本節では, 本小論で論じたことを簡単に要約し, その含意を検討する.
2節では, 厚生経済学の規範的理論構造と政策提言手法が公共選択論によって取って代わられることを論じた.3節では, 公共選択論のより包括的な規範的基礎を構築するために必要である「立憲的ルールの基本定理」の方向性を示唆した.4節では, 社会資本整備に対する厚生経済学からの唯一のアプローチといえる費用便益分析の含意を検討した.5節では, 費用便益分析が社会資本整備基準として合意によって採択されない可能性があることを示すとともに, 公共的選択による社会資本整備計画の不安定性を指摘した.
社会資本整備計画の不安定性を, 合意の失敗, 延ては立憲的ルールによる公共選択論の規範的基礎に対する反例ととらえるかどうかは見解の分れるところであろう.これは, 「社会」および「社会の構成員」の定義に依存するのであり, 無知のヴェールの定式化に関連する.つまり, どの時代に生きるかが不明であるという無知のヴェールが存在するか, あるいは社会と同様に構成員も不死であると想定される場合には, 立憲的ルールによって社会資本整備計画を決定する公共的選択ルールを, どの世代にとっても公正であるように設定できるであろう.もっとも, 公共選択論では, その規範的基礎は立憲的ルールを源泉とするのであるから, 世代間の公正についても同様であり, 5節のモデルでは単純多数決が立憲的に合意されている場合には当該モデルの帰結は公正に適うものということになる.したがって, 当該モデルの帰結から不公正性を感じるのは著者の個人的感覚に過ぎないということもできる.こうして, 問題は多数存在するであろう立憲的ルール間の比較というより複雑な様相を呈することになる.なぜなら, 無知のヴェールの形態や社会の構成員の範囲に依存して, 全員一致で採択される立憲的ルールは異なるであろうからである.
より具体的な社会資本整備計画について, 本小論の含意を検討してみよう.費用便益分析が厚生経済学からの唯一のアプローチであることからも分かるように, 社会資本計画に関する経済学からの規範的貢献はほとんどないといえる.ほとんどが行政学あるいは交通工学, 計画工学などからのアプローチである.経済学でいう経済主体は, 自己の行動を限界便益と限界費用 (増分便益と増分費用) によって決定する.つまり, 過去に行われた投資の費用は埋没費用となり, 意思決定には影響しない.結論的に, 公共選択論を含めた経済学はフローに関しては説得力のある政策提言能力を持つが, ストックに関して提言しうることは驚くほど少ない
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5節の二つの例示は社会資本整備計画の不安定性を提示しているが, この不安定性が不公正なものであるのか, 時代に対応した適切な処置であるのかに関する判断を行うことは経済学には不可能である.「昭和の三大バカ査定」といわれる青函トンネルは, 昭和にとってはバカなことであるかもしれないが, 平成以降の世代にとっては適切なことであるかもしれない.50年後に尊敬を集めるのは, 地価高騰を巻き起こしたものの新幹線駅前に立像のある人物なのか, 国鉄の債務解消に尽力した人物なのか.物理的なストックとして残存するものと消え去る貨幣的なフローの間には大きな差異が存在する.しかしながら, この二つを連接する社会科学からのアプローチが必要であることは異論のないところであろう.
最後に, 社会資本に対する公共選択論のもう一つのアプローチの可能性を指摘しておこう.社会資本整備計画は公共的選択によってなされるが, それに関係する主体は多様である.後方連関効果のみを目的とする建築関係者, 後方連関効果とともに前方連関効果を無料で (あるいはより低い費用で) 享受しようとする地元選挙民, 公共投資を票にしようとする政治家, 予算の拡大を目指す官僚, 財投の原資を供給する郵便貯金利用者など.これらの各主体が政治プロセスで相互に関連し合いながら, 社会資本整備計画が立案され実行されていく.したがって, 規範的基礎を別にして, 実際の社会資本整備計画の決定プロセスを実証的に分析する意義は大きいといえよう.社会資本における実証的公共選択論の展開が期待されるのである.
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