Ⅰ.研究の目的と背景
本研究の目的は,人口減少や高齢化の著しい遠隔の山間地域における,世界遺産観光とグリーンツーリズム(農村観光,ルーラルツーリズム)の持続可能性を整理・解明することである。
日本において,ユネスコ世界遺産はブランドとして確固たる存在感を示している。近年ではインバウンドツーリズム(訪日外国人の観光)の興隆もあって,さらにそのブランド力や集客力に注目が集まっている。
一方,グリーンツーリズムは,農山漁村地域において自然,文化,人々との交流を楽しむ滞在型の余暇活動として,1992年に農林水産省が推進を開始した観光形態である。「都市農村交流」を旨としてきたそれには,都市部をはじめとする当該地域外からの来訪者に対する農村地域住民の「もてなし疲れ」や,補助金に依存した体験交流施設の建設・維持や各種取り組み,地域内における世代間交流の視点の不足,国際対応の欠如,農林水産省以外の省庁の推進するツーリズムとの連携の欠如など,多くの課題が指摘されてきた。
Ⅱ.研究対象地域
研究対象地域は,奈良県吉野郡十津川村の神納川区である。ここには,熊野古道(熊野参詣道)のひとつである小辺路が通っている。小辺路は,高野山(和歌山県高野町)から
熊野本宮大社
(和歌山県田辺市)へと至る徒歩道で,大半が自動車の通行ができない山道である。ここを歩く者は通常,高野山を出て奈良県野迫川村まで歩いて宿泊し,そこから伯母子峠を越えて十津川村の神納川区で宿泊し,三浦峠を越えて十津川温泉で宿泊し,果無峠を越えて
熊野本宮大社
に到達する。熊野古道のなかでも難易度の高い険しい道である。この道は,2004年7月,「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産のひとつとしてユネスコの世界文化遺産に登録されている。
神納川区は,十津川村を構成する7区のひとつで,7つの大字からなる。同村の北西部に位置する。同村のなかでも過疎化・高齢化が著しい。同区を校区とする五百瀬小学校は廃校となって車で約1時間の場所に統合され,区内には現在,小中学生がいない状況となっている。
Ⅲ.研究方法
研究方法は3つからなる。第一は,神納川区に存在する宿泊施設における宿帳(宿泊者名簿)から,宿泊者の発地および宿泊日のデータを得ることである。第二は,宿泊施設や地域住民から,同区におけるツーリズムの経緯や宿泊者の行動,経営上の悩みなどを聞き取ることである。第三は,田辺市熊野ツーリズムビューローの動向を知ることである。同ビューローは,2010年5月に外国からの個人旅行者にも対応できる着地型旅行業を開始し,和歌山県田辺市のみならず世界遺産「紀伊半島の霊場と参詣道」の全構成資産や関連地域のインバウンドツーリズムに大きな影響をもたらしている。
Ⅳ.結果と考察
十津川村神納川区では,2004年以降,世界遺産であるがゆえに小辺路を歩く観光者が現れるようになり,特に外国人の来訪者が増えた。しかし,神納川区には宿泊施設がない状況であった。
一方,これとは別に,グリーンツーリズムの推進施策のひとつであった「子ども農山漁村交流プロジェクト」が導入され,2009年から小学校5年生の農山村体験の受け入れが始まり,2010年4月に神納川農山村交流体験協議会(かんのがわ Happy Bridge Project)が設立された。しかし,10戸以上あった民泊受け入れ家庭の高齢化や,推進施策の中止,紀伊半島大水害などの影響で,現在は農家民宿2軒とコテージのみが維持されている。とはいえ,家族構成員が複数おり健康であること,他に収入減があること,観光者のもてなしが好きであることが条件となっている。世界遺産観光者に対応できる宿泊施設の存在や,地域の可視化,観光者に対する住民の理解,地元食材の活用,内外における地域ファンの存在等に,グリーンツーリズム推進の成果が確認できる。
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