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クエリ検索: "行田市郷土博物館"
7件中 1-7の結果を表示しています
  • 研谷 紀夫
    映像学
    2022年 108 巻 78-100
    発行日: 2022/08/25
    公開日: 2022/09/25
    ジャーナル フリー

    明治期に原田庄左衛門によって経営された出版社の博文堂は、東海散士の『佳人之奇遇』などを発刊したことで知られるが、明治20年代には業績が下降して1901(明治34)年に一旦廃業届を提出する。しかし、1908(明治41)年頃より庄左衛門の次男である油谷達が、大阪においてコロタイプなどを用いて高品質な古書画や古美術を出版する会社として再興し、中国の代表的な文化財の複製にも携わり、全国的にも再び知られるようになる。しかし、廃業から再興をまでの時期にあたる1902(明治35)年から1908年までの間においても写真や絵葉書に関する出版に携わっていたことは断片的に知られているものの、その活動の概要や、経営者が油谷達に交代し大阪に拠点を移転した時期などは詳らかではない。それに対して、近年原田家の子孫宅から発見された同社の控簿や発行された写真によって博文堂の1902年から1908年の活動の内容が明らかになりつつある。さらに控簿からは、博文堂が庄左衛門の弟で写真師でもある小川一眞の写真館の近隣に拠点を設け、小川と関連する写真を多数出版していることが判明し、小川が博文堂の再興に大きく関わっていることが明らかになった。本論では博文堂の1902年から1908年までの活動の経緯を、写真師小川一眞との関わりの中で詳らかにすることで、明治後期における写真出版事業の一端を明らかにする。

  • 冨重利平・小川一眞・丸木利陽の三写真師の資料に対する相互比較を中心に
    研谷 紀夫
    アート・ドキュメンテーション研究
    2017年 24 巻 15-30
    発行日: 2017/03/31
    公開日: 2021/06/25
    ジャーナル オープンアクセス
    幕末から戦前期まで活躍した写真師や写真館に関する研究が進展してきたが、営業写真師や写真館に関する研究は現在発展途上であり、どのような資料を調査対象としてどのように整理と情報化を進めていくかについて検討を進めていく必要がある。そのため本研究では、明治から大正にかけて活躍した、冨重利平、小川一眞、丸木利陽に関係する写真資料を比較検討し、営業写真師や写真館に関する基本構造を分析する。その上で、営業写真師や写真館に関する資料は「(1)どのようなところに所蔵されたどのような資料を対象に調査をすべきか」、「(2)資料に関してどのような情報を取得し継承していくべきか」の二点について明らかにする。そのことによって、写真師関係資料を調査していく場合の調査範囲と情報化に関する新たな基本指針を提案する。
  • 研谷 紀夫
    映像学
    2024年 111 巻 116-135
    発行日: 2024/02/25
    公開日: 2024/03/25
    ジャーナル フリー

    天皇や皇族の肖像に関する社会的な意味や役割についての研究が行われるようになって久しいが、これまでの研究対象は天皇・皇后や成人皇族が主であった。一方でその天皇や皇族の子息である親王・王や、息女である内親王・女王などのイメージについては、これからの研究課題であると言えよう。特にそれまでは公の場でも和装姿であった皇后が1886(明治19)年から洋装に代わると、その頃に誕生した内親王が皇后と入れ替わるように和装姿で写真が撮影され、それらの写真が年少者や女学生向けの雑誌に掲載されるようになった。また、皇太子の成婚を契機に“皇室御一家”を想起させる絵が多数描かれるようになると、内親王は写真と同じ袴姿で描かれ一家の娘役を担うこととなる。さらに30年代後半に日露戦争が起き、戦争の様子を伝える画報が発刊されると袴姿で戦死者の名前を書き奉納する姿や、靖国神社で遺族と対話するなど、袴姿で国に奉仕する絵が描かれた。また婚礼に際しても洋装姿の夫と、袴姿の内親王の写真を組み合わせた紙面が多くのメディアで見られたが、皇族妃となった後は一転して洋装姿の写真が流布するようになる。このように明治期の内親王は皇室での立場や国の状況に応じてメディア上で様々な姿を見せた。本論では肖像写真の原板との比較を行いながら、明治期の内親王が各種メディアにおいてどのように表象され、皇后とは違うどのような役割を担ったかを明らかにする。

  • 坂本 菜月, 近藤 慧, 臼井 祥朗
    那須野が原博物館紀要
    2023年 19 巻 1 号 75-88
    発行日: 2023/03/04
    公開日: 2024/03/05
    研究報告書・技術報告書 フリー HTML
  • 太田 富康
    記録と史料
    2020年 30 巻 83-86
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/04/01
    ジャーナル フリー
  • 吉川 昌伸
    植生史研究
    1999年 7 巻 2 号 47-58
    発行日: 1999年
    公開日: 2021/06/16
    ジャーナル オープンアクセス
    武蔵野台地東部の溜池遺跡において,花粉化石群を中心に植物化石群の研究結果をまとめ,Pollen influx を検討し,約6000 年前以降の武蔵野台地東部の植生変遷と人間活動について議論した。過去6000 年間に7 つの植生期が区分された。約6000年前以降には溺れ谷が形成され,コナラ亜属を主とする落葉広葉樹林が成立していた。約4000年前以降にクリ林が拡大し,低地では湿地林が形成された。約3200年前以降ではアカガシ亜属を主とする照葉樹林が形成され,約2600 年以降に生業活動による森林の減少が示唆された。弥生時代ないし古墳時代以降に森林は衰退し,約1000年前頃には疎林に変化した。それ以降に森林植生の回復がみられたが14世紀頃以降には再び疎林になり,マツ林が拡大した。近世の溜池は徐々に水質の悪化と埋積が進行し,溜池端は18 世紀初頭には生活ゴミにより急速に埋積された。
  • 賀来 孝代
    日本考古学
    2002年 9 巻 14 号 37-52
    発行日: 2002/11/01
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    埴輪の鳥の種類には鶏・水鳥・鵜・鷹・鶴か鷺があり,それらを実際の鳥の姿や生態と照らして検討した。
    鳥の埴輪は,種類によって出現時期や配列場所が異なっていることから,すべての種類の鳥が同じ役目を担っていたのではなく,種類ごとに,それぞれ違う役割をもっていたに違いない。鳥の埴輪としてひとくくりにせず,別の種類の埴輪と考えるべきである。
    埴輪の鳥の種類を見分けるために,元となる鳥の特徴を,埴輪にどう表現したかを観察した。鳥類という共通性があるために,種類を越えた同じ表現もあるが,種類ごとに違う表現もあり,埴輪の鳥の種類を見分ける手がかりを得ることができた。
    体の各部分の表現を細かく見ていくと,初めはモデルとなる鳥を実際に見て作るが,早い段階で表現がきまってしまい,大多数が実際の鳥ではなく,鳥の埴輪を見て作っていることがわかる。鳥の種類も限られており,自由に鳥を埴輪に写したり,表現したりはできなかったことを示している。
    鳥の埴輪から鳥の埴輪をつくることによって起きる,表現の混在や簡略化の移り変わりを検討したが,そこには古墳時代の人々の観察眼と,観察の結果を埴輪に反映する独自性を読みとることができた。
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