詳細検索結果
以下の条件での結果を表示する: 検索条件を変更
クエリ検索: "演劇"
14,868件中 1-20の結果を表示しています
  • 紺家 裕子, 椎尾 一郎
    日本科学教育学会年会論文集
    2012年 36 巻 1A3-E2
    発行日: 2012/08/27
    公開日: 2018/05/16
    会議録・要旨集 フリー
    映像,
    演劇
    などの作品における聴覚障害者向けバリアフリー対応として字幕の付与がある.しかし,
    演劇
    等ではほとんど付与されていない.また,
    演劇
    鑑賞においては,皆が集まって観劇するため楽しみ方はほかの観客の反応にも大きく影響される.私たちは,
    演劇
    における字幕付与方法および観客の反応を表示する仕組みを提案して実装,
    演劇
    公演にて利用した.
  • リージョナルシアター興行のブロードウエイ興行への接近
    青野 智子
    文化経済学
    2003年 3 巻 3 号 51-64
    発行日: 2003/03/31
    公開日: 2009/12/08
    ジャーナル フリー
    アメリカ
    演劇
    と言えば従来、ブロードウエイのミユージカルやオフ・オフ・ブロードウエイの実験
    演劇
    等が関心を持たれてきたが、今日のアメリカ
    演劇文化の一翼を担うもう一つの主要な演劇
    カテゴリーとして、リージョナルシアターが存在している。本稿においては、1960年代後半から1980年代までの、リージョナルシアターにおける上演作品の変化を分析することで、当初ブロードウエイから独立した
    演劇
    活動を目指したリージョナルシアターが、ブロードウエイを中心とした、
    演劇
    作品の全国的な生産・流通構造の中に組み込まれてゆく過程を検証する。
  • 小川 史
    日本社会教育学会紀要
    2004年 40 巻 31-39
    発行日: 2004年
    公開日: 2021/02/05
    ジャーナル オープンアクセス

      The theme of this study is the role and character of the amateur theater movement during wartime Japan. The movement aimed at sustaining the Japanese regime by mobilizing the people through theatrical action, which the government offered and controlled. But the movement involved a fundamental contradiction in how it could arouse spontaneity in the people under an oppressive regime. Many people who were committed to the movement thought that amateur theater could be a possible solution to this contradiction basic character of theatrical works (playbooks), which were written in the movement, was to solve conflict in ordinary life through the dignity of the state. But there was always a gap between policy and realty. I would like to study not only from the aspect of the policy of amateur theater, but also from the aspect of the playbooks and presentation of performance.

  • 山本 浩幾
    情報の科学と技術
    2007年 57 巻 12 号 567-574
    発行日: 2007/12/01
    公開日: 2017/05/09
    ジャーナル フリー
    早稲田大学
    演劇
    博物館に所蔵する資料群「九州地区劇団占領期GHQ検閲台本」は,戦後期の地方
    演劇
    文化を知る上で有用な資料である。「ダイザー・コレクション」とも呼ばれるこの資料群は,プランゲ・コレクションと同様,研究資料としてアメリカへ移送されたものである。歴史的背景を確認した上で,関連資料にもとづきコレクション成立の経緯をたどる。再整理作業では目録データと原物資料と突合しつつ,新たな情報の採取を行い,さらに電子撮影を行った。本資料群の資料性を,原物資料の特長や,目録データによる資料構成から考える。配架状況や運用方法についても触れる。
  • ― 千葉県「くるる即興劇団」を事例として ―
    園部 友里恵
    老年社会科学
    2017年 39 巻 1 号 21-30
    発行日: 2017/04/20
    公開日: 2019/11/15
    ジャーナル フリー

     本稿は,日本初の高齢者インプロ劇団「くるる即興劇団」を事例として,同劇団におけるアクション・リサーチおよび劇団員へのインタビュー調査により,インプロの学習形態と,そうした形態によるインプロ実践がもたらす高齢者の変容について報告するものである.

     同劇団の前身の講座「即興劇で学ぶコミュニケーション」および劇団化後の稽古ではワークショップ形式がとられ,そのなかで①全員,②2〜5人の小グループ,③全体を2グループに,④「舞台」と「客席」の4形態が,活動主旨や参加者の様子を踏まえ即興的に選択されていた.それにより,高齢者が,だれかに「見られる」感覚を負担なく体験できるほか,多様な参加者同士の触れ合いとゆるやかな関係の構築が可能となっていた.

     また,インプロを通して,高齢者は,新たな表現を生み出す要素として「失敗」を肯定的にとらえ,パフォーマンスの際に自分をよく見せようとせず,共演者とのかかわりを重視するようになった.

  • 木村 涼
    デジタルアーカイブ学会誌
    2022年 6 巻 s2 号 s99-s102
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/06/13
    ジャーナル オープンアクセス
    J-STAGE Data

    天保12年(1841)閏正月19日から,江戸中村座にて,「魁源平躑躅」(さきがけげんぺいつつじ)が上演された。この芝居には,江戸歌舞伎を代表する役者,五代目市川海老蔵(=七代目市川團十郎)が出演しており,その時の歌舞伎台帳(一般財団法人宮本記念財団所蔵)が,60年後の明治34年(1901)年10月17日には山梨地域にて書き写されていたことが確認された。台帳に記されている内容から,山梨地域の俳優である市川壽三郎が,この台帳を用いて「魁源平躑躅」を上演していたことがうかがえる。本報告では,同じ芝居が,江戸での上演の60年後に山梨地域の俳優によって上演されたことを踏まえて,江戸歌舞伎の芝居台帳が,山梨地域へわたった過程について言及し,当台帳からうかがえるコミュニティ(地域)アーカイブの有効性について検討していく。

  • *菊池 利彦, 藤井 素晴
    日本デザイン学会研究発表大会概要集
    2011年 58 巻 P59
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/06/15
    会議録・要旨集 フリー
    近年、地域に根ざした
    演劇
    活動が日本各地で広がりつつある。このことから
    演劇
    という営みが、今日の地域社会に対して少なからぬ役割を果たすであろうことがうかがわれる。そもそも
    演劇
    とはそこで発せられる言葉とそこでつむがれる文脈を、演者と観衆がともに想像/創造する営みであり、また時間と空間をともにした人びとが、同一の表象を共有したときにはじめて可能となる社会性を帯びた営みである。戦後日本の歩みとは地域コミュニティが空洞化する歴史であった。こうした状況を反省するとき、すぐれて社会性を内包する
    演劇
    という営為が示唆することは少なくないはずである。本研究は、千葉県いすみ市で活動する
    演劇
    集団に注目し観察調査を実施することで、
    演劇
    が今日の地域社会に果たす役割を具体的に把握し、また、その特質を導出することを目的とする。本研究で得られた結論は以下のように要約される。
    演劇
    とは、「コンテクストの共有」を通して、そこに参加する人びとの関係性を強化するものである。そして、
    演劇
    が地域において展開される場合、それは共同体を再構築する可能性を有している。それゆえに地域に根ざした
    演劇
    は、大きな社会的・今日的価値を持ったものといえる。
  • 李 知映
    文化資源学
    2017年 15 巻 21-33
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/07/11
    ジャーナル フリー

    1930年代の朝鮮における

    演劇
    活動は、日本の植民地統治期間であったにもかかわらず、戯曲の創作、
    演劇
    批評、そして公演活動が、それまでのどの時期よりも活発な活動を見せていた。活発な
    演劇
    活動を支えていたのは、如何なる要因であったのか。本論文では、その内最も大きな要因として、朝鮮総督府の手によって京城に設置(1935年12月10日開館)された「府民館(ブミンゴァン)(부민관)」に着目する。そしてとりわけ、主に「府民館」で公演を行なっていた劇団の一つである「劇芸術研究会(グゲスルヨングへ)(극예술연구회)」(以下、「劇研」)の
    演劇
    活動の考察を通じて、「府民館」と当時の朝鮮
    演劇
    界の関係性について明らかにすることを、本論文の目的とする。「劇研」の
    演劇
    活動は、第1期から第3期までに分けられるが、特に、第2期の主な活動は「府民館」にて行なわれた。「劇研」の方針は「翻訳劇中心論」と「小劇場優先論」に立脚していた第1期活動から、第2期活動での「観客本位」、「
    演劇
    専門劇団化」、「リアリズムを基盤とするロマンチシズム」の開拓などに主軸をおくという変化を見せる。その活動方針の変化の中心には、柳致眞(ユチジン)(유치진)という人物が大きく関わっていた。しかしそれだけではなく「劇研」の活動方針の変化を助長した要因、言いかえれば、活動方針の変化の前提になった大きな要因として、「府民館」が存在したのである。当時「府民館」の存在があってこそ、「劇研」の活動を通じて、柳致眞(ユチジン)の「観客本位論」を劇場という場で試すことが可能になった。また、大劇場での公演に適合する劇作技法と公演様式、そして演技方法に関する工夫と、その実践が可能となった。こうした「劇研」の「府民館」での活動を反映して、当時の
    演劇
    界にはさらなる動きが起こった。
    演劇
    や演技について生まれた新たな思想が、「府民館」の動きと競い合うようにして、当時の
    演劇
    界を盛り立てたのである。

  • 朴 恩敬, 勝又 英明, 丹羽 博亨
    日本建築学会計画系論文集
    2005年 70 巻 595 号 9-16
    発行日: 2005/09/30
    公開日: 2017/02/11
    ジャーナル フリー
    There are a lot of studies on 'Theatre' and 'Schools' as well. While, there were few studies on 'The spaces for school drama' in a school. In addition, there were very few studies not only on the high schools running courses and curricula for drama but also for it. Therefore, it is the objects of this study to offer the basic information for the planning, designing and reformation of the facilities for 'Educational spaces for drama' by investigation and research into schools, especially high schools which have the school drama. As the methodology of this research, the 11 high schools running the program of school drama are investigated in detail by interviews. Specially, this dissertation was focusedon the high schools, namely 'A' and 'B', which have the lessons of play as optional courses and verified the tasks of planning for 'the space of play education' based on the actual condition of utilization. The lessons in 'A' high schools have been performing mainly in 'the general classrooms'. When the space for actions was needed, the desks and chairs could not help being removed. For the exercise or performance, the hall in that school was used as the space for the lessons of play. At the case of 'B' high school, they should have to use various facilities and move a lot of equipments for lessons, because there were no facilities for play. As the results there are many problems, especially the lack of spaces for training and performance, and storages of drama equipments.
  • 登張 正實
    日本學士院紀要
    1993年 47 巻 3 号 97-120
    発行日: 1993年
    公開日: 2007/06/22
    ジャーナル フリー
    Die in Prosa gehaltene erste Fassung der“Iphigenie”Goethes entstand im März 1779. Nach Einwänden Herders und Wielands gegen stilistische Mängel dieser Fassung bemühte sich Goethe um eine poetische Umgestaltung. Das Drama findet erst in Italien am Ende des Jahres 1786 seine endgültige Gestalt in Form der Blankverse. Was treibt denn Goethe so lange dazu an, sich mit mehrfach erweitertem Horizont seiner“Iphigenie”zuzuwenden? Meine Aufgabe kann es hier nicht sein, das Kunstwerk hermeneutisch genau zu interpretieren, sondern es soll die innere Notwendigkeit des dichterischen Schaffens untersucht werden.
  • 天保改革以後
    竹内 道敬
    東洋音楽研究
    1989年 1989 巻 53 号 134-146,L11
    発行日: 1988/12/31
    公開日: 2010/02/25
    ジャーナル フリー
    The following materials have been included in this issue in photographic reproduction and typographical reprint. Page numbers refer to the page on which each item begins in the Japanese language section of the journal.
  • 長野 秀樹
    日本文学
    2003年 52 巻 11 号 53-61
    発行日: 2003/11/10
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー
    檀一雄が戦後福岡で旗揚げした劇団「珊瑚座」と同じく、福岡で起こった
    演劇
    運動の資料を利用しながら、戦後、急激に発展した
    演劇
    運動の一断面を紹介したい。資料としては当時GHQ勤務で、かつ「リドウ」という
    演劇
    雑誌も発行していた棚町知彌氏の資料を用いる。こうした戦後の
    演劇
    活動が、実は戦時中の軍隊等における
    演劇
    活動や、戦前の文学活動との連続性によって支えられていたということを、検証したい。
  • ―複線径路・等至性モデリング分析から見る留学生4名の変容過程から―
    柴田 あづさ
    日本語教育
    2018年 170 巻 62-77
    発行日: 2018年
    公開日: 2020/08/26
    ジャーナル フリー

     本稿の目的は,関西地区の大学に在学する外国人日本語学習者4名が,日本人と関西弁による

    演劇
    作品を制作し上演する活動を通して,日本語学習上の問題をいかに克服し学習を進め伸びていったか,その過程と変化の要因を認識することである。インタビューで得た語りを複線径路・等至性モデリングで分析した結果,4名が,時期や具体的な状況は多少異なるものの共通性のある過程を辿り,いくつかの重要な行動をとることで日本語発話や
    演劇
    活動に対する不安を克服し,新たな自己を確立してくことがわかった。それは,1) 怖さや不安を感じる中で劇をすることを「決断した」こと,2) 「恥ずかしがっている方がおかしい」と「認識を変えた」こと,3) 震えや発汗などの症状を感じる中で「舞台に上がった」ことであった。さらに,スポットライトが緊張を和らげ,観客の笑いや拍手による反応によって「客を笑わせる」という学習者自身が立てておいた行動目標の達成を実感したことも変化を促したと考えられた。

  • 木村 涼
    デジタルアーカイブ学会誌
    2018年 2 巻 2 号 64-66
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/05/18
    ジャーナル オープンアクセス
    J-STAGE Data 電子付録

    演劇
    に関連する資料を所蔵している代表的な博物館として早稲田大学坪内博士記念
    演劇
    博物館が知られている。

    江戸時代の歌舞伎についてみれば、錦絵、台本、芝居番付をはじめとする所蔵資料のデジタルアーカイブは充実をみせている。特に、三都(江戸・京都・大坂)で開催された芝居興行関連資料は豊富である。したがって、三都の歌舞伎研究はより取り組み易い状況となっている。

    一方、歌舞伎役者の地方興行研究に目を移せば、各地域にはそれぞれ独自性があり、それを捉えることが重要である。ところが、芝居番付や台本、木戸銭覚などの興行関係資料は多く所蔵されているにも関わらず、デジタルアーカイブという点において進展をみせていない。

    本報告では、

    演劇
    博物館のデジタル・アーカイブコレクションとコミュニティ(地域)アーカイブコレクションの結びつきが歌舞伎役者の地方興行研究へ及ぼす有効性について検討する。

  • 佐藤 慎也, 本杉 省三
    日本建築学会計画系論文集
    2005年 70 巻 592 号 33-40
    発行日: 2005/06/30
    公開日: 2017/02/11
    ジャーナル フリー
    The purpose of this study is to understand the role of rehearsal rooms and stages in creation of a stage drama. For this study, we investigated the entire creation of the play, from the first rehearsal to the public performance. In fact, the actors and staff spent most of their time in the rehearsal room until the play was completed. Therefore, the rehearsal room has to be the same size as the stage and backstage areas to provide the same width and height, as well as all essential facilities. Furthermore, it is also important to plan the rehearsal room comfortable, because sometimes actors and staff may use it to take breaks.
  • 岡室 美奈子
    デジタルアーカイブ学会誌
    2023年 7 巻 1 号 1-5
    発行日: 2023/02/01
    公開日: 2023/03/28
    ジャーナル オープンアクセス

    舞台芸術アーカイブの最大の特徴かつ最大の困難は、完成された作品それ自体を保存することができないという事実である。したがって舞台芸術アーカイブは、個々の上演というドーナツホールを囲む周辺の資料からなるドーナツであると言える。本稿では、デジタル・ドーナツとも言える舞台芸術デジタルアーカイブの現状と課題について概観し、本特集に収録された各論について簡単に紹介する。

  • 永井 聡子, 清水 裕之
    日本建築学会計画系論文集
    1998年 63 巻 513 号 135-142
    発行日: 1998/11/30
    公開日: 2017/02/02
    ジャーナル フリー
    From the latter Meiji era to the beginning of the Showa era, the space between stage and auditorium goes foward two dipromatic directions in Japanese theatre with getting of the high position in the process from a diplomacy to an amusement than before. These directions in the Kabuki theatre begin with Shingeki. Kabuki theatre and Shingeki theatre have different ways each other. That is synbolized by Hanamihci, Lighting of FOH(front of house) and kuppelhorizont.
  • ネットワーク構築要因を中心に
    中野 遼子
    多文化関係学
    2018年 15 巻 51-67
    発行日: 2018年
    公開日: 2020/09/10
    ジャーナル フリー
    本研究は、A 市とK 大学が主催している4 ヶ月間の
    演劇
    共同事業(以下、
    演劇
    共同事業)の参加者(出演者)同士が、
    演劇
    活動を通してどのようにネットワークを構築するのか、その構築要因を明らかにすることを目的としている。そのため、2016・2017 年度の演出家1 名および事業運営担当職員1 名、そして出演者14 名の計16 名にインタビュー調査を実施し、その口述データを3 段階コーディング法により分析した。その結果、山川(2013)を参考にして、8 つの構築要因を見いだすことができた。具体的には、〔ルールの共有〕、〔場所の共有〕、〔時間の共有〕、〔本番前の感情〕、〔演出家による調整〕、〔人生の共有〕、〔メンバー間の調整〕、〔上演後の関係〕である。それらをさらに上位の機能要因で包括し、最初の3 項目を「
    演劇
    共同事業の環境」、残りの5 項目を「
    演劇
    創作プロセス」として整理した。そのうち、「ネットワークのハブ」として人間関係を対等に保つ〔演出家による調整〕や、〔人生の共有〕は個人レベルの親密な関係を構築する上で特に重要であるといえる。また、「無駄」な要素の多い
    演劇
    が持つ「非効率性」が、ネットワーク構築を促進させていることも明らかとなった。
  • 坊農 真弓, 吉川 雄一郎, 石黒 浩, 平田 オリザ
    電子情報通信学会 基礎・境界ソサイエティ Fundamentals Review
    2014年 7 巻 4 号 326-335
    発行日: 2014/04/01
    公開日: 2014/04/01
    ジャーナル フリー
    人間の「社会性」とは何か.この問いに対し,ロボット・アンドロイド
    演劇
    プロジェクトは一つの答えを示してくれる可能性がある.本解説記事では,まず本プロジェクトの経緯と背景を説明する(2.).次に,ロボット・アンドロイド
    演劇
    をエスノグラフィ及び会話分析することの意味を,演出場面に実際の起こったやりとりの事例分析に基づいて明らかにする(3.).続いて,ロボット・アンドロイド
    演劇
    のロボット工学・認知科学における意味を,制作の実態と世界公演に対する評価などから議論する(4.).最後に,ロボット・アンドロイド
    演劇の演劇
    としての意味を,社会におけるこの試みの位置付けを明らかにすることから考察する(5.).
  • 1955~56年『ベルナルダ・アルバの家』公演の分析を通して
    森 直香
    HISPANICA / HISPÁNICA
    2008年 2008 巻 52 号 127-144
    発行日: 2008/12/25
    公開日: 2010/06/11
    ジャーナル フリー
    En este artículo se pretende estudiar la interpretación de La casa de Bernarda Alba, una de las tres obras rurales de Federico García Lorca, en el Japón de los años cincuenta, epoca en que se desarrolla la primera etapa de la recepcion de su obra. Através del análisis de los estrenos de La casa de Bernarda Alba de Budou-no-kai en 1955 y 1956, intentaremos acercarnos a dicha recepción.
    La primera introducción de una obra de Lorca en Japón corresponde a la traducción en 1930 por Kasai Shizuo de la poesia “Canción del jinete (1860) ” del libro Canciones. Aunque la recepción del poeta se vio interrumpida principalmente a causa de la Segunda Guerra Mundial, ya en los años cincuenta, una vez terminada la guerra, el proceso se reanuda y en 1955, por primera vez en la escena Japónesa, asistimos al estreno de La casa de Bernarda Alba. A partir de esta fecha varias compañías de teatro pertenecientes a la corriente de Shingeki o “Teatro Nuevo”, se dedicarán a la representación de obras lorquianas.
    El Realismo y el Naturalismo, cuyos máximos representantes eran Ibsen o Chéjov, dominaron la escena Japonesa de los años cincuenta. Sin embargo, las obras de Lorca despertaran la atención de la gente del Teatro Nuevo, precisamente por diferenciarse de estas corrientes. Yamada Hajime de Budou-no-kai vería en la obra del poeta alguna de las claves para renovar su compañía de teatro.
    En las critícas de estos estrenos se valoró mucho el hecho de que el teatro lorquiano fuese muy diferente al teatro convecinal de la época, así como que se tratase de una obra más bien simbólica. No obstante, también duramente fue criticada la excesiva influencia sobre las técnicas escénicas utilizadas por Budou-no-kai del Realismo y el Naturalismo, señalándose que no eran las más apropiadas para describir fielmente la sustancia de la obra lorquiana. El hecho de identificar este fallo nos muestra cómo los criticos de la época sí que supieron entender correctamente las obras lorquianas.
feedback
Top