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クエリ検索: "津波"
28,790件中 1-20の結果を表示しています
  • *松多 信尚
    日本地理学会発表要旨集
    2013年 2013s 巻 618
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    2011 年3 月11 日の東北地方太平洋沖地震により発生した
    津波
    (以後、平成
    津波
    )により東北地方から千葉県にかけての沿岸部は広域にわたり壊滅的な被害を受けた.日本地理学会災害対応本部
    津波
    被災マップ作成チーム(2011)や東北地方太平洋沖地震
    津波
    合同調査グループ(2012)などによって浸水範囲、
    津波
    高、遡上高が迅速に測られ、インターネット上で公表されている。平成
    津波の津波高を明治三陸津波
    (以後、明治
    津波
    )と比較すると、岩手県では大きな差がないが宮城県以南では今回の
    津波高が明治津波
    を大きく上回っており、
    津波
    を引き起こすした海底地震断層が岩手県沖から茨城県沖にまで達したことが、
    津波
    の観測データからも推定されている。一方で、よりローカルなデータを観察し、現地調査を行うと、
    津波
    高は隣接する浦ごとに大きな違いがあることがわかる。災害の社会的要因の考察や災害文化、復興などを考えるうえで、自然的要因である浦々毎の
    津波
    高の違いは重要な要素と考えられるが、ほとんどの議論が
    津波
    高の最大値に着目した議論で、同一地域での
    津波
    高の地域差に着目した検討は不十分である。 本研究は、浦々での
    津波
    高の差異を、特徴的な海岸地形ごとに検討し、明治
    津波
    と比較することで、平成
    津波
    の特徴と自然科学的な意味について考察することを目的としている。 内閣大臣官房都市計画課(1934)に従い、湾の形状を 甲類1:直接外洋に向かえるV字湾 甲類2:直接外洋に向かえるU字湾 甲類3:直接外洋に面し海岸線の凹凸が少ない場合 乙類4:大湾の内にあるV字形の港湾 乙類5:大湾の内にあるU字形の港湾 乙類6:大湾の内にあり海岸線の凹凸が少ない場合 丙類7:細長くかつ比較的浅い湾 丁類8:海岸線が直線に近い場合 と分類し、すでに湾形分類がされていた地域において平成
    津波と明治津波の津波
    高を比較した。平成
    津波の津波高は東北地方太平洋沖地震津波
    合同調査グループ(2012)のデータを、明治
    津波の津波
    高を内閣大臣官房都市計画課(1934)のデータを用いている。その結果、1.明治
    津波では甲類で津波
    高が極めて高く、乙類は概して
    津波
    高が低い傾向にある。それに対して、平成
    津波
    では甲類と乙類でそれほど差が顕著ではない。その傾向は特に大船渡以南で顕著で、甲類と乙類で
    津波
    高に差が見られない。逆に釜石以北では甲類が乙類より大きい傾向がみられる。2.明治
    津波
    では湾形がV字湾である甲1類、乙4類が、U字湾である甲2類、乙5類や,凹凸の少ない湾形である甲3類や乙6類と比較して、
    津波
    高が湾奥で大きくなる傾向がある。しかし、平成
    津波
    ではV字湾がU字湾や凹凸の少ない湾と比較して大きいといった特徴が無く、むしろU字湾でしばしば25m以上の
    津波
    高を記録しており、遡上で湾奥が高くなる傾向は顕著ではない。3.全体では平成
    津波の方が明治津波
    より大きい傾向にある。久慈以北では明治
    津波の津波高が平成津波の津波
    高の二倍前後に達し、逆に気仙沼以南では明治
    津波の津波
    高は小さくなる。これは、明治三陸地震の震源が東北地方太平洋沖地震の震源より北にあるためと思われる。4.湾形ごとでは、甲類では北部で明治三陸
    津波の津波高が平成三陸津波の津波
    高の2倍強に達するほか、陸前高田の根岬、集でも2倍以上に達する。そのほかの釜石~気仙沼間でも0.5-1.5倍程度でやや明治三陸
    津波
    の方が大きい傾向がある。その一方で乙類は平成三陸
    津波の津波高が明治三陸津波
    のそれを大きく上回っており、釜石~気仙沼間で最大4倍程度に達し、明治三陸
    津波の津波
    高が小さくなる気仙沼以南では10倍を超える
    津波
    が来襲したことになる。 
    津波解析プログラムで津波の特徴と津波
    高の関係を計算すると、波長の長い
    津波は大きな湾の中まで津波
    高が大きいのに対し、波長の短い
    津波は大きな湾の中の津波
    高は小さい。このことから、明治三陸地震は短波長の
    津波
    を発生させる地震であったのに対し、東北地方太平洋沖地震は長波長の
    津波
    を発生させた地震であることがわかる。ただし、平成
    津波
    は、釜石以北では甲類の
    津波
    高が乙類より高いことから、長波長と短波長の
    津波
    の両方の特徴を併せ持つと考えられる。これは、釜石沖に施設されている海底ケーブル式の地震計システムによって長波長の
    津波とパルス状の津波
    が観測された(東京大学地震研究所HP)ことと調和する。大船渡以南の女川までの区間では甲類と乙類の
    津波
    高に差がないことから、この地域ではパルス状の
    津波
    が無かった可能性がある。これは中田ほか(2012)が推定する海底地震断層による変動地形が北部ではバルジを伴うのに対し、宮城県沖ではバルジを伴わない事を支持する。
  • 津波
    高志
    民族學研究
    1996年 61 巻 3 号 449-462
    発行日: 1996/12/30
    公開日: 2018/03/27
    ジャーナル フリー
    例えば,沖縄という地域に関する用語一つを取り上げても,行政的概念と民俗的概念とは異なっている。両者のなかで,文化や社会構造研究の一環として注目されねばならないのは民俗概念であろうと考える。それは下はシマ(村落)相互のレベルからから上はヤマト(本土)に対置されるレベルまで一連のものとして捉えることが可能であり,しかもそれぞれのレベルにおいて土地の人々の微妙な違和感や自他意識を読みとることが可能である。このような地域に関する民俗概念の連続体として一括できる最大の範域,すなわち対ヤマト意識共有地域を文化自体が刻み込んだ「沖縄」文化地域と捉えてみたい。
  • 津波
    高志
    民族學研究
    1978年 43 巻 3 号 279-293
    発行日: 1978/12/31
    公開日: 2018/03/27
    ジャーナル フリー
    If TORIGOE'S reconstruction of Okinawan religious history is correct, when a ritual is performed at present at an "utaki" (sacred grove), the dominant role must be performed by a "nuru" priestess. The purpose of this essay is to reconsider that part of TORIGOE'S thesis by means of an example taken from northern Okinawa. Field work was carried out from June to October 1973 in the villages of Nakao, Oyakawa. Taira, and Kawakami in the rural outskirts of Nago City. The chief priestess of Nakao village known locally as the "Nakao Nuru" also acts as chief priestess for the other three villages. In dealing with this case, therefore, the author decided to treat all four villages as the Nakao nuru's "cult area". In Kawakami village there is a priestess who ranks next below the Nakao nuru known as the "Kawakami nuru". The existence of the "Kawakami nuru" complicates the analysis of this case to a certain extent ; however, other than this one point, the factors involved are the same as in other areas. Although we refer to these four villages as being in the Nakao nuru's "cult area", she does not preside over all of the annual village rites in all four of the villages. For this reason, the author focused on the Nakao nuru's pattern of participation in various annual village rites, and classified them into the following five categories. 1) Rites which in Nakao village are presided over by the Nakao nuru, but which are presided over by other priestesses in the other villages. 2) Rites in which the entire cult area is divided into two sections, one section taken care of by the Nakao nuru, the other by the Kawakami nuru. 3) Rites in which the Nakao and Kawakami nurus jointly preside over in sequence at the ritual sites (kami-asagi) in each of the four villages. 4) Rites in which participants from all four villages are assembled at one place, and presided over by the Nakao nuru. 5) Rites in which priestesses from outside the cult area assemble at ritual sites within the area, and are performed jointly with this cult area's priestesses. In this "cult area" TORIGOE'S thesis finds no support when re-examined in light of each of these five categories. There are two possible reasons why TORIGOE'S thesis does not fit the facts in this case. First, he relied mainly upon historical material (ryukyu-koku yuraiki) when working-out his reconstruction. Secondly, nuru, at the present time, may roughly be divided into two general types ; one type of nuru is responsible for a single-village "cult area", the other type of nuru Is responsible for a multi village "cult area". But TORIGOE does not distinguish between the two different types. This second point is a crucial pillar without which TORIGOE'S reconstruction cannot stand. However, not only TORIGOE'S, but almost all scholarly writings on this subject up to the present time have made the same mistake. Which ritual specialist presides over ceremonies at the village "utaki" (sacred grove) is a fundamental aspect of the village cult in the mainland Okinawa island group. If the two different types of nuru are not distinguished, further research on mainland Okinawa cult organization will be hopelessly confused. Future researth should necessarily be based upon this distinction between the two nuru types, and should be concerned with the roles and status of the various priestesses.
  • 村尾 修, ウォルター・C ダッドリー
    日本建築学会技術報告集
    2011年 17 巻 35 号 333-338
    発行日: 2011/02/20
    公開日: 2011/02/18
    ジャーナル フリー
    Having some similarities as tsunami-prone areas, Sanriku Coastal Area, Japan, and Hilo, Hawaii, experienced several devastating tsunamis and recovered in their history. However, the post-tsunami urban recovery planning and the future strategy for tsunami management present differences in both areas. Demonstrating timeline of the affected tsunamis and the published planning and policies for tsunami disaster management, this paper compares the history of urban recovery planning and designing for tsunami hazard in the United States and Japan. It also examines the contents for urban safety management in recent governments’ guidelines to share useful information for the future planning strategy.
  • 海岸段丘上の津波石を用いた検討
    *青木 久, 岸野 浩大, 早川 裕弌, 前門 晃
    日本地理学会発表要旨集
    2017年 2017s 巻 P014
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/03
    会議録・要旨集 フリー


    1.はじめに

    津波
    石とは,
    津波
    により陸上に打ち上げられた岩塊のことである.先行研究によると,宮古島や石垣島をはじめとする琉球列島南部の島々には,過去の複数の
    津波
    によって石灰岩からなる巨礫,すなわち
    津波
    石が打ち上げられていることが報告されている.本研究では,
    津波によって陸上に打ち上げられた津波
    石のうち,海崖を乗り越えて海岸段丘上に定置している
    津波
    石に焦点をあてて野外調査を行い,過去に琉球列島南部の島々に襲来した
    津波
    営力の大きさの違いについて考察を行うことを目的とする.

    2.調査対象地点・調査方法

    本研究では,宮古島,下地島,石垣島,黒島の4島を調査対象地域として選び,宮古島東平安名崎海岸,下地島西海岸,石垣島大浜・真栄里海岸,黒島南海岸において,
    津波
    石の調査が実施された.これらの海岸では琉球石灰岩からなる海崖をもつ海岸段丘が発達し,段丘上や崖の基部,サンゴ礁上に大小様々な
    津波
    石が分布する.各海岸の背後には,岩塊が供給されうる丘陵などの高台が存在しないため,段丘上の岩塊は
    津波
    によって崖を乗り越えた可能性が高いと判断し,本研究では3 m以上の長径をもつ巨礫を
    津波
    石とみなした.

    津波
    石の重量(W)と海崖の高さ(H)に関する以下のような調査・分析を行った. Wを求めるため,
    津波
    石の体積(V)と密度(ρ)の推定を行った(W=ρV). V
    津波
    石を直方体とみなして長径と中径と短径を計測して算出する方法と,高精細地形測量(TLSおよびSfM測量)による3D解析による方法を用いて求められた.
    津波
    石の密度はPS-1(応用地質)による弾性波速度の計測値から推定された.Hはレーザー距離計を用いて計測された.

    3.結果・考察

    津波
    石は,宮古島ではH=17 mの段丘上に14個,下地島ではH=10 mの段丘上に1個,石垣島ではH=3 mの段丘上に4個,黒島ではH=3~4 mの段丘上に6個,計25個が確認された.段丘上の
    津波石が津波
    によって海崖基部から運搬されたと仮定すると,H
    津波
    石の鉛直方向の移動距離を,そしてWH
    津波
    石の鉛直方向の移動にかかった仕事量を示すことになる.したがって,
    津波
    石が同一のプロセスによって海崖上に運搬されたと考えると,WHは海崖基部の
    津波
    石に到達する直前の
    津波
    の運動エネルギーと比例関係をもつ値となり,
    津波
    営力の大きさの指標にできる.各島でのWHの最大値は,各島の過去最大の
    津波
    を示すと考え,それらの大小関係を求めると,下地島≧宮古島>石垣島>黒島の順になった.この結果は,宮古島・下地島地域に石垣島・黒島地域よりも大きな
    津波
    が襲来した可能性を示唆するものであり,石垣島周辺で最も大きい
    津波
    が襲来したとされる1771年の明和
    津波
    とは異なる結果となっている.
  • 濱本 卓司, 鴫原 良典, 矢代 晴実, 井上 修作
    日本建築学会構造系論文集
    2017年 82 巻 733 号 359-369
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/03/30
    ジャーナル フリー
     A series of tsunami water tank experiments have been conducted to study global and local tsunami actions on low-to-mid-rise buildings with or without openings and piloti space. Each small-scaled experimental model produced by 3D printer is assumed as a three-story building of square plan with four corner columns and a center core. Wave pressures generated on several portions of external and internal walls are measured to discuss the local tsunami action, whereas wave forces acting on the whole building are measured to discuss the global tsunami action. Numerical analyses have been carried out to simulate the flow of tsunami inside and outside of the buildings and its effect on building structures through the comparison with experimental results.
     Based on experimental and analytical results, conclusions within this study are summarized as follows:
     1) The existence of piloti space reduces the rise of water level and run-up on the front wall.
     2) Breaking of glass windows causes the decrease in wave pressure on the external wall and the increase in wave pressure on the internal core wall.
     3) Non-fragile windows cause the increase in water level and run-up at the front surface and consequently the rise of water pressure.
     4) Maximum wave pressure tends to be generated on the internal core wall rather than on the external wall.
     5) Tsunami flowing into the inside of building drains out of side and rear walls depending on flow velocity.
     6) Horizontal wave force acting on the whole building decreases by 20 to 35% in the case with openings and piloti space compared to the case without openings and piloti space.
     7) The core wall should be taken into consideration as a part of projected area in addition to exterior walls to evaluate horizontal wave force.
     8) Vertical force acts downwardly in the case with openings and piloti space, although it acts upwardly in the case without openings and piloti space.
     9) Tsunami simulation analysis based on VOF method is effective to evaluate both local wave pressure and global wave force.
     10) The spatial distribution and time variation of wave pressure acting on the building and flow velocity inside and outside of the building can be accurately evaluated by tsunami simulation analysis.
     11) Vertical force can be reasonably evaluated by slightly floating the building portion from the water bed in the analytical model.
  • 松井 徹哉
    日本建築学会構造系論文集
    2013年 78 巻 691 号 1659-1664
    発行日: 2013/09/30
    公開日: 2013/11/30
    ジャーナル フリー
    A design formula for estimating tsunami loading on buildings for vertical evacuation from tsunamis is proposed in this paper. Instead of the hydrostatic formula recommended in the temporary design guideline notified by the Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism, the hydrodynamic formula based on the Morison equation is employed to take into account the dependency of fluid forces on flow velocity. Using the relationship between the fluid velocity and the inundation depth derived under the hypothesis of the boundedness of the momentum flux and the Floude number, the formula for tsunami wave force is presented in terms of the design inundation depth, which is usually available in the tsunami hazard map. The validity of the proposed formula is confirmed by estimating tsunami wave forces on the buildings attacked by the 2004 Indian Ocean Tsunami and the 2011 Tohoku Earthquake Tsunami.
  • *松多 信尚, 杉戸 信彦, 千田 良道, 堀 和明, 石黒 聡士, 内田 主税, 鈴木 康弘
    日本地理学会発表要旨集
    2013年 2013a 巻 S0404
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/03/14
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに: 
    津波
    高・遡上高分布は分布範囲と高い値が重視され,遡上高のばらつきは注目されない.東北地方太平洋沖地震では,日本地理学会災害対応本部
    津波
    被災マップ作成チーム(2011)や東北地方太平洋沖地震
    津波
    合同調査グループ(2011)などによって浸水範囲,
    津波
    高,遡上高が公表されている.
    津波
    の遡上高に着目すると,隣り合う谷ごとで遡上高は大きく異なる.我々はその原因が海岸線付近の地形特性と
    津波
    の性質の関係にあると考え,その関係性を明示することが,
    津波
    や地震による災害の想定に重要と考える.そこで,本報告では,遡上高のばらつきと海岸地形から
    津波
    の性質を推定し,今回の海底地震断層の特徴にせまりたい.海岸地形の分類: 内閣大臣官房都市計画課(1934)は種市町から女川町までの浦々を地形の特徴をもとに分類した.その分類は,甲類1:外洋に面するV字湾,甲類2:外洋に面するU字湾,甲類3:外洋に面し凹凸が少ない海岸,乙類4:大湾内にあるV字湾,乙類5:大湾内にあるU字湾,乙類6:大湾内にあり凹凸が少ない海岸,丙類7:細長く浅い湾,丁類8:直線に近い海岸線である.本報告ではこの分類に従い,未分類の場所は同じ基準で新たに分類した. 明治三陸
    津波
    ,昭和三陸
    津波
    ,チリ
    津波
    の比較: 明治三陸
    津波
    の遡上高は全域で甲類が乙類より大きい.また甲類の中でも甲類1の遡上高が大きい.その傾向は昭和三陸
    津波
    にも当てはまる.両者を比較すると,久慈付近など北部では明治の
    津波
    が一段と高い傾向が,逆に女川や雄勝など南部では昭和三陸
    津波
    の遡上高が明治のそれより大きい傾向があり,震源域が明治三陸
    津波
    の方が北に偏っていたことがわかる.宮古から南三陸の区間では明治
    津波が昭和の津波
    より1.5倍程度大きい.データ数は少ないが,明治と昭和の比率は乙類のほうが甲類より若干大きい傾向もある.一方,チリ
    津波
    では乙類が甲類より高い遡上高が観測されており,久慈から女川までの区間で顕著な地域性は見られない.明治
    津波
    と比較すると,明治
    津波の遡上高がチリ津波
    のそれに対して,甲類の浦では4から10倍以上と大きい.それに対し乙類の浦では2倍程度の場合が多く,明治
    津波の中心域でもチリ津波の遡上高が明治津波
    を上回る浦があることがわかる.したがって,チリ
    津波で乙類の遡上高が甲類より大きい理由は津波
    高が低いことの影響ではなく,
    津波
    の性質を反映していると考えられる.シミュレーションの結果から甲類,乙類における遡上高の特徴は,
    津波
    の波長が影響することが示された.つまり,長波長の性質の
    津波
    は這い上がるような遡上をせず,乙類のような湾の奥まで到達するのに対し,短波長の
    津波
    は甲類,特にV字湾のような地形を這い上がるような傾向が見られる.東北地方太平洋沖地震の
    津波と明治津波
    の比較: 以上の知見から今回の
    津波
    の遡上高分布を検証してみると,釜石以北(北部)では甲類が乙類より大きい傾向があるのに対し,大船渡から女川間(中部)では乙類と甲類の遡上高に顕著な違いが見られず,仙台平野南部以南(南部)では再び甲類が乙類より大きい傾向がある.また,甲類1における今回の
    津波の遡上高は北部では明治津波
    より高いのに対し,中部では逆に明治
    津波
    より低い値を示している.このことは,今回の
    津波
    が北部と南部で短波長の成分を有し,中部では顕著な短波長成分を有していないことを示す.次に今回の
    津波と明治三陸津波
    の遡上高を比較すると,乙類では全域で4倍程度と大きく,甲類では北部で2-4倍,中部では概ね2倍以下になっている.以上のことから,今回の
    津波は全域にわたり明治三陸津波
    より長波長の成分を有していたと思われる.今回の地震の海底地震断層の推定: 今回の地震で短波長の
    津波
    が発生した理由として,地震波の解析から断層浅部が特に大きくすべったとするモデル(例えばYagi et al., 2012) と海底地形の特徴から断層が浅部で高角になるとするモデル (Nakata et al, 2012) が提案されている.前者では震源域の中心部で短波長の特徴が見られない事を説明できないのに対し,後者では断層面の傾斜変換が北部と南部で起きたとしており,遡上高の特徴を良く説明している.
  • とくに1771年明和津波,1667年地震津波,および1500年頃の津波
    *河名 俊男
    日本地理学会発表要旨集
    2009年 2009f 巻 S102
    発行日: 2009年
    公開日: 2009/12/11
    会議録・要旨集 フリー
    I.はじめに
     1771年(明和8年),4月24日の午前8時頃,琉球列島南部の宮古諸島や八重山諸島に大
    津波
    が襲来した(牧野,1981).本稿ではこの
    津波
    を「1771年明和
    津波
    」と称する(明和
    津波
    と略称).明和
    津波
    による犠牲者は,歴史書の『球陽』によると宮古諸島で2548人(球陽研究会1974),八重山諸島では9393人に達した(古文書の『大波之時各村之形行書』による).牧野(1981)は『大波之時各村之形行書』に記載された各村の遡上高を引用し,明和
    津波
    の最高遡上高を約85.4m(石垣島東南部)とした.また,古文書の『奇妙変異記』によると,石垣島を中心とする八重山諸島では,明和
    津波と推定される津波
    によって7個(5箇所)の岩塊が移動したと記述されている.
     一方,歴史書『球陽』によると,1667年に宮古島で地震が発生し,洲鎌村では約1200坪の畠が約1m陥没して水田になった.渡辺(1985)はこの地震の震央を,宮古島近海の北緯25度,東経125.5度に求めた.
     古文書の『八重山島年来記』によると,同年(1667年),石垣島でも地震が発生した.以上から,1667年の地震は従来考えられていた宮古島近海の地震ではなく,宮古島と石垣島を含む広域の地震と考えられる.
     宮古島とその西方の下地島には,大波が夜中に襲来したという伝承がある(下地,2007).この襲来時刻は明和
    津波
    の襲来時刻とは異なっている.
     以上を踏まえ,本稿では,1)明和
    津波
    の遡上高と岩塊の移動,2)1667年の広域地震時に
    津波
    も襲来したかどうか,3)宮古諸島の大波伝承の是非を検討する.
    II.1771年明和
    津波
    の遡上高と岩塊の移動

     明和
    津波
    の最高遡上高は,宮古島で約10m,伊良部島で6~11m,多良間島で約15m(以上,中田,1990),石垣島で約30m(島袋,2008など)と推定される.八重山諸島における古文書による各村の最高遡上高(牧野,1981)は,当時,戸板を使用した簡易な測量方法に基づく測量誤差が加味されたものと推測されている(島袋,2008).
     『奇妙変異記』に記載された記述(明和
    津波と推定される津波
    による岩塊の移動:5箇所,7個)の中で,4箇所,6個の岩塊は確認された(河名ほか,2000)が,黒島の1個の岩塊は未確認である.
    III.1667年地震
    津波

     従来,1667年の地震に伴う
    津波
    に関する指摘はなかったが,宮古・八重山諸島における
    津波
    石の暦年代(河名,未公表資料)から,1667年の広域地震に際しては,それらの島々への
    津波
    の襲来が推測される.
    IV.約1500年頃の
    津波

     宮古島のマイバー浜における
    津波
    石の暦年代,15世紀末の古文書,および
    津波
    伝承から,宮古諸島における約1500年頃の
    津波
    の襲来が推測される.
    V.防災,減災に向けて
     1998年5月4日の午前8時30分頃,石垣島南方沖を震源とするM=7.6の地震が発生し,同日の8時39分に沖縄気象台は,沖縄全域に
    津波
    警報を発表した.
    津波
    情報入手後の行動に係わるアンケート(複数回答)によると,約12%が「海岸に行った」という(山田,2000).
     以上の現状も踏まえ,防災,減災に向けて,今後とも,防災教育,講演会,普及活動など各種の取り組みが必要とされる.
    参考文献
    島袋永夫(2008):明和
    津波の高さや津波
    石について.明和の大
    津波
    を語る会,7-8.
    下地和宏(2007):あまれ村と伝説の
    津波
    .宮古島市総合博物館紀要,11号,1-12.
    河名俊男・伊達 望・中田 高・正木 譲・島袋永夫・荻野 亮・仲宗根直司・大橋信之(2000):石垣島における1771年明和
    津波
    の遡上高と岩塊の移動.第17回歴史地震研究発表会講演要旨集,
    球陽研究会編(1974):『球陽 読み下し編』.角川書店,793p.
    牧野 清(1981)『改訂増補 八重山の明和大
    津波
    』.城野印刷,462p.
    中田 高(1990):サンゴ礁地域研究グループ編『熱い自然 サンゴ礁の環境誌』,古今書院,
    山田剛司(2000):1999年度沖縄開発庁委託調査.亜熱帯総合研究所,133-231.
    渡辺偉夫(1985):『日本被害
    津波
    総覧』.東京大学出版会,206p.
  • 有川 太郎
    コンクリート工学
    2012年 50 巻 1 号 23-29
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/01/01
    ジャーナル フリー
  • 菅原 大助, 箕浦 幸治
    地質学雑誌
    2013年 119 巻 Supplement 号 S1-S17
    発行日: 2013/08/15
    公開日: 2014/03/21
    ジャーナル フリー
    平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震による
    津波
    で大きな被害を受けた仙台平野では,この25年間に,過去の
    津波
    の地質記録「
    津波
    堆積物」に基づいて古
    津波
    イベントの調査研究が進められ,特に西暦869年の貞観
    津波
    については海岸線から数kmに渡って浸水したことが明らかにされていた.しかし,2010年までの数百年間は
    津波
    で大きな影響を受けた歴史記録は知られておらず,数十年ごとに発生してきた宮城県沖地震への対策は行われていたものの,三陸沿岸のような
    津波常襲地域と比べると津波
    に備える意識は低かったと思われ,巨大
    津波
    を念頭に置いたハード・ソフトの防災・減災対策はほとんど進んでいなかった.
    本巡検では,東北沖
    津波
    により被害を受けた仙台平野沿岸部の状況と,この地域に見出されている古
    津波
    堆積物について紹介する.
    津波
    の威力,被害,侵食・堆積作用の痕跡,および被災地の復旧・復興状況を視察すると共に,地質記録から得られるハザード情報の意義と,その調査研究の方向性について議論する機会としたい.
  • *古明地 海杜, 篠崎 鉄哉, 菅原 大助, 石澤 尭史, 池原 実, 藤野 滋弘
    日本地質学会学術大会講演要旨
    2023年 2023 巻 T6-O-26
    発行日: 2023年
    公開日: 2024/04/10
    会議録・要旨集 フリー

    ・はじめに 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震

    津波
    (以下,東北沖
    津波
    )は,日本海溝沿いの沿岸域に甚大な被害をもたらした.東北沖
    津波
    のような大規模自然災害は低頻度(百〜千年スケール)で発生するため,将来発生する巨大
    津波
    のリスク評価には機器観測記録だけでは不十分である.そこで,地質学的痕跡の“
    津波
    堆積物”から過去数千年以上の長期的な
    津波
    の履歴や規模の推定を行う必要がある. 
    津波
    堆積物の分布や層厚などの情報は,
    津波
    規模を拘束し,
    津波
    波源を推定する上で重要である(例えばSugawara et al., 2014).しかし,浸水限界付近では視認可能な砂質
    津波
    堆積物が存在しにくいため(Abe et al., 2012),古
    津波
    の浸水域を正確に明らかにすることは容易ではない.そこで本研究では,砂質
    津波
    堆積物の分布限界より内陸で海水流入の痕跡を検出するべく地球化学的手法に着目した.東北沖
    津波など現世の津波
    の研究では,浸水域内から高濃度の海水成分や海洋生物起源の有機化合物の検出が報告されている(Chagué-Goff et al. 2017; Shinozaki, 2021).本研究では,これらのマーカーを用いることで正確な浸水域が復元可能か,西暦869年に発生した貞観
    津波
    をケーススタディとして検証を行った.・869年貞観
    津波
     本研究の対象は,西暦869年に日本海溝沿いの地域で発生したとされる貞観
    津波
    である.東北沖
    津波
    発生以前から,石巻平野や仙台平野では貞観
    津波
    による堆積物の存在が知られ(箕浦,1990),
    津波堆積物の分布を説明しうる津波
    波源が求められていた(佐竹ほか,2008).東北沖
    津波
    発生以降,貞観
    津波
    に関する調査や研究が複数報告され(例えば,高田ほか,2016),貞観
    津波
    の新たな知見が得られている.これまでに,地質学的,考古学的調査,数値計算など様々な観点から精力的に研究が進められてきた貞観
    津波
    を対象にすることで,十分な知見に基づき化学分析データを解釈できると考えられる.・研究対象地域と試料,分析 本研究で対象とする福島県南相馬市小高区では,Sawai et al. (2012)によって貞観
    津波によると考えられる砂質津波
    堆積物が確認されている.東北沖
    津波
    の浸水範囲を参考にし,2014年に海岸線に直交する測線上の内陸2〜3 kmの範囲内で計6本の柱状試料を採取した.試料は各分析を行うまで冷凍で保存した.本研究では,これらの試料のCT撮影を行った後,放射性炭素年代測定・テフラ分析による年代決定,蛍光X線分析(XRF)・バイオマーカー分析による古環境復元と
    津波
    流入の痕跡の検出を試みた.・結果 柱状試料の採取地点は,内陸側から海側に向かってODA–3,ODA–4,ODA–5,ODA–6,ODA–7,ODA–8と名づけた.最も海側のODA–8では深度70〜95 cmにかけてまばらにテフラが存在し,その直下に砂の薄層が確認された.砂の薄層下位から得られた較正年代がAD772–891(2σ)であったことから,この砂層は貞観
    津波
    堆積物の可能性が高いと考えられる.最も内陸側のODA–3では深度40–42 cmの間で貞観
    津波
    に相当する年代より若い年代値が得られ,67–69 cmの間で貞観
    津波
    に相当する年代より古い年代値が得られたことから,42〜67 cmの間に貞観
    津波
    の年代に相当する層準があると考えられるが,その層準内で肉眼・CT画像での観察からイベント層を認識することが出来なかった.また,ODA–3とODA–8の間にあるODA–5において,貞観
    津波
    より古い年代値が得られたが,その上位でイベント層を視認することが出来なかった.以上より,砂質
    津波
    堆積物の分布限界より内陸での試料採取に成功していると考えられる.本発表では,貞観
    津波
    に該当する層準のXRFおよびバイオマーカー分析の結果を報告し,砂質堆積物の分布によらず貞観
    津波
    の浸水域を復元することで,地球化学的手法による高精度
    津波
    浸水域推定法の確立を目指す.・引用文献Abe, T. et al., 2012, Sediment. Geol., 282, 142–150.Chagué-Goff, C., et al., 2017, Earth Sci. Rev., 165, 203–244.箕浦幸治, 1990, 歴史地震. 6, 61–76.佐竹健治ほか,2008, 活断層・古地震研究報告, 8, 71–89.Sawai, Y., et al., 2012, Geophys. Res. Lett., 39, L21309.Shinozaki, T., 2021, Geosci. Lett., 8:6.Sugawara, D., et al., 2014, Mar. Geol., 358, 18–37.高田圭太ほか,2016, 活断層・古地震研究報告, 16, 1–52.

  • -千葉県御宿町を対象として-
    諫川 輝之, 村尾 修
    日本建築学会計画系論文集
    2010年 75 巻 648 号 395-402
    発行日: 2010/02/28
    公開日: 2010/06/07
    ジャーナル フリー
    In order to devise an appropriate tsunami management plan, it is essential for local governments to understand the level of awareness that residents have regarding the danger of tsunamis. The authors surveyed the residents in Onjuku Town, Chiba, focusing the questionnaire on the residents' risk perception and on their most likely evacuation options and examined the answers using spatial data. The result shows the following: 1) risk perception is strongly related to spatial factors, 2) timing of evacuation by the residents is not so much related to the residential locations, and 3) some residents intend to choose dangerous routes to evacuate.
  • *小岩 直人, 武田 開, 葛西 未央, 伊藤 晶文, 松本 秀明
    日本地理学会発表要旨集
    2015年 2015s 巻 407
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/04/13
    会議録・要旨集 フリー
    はじめに
    2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震は,地盤の沈降,
    津波
    による海浜地形の侵食という形で大きな地形変化をもたらした.本発表では,宮城県中部東松島市の野蒜海岸を対象とし,撮影日の異なる複数の航空写真や衛星画像による解析,高精度GPSを用いた現地での測量を基に,東北地方太平洋沖地震
    津波
    に伴う地形変化,および,その後の地形変化について考察した結果を報告する.
    調査方法
    調査は,国土地理院で撮影された航空写真(
    津波
    前,
    津波
    直後),GoogleEarthの衛星画像(
    津波
    後~約3年後)を用いて
    津波
    時およびその後の地形変化傾向の検討を行った.
    津波
    時の海浜の侵食量は,
    津波前および津波
    後の国土地理院のDEM(2mメッシュ)を用いて,GISによって作成した標高分布図から算出を試みた.調査地域の地震時の沈降量は0.5mと推定されていることから,2005年の標高値を用いてTINを作成し,標高0.5m以上の地形の体積を
    津波
    襲来直前の海浜地形の堆積量とした.また,
    津波
    後の堆積土砂量は,現地においてマゼラン社製のProMark3,ProMark120を用いてキネマティック測量を実施し,その結果をGISにより標高分布図を作成,これから算出した.
    結果
    調査地域における
    津波
    の浸水高は5-8mとほぼ一定であるが,南部と北部では
    津波
    時の侵食,およびその後の堆積傾向は異なっている.すなわち,南部では,防潮堤の強度が小さいこと,および海浜背後に存在する水域の存在により,
    津波
    が進入しやすくなり,その結果,海浜部は激しく侵食され,海岸線も後退している(図1).一方,北部では,小さな筋状の谷が刻まれるものの,海岸線の大きな後退はみられない.調査地域全体の
    津波
    時の侵食土砂量は約88,000m3,2014年までの
    津波
    後の新たな土砂堆積量は約67,000m3と算出され,
    津波
    時に消失した土砂の約8割程度が回復していると推定される.侵食が激しかった南部では,
    津波
    後,比較的短時間に平滑な海岸となり,また,堆積土砂量は大きくなっている.一方,
    津波
    時の大きな変化が生じなかった北部では,
    津波
    後には海岸が幅50m以上も後退している.これらのことから,南部において激しく侵食された海岸は,
    津波
    後の北部の海岸侵食による土砂により,修復されていると推定される.ただし,海岸が後退している北部においても,
    津波
    後の堆積土砂量は減少していないことから,
    津波
    時に侵食された土砂も海浜の修復には大きく関与しているものと判断できる.







     
  • 安彦 智啓, 畔柳 昭雄, 坪井 塑太郎
    日本建築学会技術報告集
    2015年 21 巻 48 号 859-864
    発行日: 2015/06/20
    公開日: 2015/06/20
    ジャーナル フリー
    The aim of this research is clarify the characteristic of the scale and the regional trend of the apartment house as Tsunami Evacuation Building, designation of which has been rapidly increasing after Great East Japan Earthquake in the local governments, especially the Great NANKAI Trough areas. The type of institutions of the Tsunami Evacuation Building can be classified into 14 functions and 59 uses. There is the most designation of the apartment house in that. But, refuge space of apartment house as Tsunami Evacuation Building is set a limit in the public space. That purpose, it’s very narrow. So, the apartment house is demanded that make the roof available.
  • 新家 杏奈, 佐藤 翔輔, 川島 秀一, 今村 文彦
    土木学会論文集B2(海岸工学)
    2018年 74 巻 2 号 I_499-I_504
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/11/10
    ジャーナル フリー
     本研究では,
    津波伝承による津波
    の人的被害低減効果の定量的な傾向を明らかにするために質問紙調査を行い,
    津波災害発生以前の津波の備えや津波
    リスクの認知,実際にとられた避難行動と
    津波災害発生以前の津波
    伝承の状況との関係について分析した.分析の結果,3つの結果・結論が得られた.1)過去の
    津波について知っている人は津波
    の備えを行い,犠牲者が生じた
    津波災害の伝承はより津波
    の備えを引き出した.2)過去の
    津波について知っている人ほど津波
    のリスク認知が高く,犠牲者が生じた
    津波
    災害の伝承は,発災時の
    津波
    被害や身の危険のリスク認知をより促した.3)
    津波伝承の状況と東日本大震災発生時の津波
    避難行動との間に明確な関係は見られなかった.
  • 澤井 祐紀
    地質学雑誌
    2017年 123 巻 10 号 819-830
    発行日: 2017/10/15
    公開日: 2018/01/25
    ジャーナル フリー

    本論は東北地方太平洋沿岸で行われた古

    津波
    堆積物に関する研究について総括する.東北地方における古
    津波
    痕跡に関する地質調査は,1980年代の日本海側で始まった.その後,
    津波
    堆積物に関する調査は太平洋側で行われ,1611年慶長
    津波
    ,1454年享徳
    津波
    ,869年貞観
    津波
    の痕跡が見つかっている.1611年慶長
    津波
    については,三陸海岸沖に波源を想定する一方で,千島海溝の巨大地震によるものという説もあり,未だ決着がついていない.1454年享徳
    津波
    および869年貞観
    津波
    については,日本海溝中部に波源があると考えられ,その規模はM8クラスである.1454年および869年の
    津波
    より前には,幾つかの古
    津波
    の痕跡が見つかっているが,その波源についてはまだ明らかになっていない.

  • 髙清水 康博
    地質学雑誌
    2013年 119 巻 9 号 599-612
    発行日: 2013/09/15
    公開日: 2014/02/07
    ジャーナル フリー
    北海道における
    津波
    堆積物研究の現状と課題をまとめ,これまでに公表された北海道の
    津波
    堆積物研究に関する文献リストを示した.また,将来の
    津波
    防災を考えた際に重要である17世紀
    津波
    堆積物についてレビューをした.特に道東地域の“500年間隔地震”による
    津波
    ,胆振地域の波源不明17世紀
    津波
    ,および1640年北海道駒ヶ岳山体崩壊
    津波
    について研究経過と堆積物の特徴を述べた.その上で,今後の課題を3つ述べた.すなわち,①
    津波
    履歴の未解明地域における履歴解明,②重要な社会インフラ施設周辺での重点的な調査,および③17世紀
    津波
    (道東の“500年間隔地震”による
    津波と胆振海岸の津波
    )の実態解明である.
  • -南海トラフ巨大地震に伴う被害想定地域を対象として-
    小川 雅人, 坪井 塑太郎, 畔柳 昭雄
    日本建築学会計画系論文集
    2015年 80 巻 707 号 221-230
    発行日: 2015/01/30
    公開日: 2015/03/30
    ジャーナル フリー
    The aim of this research is to clarify the architectural characteristics and the regional trend of the Tsunami Evacuation Building, designation of which has been rapidly increasing after Great East Japan Earthquake in the local governments, especially the Great NANKAI Trough Earthquake areas. The type of institutions of the Tsunami Evacuation building can be classified into 14 functions and 59 uses, and the institution of various uses, such as regional institutions and an institution of private enterprise possession and it is different between uses by the facility scale and the performance of institutions. Moreover, while the specification consisting mainly of an apartment house or a school was conspicuous throughout the Nankai Trough area, the uses of institutions which are specializing different between the regions.
  • 伊藤 政博, 馬場 慎一
    環境情報科学論文集
    2015年 ceis29 巻
    発行日: 2015/11/25
    公開日: 2015/11/25
    会議録・要旨集 フリー
    東北地方太平洋沖地震
    津波
    が浸水した宮城県の海岸林を対象に,
    津波
    による海岸林樹木の被災(立木と倒木),
    津波
    浸水深,樹径,年輪および樹高などを現地調査した。この調査結果に基づいて,海岸林内の
    津波
    浸水深,海岸林の樹径と樹高,立木あるいは倒木,および海岸林の生育の度合いについて相互の関係を検討した。その結果,
    津波
    に対して倒れることなく生育していた海岸林樹木の樹径と樹齢が明らかになった。
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