので、仙台市の事業は、1961年以降の「彫刻のあるまちづくり」事業に、1950年代の「平和の像」の設置事業の要素を融合したものとしてとらえることができる。結果として、仙台市の彫刻設置事業は、「彫刻のあるまちづくり」事業において、はじめてサイトスペシフィシティーを回復したものとなる。冷戦下にあって、「芸術の自律性」という価値観が社会的意義を持つ中で、野外彫刻が必然的に保有すべきと考えられるサイトスペシフィシティーまでもが軽視あるいは否定される状況下にあって、それが是正されたのが、仙台市における彫刻設置事業であったといえ、その背景に釧路市による幣舞橋の彫刻設置事業がある。
  • 市川 加那子
    美術教育学研究
    2020年 52 巻 1 号 25-32
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/03/31
    ジャーナル フリー

    本稿は,金属箔を「装飾」とは異なる視点で論じるため,日本画における金属箔の輝きを抑える方法に着目し,その方法と効果について考察することを目的としている。筆者は,日本画の金属箔の輝きを抑える方法として,「裏箔」,「金属箔への絵具の塗布」,「金属箔の表面を荒らす方法」の3点に着目した。これらの3つの方法は,金属箔の輝きを抑えて金属の素材感を弱めるだけでなく,金属箔を色彩として捉えることのできる方法であることが示唆された。さらに,金属箔の輝きを抑え,金色や銀色等の金属箔の色を活かすことで,金属素材や光り輝くモチーフはもとより,それらとは関連のないモチーフの色彩や,画面の絵肌の表現に繋がることがわかった。また,本稿を通して,日本画や日本絵画では,金属箔の輝きを最大限活用する方法だけでなく,金属箔の輝きを抑えることで生まれる色や絵肌を活かす方法が展開されてきたことを提示した。

  • デザイン学研究特集号
    2023年 29 巻 2 号 A1-A21
    発行日: 2023/03/31
    公開日: 2023/10/18
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • ―西野範夫の教科調査官就任前の美術教育思想―
    金子 一夫
    美術教育学研究
    2023年 55 巻 1 号 81-88
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/03/31
    ジャーナル フリー

    西野範夫の『美育文化』連載の独得の論理と文体を明らかにした前稿を踏まえて,本稿は西野の生育期から文部省教科調査官直前までの経歴や文章の分析によって,造形遊びの概念や彼の独得の文体,そして学校の内外を区別しない考えがどのように発生・展開したかを明らかにした。まず造形遊びの概念は番町小学校勤務時代に発生し,学習指導要領作成に携わったときに造形的な遊びの全学年構想提案として明確化した。その全学年構想が実現しなかった残念さからその後の大学勤務時代に遊び理論等をふまえて造形遊びの自己目的的な理論化作業がなされた。独得の文体は初期から兆しはあったものの目立たなかったが,皇學館大学勤務時代に明確な単発事例があった。学校の内外を区別しない考えは,下町の公立小学校時代に芽生え,その後造形的な遊び等の教育課程内容を自己完結型に構想するなかで強まっていった。

  • 齋藤 亜紀
    美術教育学研究
    2016年 48 巻 1 号 169-176
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/03/31
    ジャーナル フリー
    この研究の目的は,彫刻家佐藤忠良の芸術教育の指導者としての面に着目し,佐藤の教育が,いかに弟子や学生たちに受容され,その後の活動に影響を与えたのか,その成果を検証することである。そこで本稿では佐藤の教育観を再考するため,佐藤の言説を整理した。佐藤の言葉は様々な媒体を介し多く遺されている。その中で専門雑誌,一般誌などで語られた言葉,研究者による佐藤に関する著述に注目した。これらの資料は,佐藤の年齢,活動と時代背景が並走するものであると捉えた。整理の方法としては,佐藤の教育観が造形観と人間観の二層であると仮定し行った。その結果,佐藤の教育観とは,弟子や学生たちの自律とスキルの育成を促すアプローチであることがわかった。佐藤の教育観は,時代が変化しても変化をしてはならないものや時代の変化によって失われつつある感性と感覚の再構築を目指す教育であることが明らかになった。
  • 河合 正朝
    アメリカ研究
    2007年 2007 巻 41 号 77-92
    発行日: 2007/03/25
    公開日: 2010/10/28
    ジャーナル フリー
  • 日本二十六聖人殉教記念施設にみる今井兼次の建築思想に関する研究(その1)
    原 衣代果, 石川 恒夫
    日本建築学会計画系論文集
    2010年 75 巻 651 号 1247-1254
    発行日: 2010/05/30
    公開日: 2010/07/26
    ジャーナル フリー
    This study focuses on documents from August 1958 that came before the first basic design plan for Twenty Six Martyrs Memorial by Kenji IMAI. Three starting points for the creation of the architectural project became clear.
    1. Firstly, the memorial monument and memorial site were planned to be devided and the main construction site was to be on the east side of the existing road. For this purpose for the monument and memorial site being separated is that the purchasers were different.
    2. The original design for the memorial monument was that of The catholic society for the fine arts, and IMAI designed his stone plinth monument holding these designs in high esteem while improving them further.
    3. Lastly, even at the first stages of the project, IMAI had already thought of circling the space reciting the prayer of the rosary while imagining the twenty six martyrs on the road of suffering. This was the architectural theme.
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