I はじめに
地球温暖化が植生に与える影響は,世界各地で報告されている1.気候変化にともなう植生分布の変化は,植生地理学における重要な研究課題の一つであり,これまでに
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などの植生帯境界が移動しつつあることが報告されている
2.ヨーロッパや北アメリカでは多くの研究が進められてきた一方で,日本列島を含む北東アジア地域における研究事例は限られている
3.
植生帯境界の移動を研究する際には,空間的な変化のパターンだけでなく,移動を引き起こす植生の動態プロセスにも注目する必要がある. これは,植生の分布変化が,構成種の分布域外への新規加入や分布境界での種間競争による枯死などの要因によって生じるためである4. 植生帯境界において,こうした構成種の更新動態や種間相互作用を把握することは,気候変化による植生分布の変化を理解するうえで不可欠となっている.
本稿では,利尻山における
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を対象に,従来の植生地理学が得意としてきた空間パターンからの検討に加え,植生の動態プロセスを考慮した解析についてこれまでの成果を述べる.
II 調査地と方法
利尻山は北海道北部の日本海側に位置する成層火山である.緩やかな山地斜面にはトドマツやエゾマツが優占する亜寒帯針葉樹林が広がり,最北に位置するため,日本の山岳の中で
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の標高が最も低い.
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を含む植生分布の解明に向けて,現地での毎木調査を実施し,UAVによる上空からの画像撮影およびレーザー測量を行った.また,
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の移動を検討するため,過去の空中写真を用いて植生判読を行った.さらに,
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付近で構成樹種の動態を明らかにするため,実生・稚樹の分布調査を実施した.
III 利尻山における
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の形成とその移動利尻山に近い稚内では気温上昇や積雪深の減少が観測されており,利尻山でも同様の気候変化が生じていると考えられる.
利尻山の山地斜面では,標高500m付近で亜寒帯針葉樹林の林冠が不連続となり,
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を形成していた.UAVによる画像の判読により,
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に近づくほど常緑針葉樹の立木密度が低下し,常緑針葉樹は条件の良い場所に集中分布していることが確認された.また,UAV-LiDARを用いたレーザー測量から,
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付近では常緑針葉樹の樹高が標高の上昇に伴い徐々に低下しており,気温低下により生長が抑制されていることが示唆された.利尻山では,標高の上昇により常緑針葉樹の生残や生長が制約され,更新可能な場所が限られることで,林冠が連続しない
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が形成されていると考えられた.
過去の空中写真の判読から,気候変化にともない利尻山の
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は40年間で41.2m上昇していることが明らかになった
5.UAVによる画像の解析から,この
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の上昇は主にダケカンバがササ草原に置き換わり,
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付近で立木密度が高まることによって生じていた.現地調査では,
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より上方のササ草原では樹木の実生や稚樹は全く確認されなかった一方,ササが一斉枯死した場所ではダケカンバと常緑針葉樹の実生が数多く定着していることを確認した
6.これらの結果は,利尻山の
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付近では,密生するチシマザサやオクヤマザサが樹木の更新を阻害することで,
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の位置が規定されていることを示唆している.また,
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の移動を理解するためには,上方に隣接する植生の優占種との競合関係を考慮し,構成樹木の動態プロセスを検討する必要があると考えられた.
Ⅳ 気候変化の植生分布への影響に関する研究の方向性と課題
気候変化による植生分布への影響を解明するには,その空間パターンを明らかにするとともに,非生物的要因と生物的要因の両面からプロセスを検討する必要がある.この課題に対して,植生地理学は次の点で貢献できる.まず,非生物的要因との関連から植生変化の空間パターンを詳細に把握でき,近年ではUAVを用いた近接リモートセンシング技術の利用が進んでいる.また,過去の現地調査に基づく植生データが蓄積されており,再調査によって植生変化を詳細に解析することができる.さらに,日本列島や環日本海地域,北東アジアでの地理的比較により,植生変化の地域性を検討できる点も強みである.
一方,動態プロセスへのアプローチやモデリングを含む統計解析の不足が課題として挙げられる.今後,植生地理学が空間パターンと動態プロセスの両面から研究を進めることで,気候変化による植生変化を系統的に解明できるものと期待される.
文献 1:IPCC 2022,2:Gonzalez et al. 2010,3:Verrall and Pickering 2020,4:Körner 2012,5:木澤ほか 2022,5:大庭(未発表資料)
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