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クエリ検索: "楽章"
871件中 1-20の結果を表示しています
  • 〓用 淳, 田中 淳
    デザイン学研究
    1987年 1987 巻 60 号 15-
    発行日: 1987/05/31
    公開日: 2017/07/25
    ジャーナル フリー
  • 平井 久子, 穂積 信夫
    デザイン学研究
    1987年 1987 巻 60 号 15-
    発行日: 1987/05/31
    公開日: 2017/07/25
    ジャーナル フリー
  • メシアンの音楽語法との関連性をめぐって
    竹内 直
    音楽表現学
    2011年 9 巻 45-56
    発行日: 2011/11/30
    公開日: 2020/06/26
    ジャーナル フリー

     日本の「民族主義」を代表する作曲家の一人とされる早坂文雄(1914-1955)の《交響的組曲「ユーカラ」》(1955) は無調性への傾斜や複雑なリズム語法の使用などの特徴から、早坂の新しい境地を示した作品であるとされながら、これまでその音楽語法は明らかになってはいなかった。本稿は早坂の《ユーカラ》における音楽語法を、メシアンの音楽語法との関連から考察することを試みたものである。

     早坂が《ユーカラ》において用いた音楽語法には、メシアンの音楽語法である「移調の限られた旋法」、「添加価値」をもつリズム、「逆行不能リズム」、「鳥の歌」と類似する手法が頻繁に用いられている。またそうした手法のなかには武満徹(1930-1996)の音楽語法との共通点もみられた。

     早坂がメシアンに関心をもっていたという言説を踏まえれば、早坂の《ユーカラ》における音楽語法は、メシアンの語法との近親性を具体的に例示することになるだろう。またその語法は、武満徹をはじめとする早坂の影響を受けたとされる作曲家の語法との関係をより具体的に示しているといえる。

  • 神部 智
    音楽表現学
    2008年 6 巻 17-28
    発行日: 2008/11/30
    公開日: 2020/05/25
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は、ジャン・シベリウスの《交響曲第 3 番》作品 52 における創作概念と表現手法の考察を通して、同交響曲に認められる新たな様式的方向を明らかにすることにある。民族ロマン主義からの芸術的飛躍を試みた中期創作期のシベリウスは、古典的作風の内に堅固な音楽的論理の確立を求めた。そこにおいて重要な鍵となったのが「交響的幻想曲」の創作概念である。《交響曲第 3 番》においてシベリウスは、伝統的なソナタ様式への斬新なアプローチ、そしてスケルツォとフィナーレ的要素の融合という独自の表現手法を拓いたが、それは自由な形式と堅固な論理の両立を求めた同時期のシベリウスの新たな創作概念に基づくものであったといえる。

  • 深井 尚子
    音楽表現学
    2006年 4 巻 15-32
    発行日: 2006/11/30
    公開日: 2020/05/25
    ジャーナル フリー

     ベートーヴェンは、1912年から1916年ころまでのほぼ4年間、重要な作品を書かなかった時期がある。その時期は、ヨーロッパの状勢がフランス革命後の混乱の中にあり、ウィーンの音楽的嗜好の変化、ベートーヴェンの危機の疾患の悪化など、ベートーヴェンはたくさんの問題を抱えていた。そのような状況の中、ピアノソナタ作品101とチェロソナタ作品102は、寡作期の中で作曲された数少ない傑作といってよい。これらの作品には、その後に現れるベートーヴェンの後期作品群の特徴が散見され、ピアノとチェロという異なった楽器のための作品でありながら、たくさんの類似性が見られる。

     ベートーヴェンの後期作品群は、現在でも芸術的価値が高く評価され、演奏の機会も多いが、一般的に、その内容は難解で深い内面性を備えているといわれている。そのため、演奏や解釈において困難なものが多い。しかし、その後期作品群の特徴は、 既に寡作期の作品に現れており、後期作品群への過渡期に作曲された、この2つの楽曲を比較検討することで、後期作品群が難解になっていく方向性を検証し、ベートーヴェンの後期作品群の難解さの背後にあるものを探求することができる。そのことによって、ベートーヴェンの後期の作品をより深く理解し、演奏解釈に反映させる方法についての考察である。

  • 上山 典子
    音楽表現学
    2008年 6 巻 1-16
    発行日: 2008/11/30
    公開日: 2020/05/25
    ジャーナル フリー

     リストのピアノ編曲、《ベートーヴェンの交響曲 ピアノ・スコア》は、27 年の歳月にわたって―厳密には 1837 年と 41 年、そして 1863-4 年の二つの時期に―取り組まれた。1838 年にリスト自身によって書かれた編曲の理念表明は、 1840 年の第 5、6 番の出版譜序文として、原文の仏語とともに出版社による独訳で掲載された。そして 1866 年の全 9 曲出版の際には、日付のみが「1865 年」に変更されたその序文が一語一句変わらぬまま、再び版の冒頭を飾った。その四半世紀以上もの間、リストは本当にこれらの編曲に対する考えを変わらず維持していたのだろうか。本論は、それぞれの編曲成立の過程と取り組みの目的、そして手法を検証することによって、リストの編曲観は決して一様ではなく、これらの年月の間に大きく変化したことを明らかにする。

  • アムステルダム版(1710 年)における伝統と革新
    堀内 由紀
    音楽表現学
    2020年 18 巻 11-20
    発行日: 2020/11/30
    公開日: 2021/11/30
    ジャーナル フリー

    楽譜に書かれていない、いわゆる「恣意的装飾」を演奏者が加えるという習慣がバロック時代にあった。18 世紀のヴァイオリン音楽の場合、特にソナタなどの緩徐

    楽章
    には、和声や対位法に基づく色彩豊かな装飾が行われていたであろう。しかし現代のヴァイオリン奏者にとって、この「恣意的装飾」をどこに、どれほど、そしてどのように加えたら良いかということは「趣味」に拠る所が多く、楽譜に書かれていないものを加えて表現するということが如何に難儀であるかは明らかである。それでも、かつての習慣の実態を知り、それを自らの演奏に活かす方法はないのだろうか。そこで本稿では演奏者の立場から、コレッリ=アムステルダム版(1710 年)を取り上げ、「恣意的装飾」の特徴や傾向の把握を試みた。その結果、ディミニューションの伝統を用いながらも革新的な要素が用いられ始めている様子が示唆された。

  • その影響の痕跡と12音の組織化のはざまで
    竹内 直
    音楽表現学
    2014年 12 巻 1-14
    発行日: 2014/11/30
    公開日: 2020/05/25
    ジャーナル フリー

     日本の「民族主義」を代表する作曲家の一人とされる早坂文雄(1914-1955)は戦後になって日本で本格的に受容された12音技法について否定的な見解を示した。しかし、1955年に書かれた《交響的組曲「ユーカラ」》のスケッチのなかには12音音列やオクターヴ内の12の音すべてを重複なしに使用した旋律の断片が残されている。早坂の12音技法への関心を示すスケッチの存在は、早坂が12音技法を少なからず試みた、あるいは試みようとしたことの証左である。早坂は作品の完成稿に12音技法そのものを用いなかったが、音程や音数のグループ化によって、12音の組織化を試みている。本稿はスケッチを足がかりとして、早坂文雄と12音技法との係わりを、彼自身の汎東洋主義の音楽論との関係も含めて明らかにすることを試みたものである。

     12音技法自体は放棄したものの、早坂は《ユーカラ》のなかで様々な音を組織化する手法を用いた。同じ音程の反復や音数のグループ化といった音の組織化は12音技法そのものよりも、むしろ新ヴィーン楽派の無調期の作風との関連を感じさせるものである。音を組織化する種々の手法は、早坂が12音技法をそのまま受け容れたのではなく、独自の方法でそれらを咀嚼し、東洋的な抽象性・ 形而上性と無調音楽との融合を目指した音楽観である自らの汎東洋主義との接点を模索した結果であると結論づけられる。

  • 服部 智行
    美学
    2003年 53 巻 4 号 70-83
    発行日: 2003/03/31
    公開日: 2017/05/22
    ジャーナル フリー
    Our vision of Charles Ives's music and his career has been changed by the redating of his manuscripts and many other researches in recent years. With reference to these researches, in this paper, I reconsidered about the chronological date, compositional procedures, techniques, and backgrounds of Ives's Fourth Symphony which had been regarded as a synthesis of his music. Based on the recent chronology, this symphony was started to write in an unusual year: the next year of his serious heart attack. This redating has made it possible to think about the reason of the religious program and massive use of self-borrowing in this symphony. Based on the recent analysis of his composition itself, this symphony is an unusual piece, even for Ives himself. But, from a viewpoint of the compositional procedures, this symphony is the piece that shows most purely one of Ives's own compositional manners, that is, to write some musical backgrounds or contexts that transfigure sounds of the borrowed materials.
  • ~腹部エコーは1st fiddleだ!~
    *畠 二郎
    超音波検査技術抄録集
    2012年 37 巻
    発行日: 2012/05/01
    公開日: 2015/03/20
    会議録・要旨集 認証あり
  • 白石 知雄
    大阪音楽大学研究紀要
    2011年 49 巻 Body3-
    発行日: 2011/02/15
    公開日: 2021/04/01
    ジャーナル フリー
  • ―西洋音楽編
    木下 大輔, 新井 恵美, 小松﨑 倫子
    音楽教育実践ジャーナル
    2005年 2 巻 2 号 92-100
    発行日: 2005年
    公開日: 2018/04/11
    ジャーナル フリー
  • 中川 真
    美学
    1982年 32 巻 4 号 26-39
    発行日: 1982/03/31
    公開日: 2017/05/22
    ジャーナル フリー
    Vom Standpunkt der thematischen Bearbeitung, hat jeder Satz von Beethovens neunter Symphonie das melodische-nach Retis Analyse-und harmonische-nach meiner Analyse-Motiv gemeinsam. Die Symphonie entwickelt vom ersten Satz durch den zweiten, den dritten bis in den vierten hinein ein Problem, und zeigt dieses Problem in seine Ganzheit auf, um es schliesslich im vierten Satz zu losen. In diesem Sinne ist sie organisch und zwar nicht umkehrbar. Im vierten Satz kann Beethovens Auffassung uber Schillers "An die Freude" betrachtet werden. Dieser Satz besteht aus drei Teilen. Im ersten Teil (Freude Thema) stimmen die Metren der Musik und des Verses miteinander uberein, im zweiten Teil (Zweites Thema) hingegen widersprechen sie sich. Denn das trochaische Versmass ist in die Musik eines dreiern Taktes eingearbeitet. Im dritten Teil (Koda) werden diese zusammengefasst und aufgelost. Durch Beethovens sinnreiche musikalische Darstellung konnen wir Schillers Dichtung erleben. Dieses klangliche Schauspiel wird erzeugt und getragen durch eine planmassig entwickelte Raum-Vorstellung. Diese Raum-Vorstellung beruht auf einer wirksamen Beherrschung des Klangbildes auf der Buhne. Die Buhne ist fur Beethoven der Raum, wo die Klangmasse des Orchesters jene musikalischen Ereignisse hervorbringt, die uns einnehmen. Die Raumlichkeit ist wesentlich fur Beethovens Musik.
  • 長谷 規子
    美学
    2007年 58 巻 2 号 70-83
    発行日: 2007/09/30
    公開日: 2017/05/22
    ジャーナル フリー
    Les dix-huit quatuors a cordes de Darius Milhaud (1892-1974) tiennent une place particuliere non seulement dans toutes ses ceuvres mais aussi dans toute la musique de chambre du XX^e siecle. Du fait que Milhaud s'explique sur le quatuor a cordes comme un genre musical representant le mieux ses intentions profondes et que lui et ce genre allaient cote a cote pendant quarante ans, nous pouvons considerer que le quatuor a corde est un genre intime pour le compositeur. Dans cet article, nous allons examiner ses quatuors a cordes des annees 1930 et 1940 de point de vue technique et stylistique pour mettre en evidence leur importance. L'etude d'un ensemble de quatuors a cordes de Milhaud nous a permis de montrer une evolution considerable : il emploie assez souvent des passages empechant la continuite de la piece au niveau melodique, rythmique et harmonique. Ce serait une des techniques musicales de Milhaud propres a cette epoque. D'ailleurs, la technique ellememe evoluera peu a peu la forme musicale et deviendra un element imposant dans sa musique. Elle s'appliquera plus tard a des autres pieces de sa musique de chambre.
  • 井口 征士
    日本音響学会誌
    1981年 37 巻 11 号 563-568
    発行日: 1981/11/01
    公開日: 2017/06/02
    ジャーナル フリー
  • 大竹 道哉
    大阪音楽大学研究紀要
    2012年 50 巻 5-34
    発行日: 2012/03/30
    公開日: 2021/04/01
    ジャーナル フリー
  • 中野 博司
    美学
    1962年 13 巻 3 号 59-62
    発行日: 1962/12/30
    公開日: 2017/05/22
    ジャーナル フリー
    Die heute noch vorhandenen 106 Sinfonien Haydns zeigen eine Seite des Entwicklungsprozesses der Sinfonien in der letzten Halfte des 18. Jahrhunderts. Als die zweite Stufe meiner Unterforschungen uber die Sinfonien Haydns mochte ich diejenigen betrachten, die zu seiner zweiten Schaffensperiode von etwa 1766 bis um 1774 gehoren. Zuerst muss man eine Reihe von den im Moll geschriebenen Sinfonien in Frage stellen, weil sie die Merkmale der sinfonischen Stile in dieser Epoche am Klarsten verwirklichten und zwar von den gesamten 11 im Moll geschriebenen Sinfonien die 7 Werke in demselben Zeitabschnitt (Nr. 26, 34, 39, 44, 45, 49, 52) komponiert wurden. In diesem Artikel betrachte ich durch die analytische Untersuchung der 7 Mollstucken die Stile derselben, und ich stelle die soliden Fortschritte nach seiner Vollendung der sinfonischen Stil fest. Weiter behandle ich eine Frage um seine Neigung zur Molltonart in dieser Periode. Dadurch mochte ich die Bedeutung dieser Sinfonien im Moll fur die Wandelung der sinfonischen Stile Haydns erklaren.
  • ―自律神経系活動の指標を用いて―
    杉浦 悠子, 清水 遵
    感情心理学研究
    2013年 20 巻 Supplement 号 43
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/04/10
    ジャーナル フリー
  • 山口 真季子
    美学
    2012年 63 巻 1 号 145-156
    発行日: 2012/06/30
    公開日: 2017/05/22
    ジャーナル フリー
    Der Komponist Ernst Krenek hat mit den Pianisten Artur Schnabel und Eduard Erdmann, die oft in ihren Konzerten Schuberts Klaviermusik spielten, zur Neubewertung der Werke Schuberts beigetragen. Krenek hat mit "dem fanatischen Schubert Verehrer" Erdmann alle Lieder Schuberts durchforscht und ausserdem Schuberts unvollendete Klaviersonate in C-dur auf Anregung von Erdmann erganzt. So zahlt diese Erganzung zu einem der bedeutenden Beispiele ihrer Neubewertung. In dieser Studie mochte ich untersuchen, welche Punkte Krenek an Schuberts Kompositionstechnik schatzte und wie er sie auf seine Erganzung anwendete. Durch die Analyse der erganzten Sonate und den Vergleich mit Kreneks Erklarung seiner Erganzungsidee sowie der Struktur der Sonate (1947) habe ich klar gemacht, was fur Krenek das charakteristische an Schuberts Musik ist. Krenek hat in seiner Erganzung Schuberts feinen Sinn der musikalischen "Ausbalancierung" und seine Technik der vielfaltigen "Varianten" angewendet. Andererseits vermied er ubermassige Umformung der Melodien und harmonische Uppigkeit. Krenek hat in dieser Erganzung eine neue Schubert-Interpretation vorgezeigt.
  • 大宮 真琴
    美学
    1958年 9 巻 3 号 23-27
    発行日: 1958/12/25
    公開日: 2017/05/22
    ジャーナル フリー
    In Vol.III (1957) of the 'Annual Report of Studies' of Ferris College, I reported on the first two symphonies of Joseph Haydn under the title of "Haydn's Lukavec Symphonies", in the refference of which I should have elucidated the symphonic efforts of the early classical world. And I might be expected to make clear the thread of relation between the symphonic music of the Old Viennese School and of Haydn in his early age. But this theme has many problems enough to make a new study. As a preliminary essay of this new theme I tried to give some details and construe the problems of early symphonic music of the Vienna in this article. The refference books were following : 'Die Musik des Rokokos und der Klassik' by Ernst Bucken (1928), in which he pointed out eight composers as 'Aelteren Wiener Klassikr' ; and 'Denkmaler der Tonkunst in Oesterreich' XV-II and XIX-II by Guido Adler (1908), in which he compiled the works of them in the name of 'Vorlaufer der Wiener Klassiker' and which is the most important literature of the Old Viennese School, till now.
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