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クエリ検索: "近世"
40,845件中 1-20の結果を表示しています
  • ──絵島事件の当て込みと首桶を用いた首実検の趣向をめぐって──
    細川 久美子
    演劇学論集 日本演劇学会紀要
    2021年 73 巻 39-56
    発行日: 2021/12/15
    公開日: 2021/12/24
    ジャーナル フリー

    Chikamatsu Monzaemon's Kaoyo Utakaruta (1714) is considered a topical joruri play incorporating the Ejima Affair. This study considers the play as a dramatization involving Ikushima Shingoro, a popular kabuki actor responsible for the Ejima Affair, and Yamashita Kyoemon, a leading kabuki actor in Kamigata (Kyoto-Osaka area), who distinguished himself in Takiguchi (1676) and then contemplated retirement.

    This play follows the previous play in which the lovers Takiguchi and Yokobue wandered separately, committing their crime of meeting in secret. However, their love scene recalls those played by Nakamura Shichisaburo in Kyo (1697-1699). Takiguchi's father Katsuyori rebukes his son's immorality. Such rebuke scenes have similarities to scenes played by Kyoemon, who co-starred with Shichisaburo in Kyo. Kyoemon's farewell performance in Edo, planned for Shichisaburo's memorial service, could not occur due to the Ejima Affair. Therefore, this scene could be interpreted as Shingoro, Shichisaburo's successor, being rebuked by Kyoemon. However, in the utakaruta scene, the use of Sutokuin's poetry, “I will be with you in the future even if broken,” hints at a plea to pardon Shingoro, who was exiled to Miyake Island.

    In Act Three's climax, Chikamatsu gives the kubijikken scene (the identification of severed heads) a new twist, using buckets with lids, and highlights Katsuyori's inspection of the stand-ins for the heads in the buckets. Therefore, this play must have been dedicated to Kyoemon, who retired hoping for Shingoro's pardon.

  • 近世
    研究部
    日本文学
    1955年 4 巻 1 号 17-19
    発行日: 1955/01/01
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー
  • 進士 慶幹
    水利科学
    1964年 8 巻 2 号 133-141
    発行日: 1964/06/01
    公開日: 2022/04/10
    ジャーナル フリー
  • 近世
    史研究会
    論集きんせい
    2001年 23 巻 64-73
    発行日: 2001年
    公開日: 2021/10/06
    ジャーナル フリー
  • 和歌山市街及び周辺地域を事例に
    花木 宏直
    地理空間
    2010年 3 巻 2 号 96-112
    発行日: 2010年
    公開日: 2018/04/11
    ジャーナル オープンアクセス
     柑橘に関する従来の地理学研究では,生産や流通に関する研究の蓄積がみられるが,需要の実態についての研究が少ない。本研究では,全国有数の柑橘生産額であった和歌山県と,全国有数の人口規模であった和歌山市街を事例に,
    近世
    後期から明治前期の柑橘需要を検討した。
    近世
    中期の主力の柑橘品種は小蜜柑であり,歳暮や正月飾りとして利用された。
    近世
    後期には品種数が大幅に増加し,贈答品や装飾品,子どもの菓子代わりとして需要が拡大した。また,
    近世
    後期には今日の温州に相当する品種も登場したが,無核のため縁起の観点から好まれなかった。明治前期,柑橘の商品流通の機会が増加する中で,温州が日常的な嗜好品として注目され始めた。つまり,供物や贈答品から日常的な嗜好品への柑橘需要の変化が,今日の温州の生食による大量消費の端緒と位置づけられる。和歌山の事例を通じて,
    近世
    後期から明治前期にかけての嗜好品需要の変化の一端を明らかにした。
  • 二宮 公紀, 出水 さとみ, 馬場 俊介
    土木史研究
    1991年 11 巻 109-117
    発行日: 1991/06/05
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    江戸時代後期に造られた鹿児島市の甲突川に架かる5つの石造アーチ橋 (玉江橋, 新上橋, 西田橋, 高麗橋, 武之橋) の歴史とそれらの構造論的な特性を概説する。まず2節では、五大石橋の架設時の時代背景と九州の石造アーチ橋との関連について触れる。3節では、五大石橋各々の特徴や諸元について述べる。4節では、石造アーチ橋の建造の技術力を調べるために行った強度計算について述べる。そして五大石橋と世界の歴史的名橋との技術的な関連について考察を加える。
  • *末久 真理子
    日本デザイン学会研究発表大会概要集
    2007年 54 巻 A10
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/06/09
    会議録・要旨集 フリー
    本研究では当時の風俗や人物など時世相を表現したと考えられている
    近世
    初期風俗画を挙げ、特に慶長期から寛永期(1596~1644)頃を中心に小袖意匠の解明を行いたい。
    近世
    初期風俗画を用いることは現存資料の少ない小袖遺品を補うために重要な役割を果たすと捉えられる。同時に、絵画に描かれた小袖意匠の実写性を論じると共に、
    近世
    初期風俗画の役割についても言及を行っていく。その結果、
    近世
    初期における小袖意匠の類型を導き出すことができ、
    近世
    初期の小袖意匠形式を時系列に捉えることができた。小袖意匠における検討という視点のもとでは、
    近世
    初期風俗画は当時の人々の在りようを映し出した伝達の媒介となる手段、いわゆる媒体としての一要素を持ち合わせていたということを理解することができた。
  • 松田 邦夫
    日本東洋医学雑誌
    2000年 51 巻 3 号 347-357
    発行日: 2000/11/20
    公開日: 2010/03/12
    ジャーナル フリー
  • 玉野 富雄, 金岡 正信, 西形 達明, 西田 一彦
    地盤工学ジャーナル
    2014年 9 巻 4 号 619-632
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/12/31
    ジャーナル フリー
    本研究では,
    近世
    城郭石垣や石橋に代表される石造構造物の力学安定性を評価するための工学指標として,外力一定条件下での単位石温度変化に対するひずみ変化の関係である「温度−ひずみ係数」について示した。計測事例として,2か所の
    近世
    城郭石垣および1か所のアーチ型式石橋を取り上げた。2か所の
    近世
    城郭石垣においては,石垣の変形状態を数値化した「石垣はらみ出し指数」と「温度−ひずみ係数」の関連性について考察した。あわせて,これらの計測事例が,今後の
    近世
    城郭石垣の力学安定を評価する際の参考とできることを示した。
  • 東海地方太平洋沿岸を対象として
    鈴木 瞭真, 岡崎 篤行
    都市計画報告集
    2023年 22 巻 1 号 72-75
    発行日: 2023/06/09
    公開日: 2023/06/09
    研究報告書・技術報告書 フリー

    日本では

    近世
    都市の歴史や文化を知るために
    近世
    都市の研究が行われているが、
    近世港町の研究の数は近世
    城下町と比べると少ない。東海地方では中世から港での交易の記録があるため、東海地方には特徴ある都市形態を持つ
    近世
    港町が成立していた考えられるが、その実態は明らかでない。本研究の目的は、東海地方太平洋沿岸に位置する
    近世
    港町の成立経緯と都市形態を明らかにすることである。分析の結果、町構造については港側は合理的に計画されている一方、陸側は無秩序な傾向がみられた。

  • 和田東郭の医学
    松田 邦夫
    日本東洋医学雑誌
    1999年 50 巻 1 号 1-10
    発行日: 1999/07/20
    公開日: 2010/03/12
    ジャーナル フリー
  • 松田 邦夫
    日本東洋医学雑誌
    2011年 62 巻 2 号 103-112
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/07/08
    ジャーナル フリー
    漢方医学の最盛期であった江戸時代を中心とした名医といわれた12人を選び,彼らがその弟子に,診察治療の心構えをどのように教えていたかを検討し,現代の漢方医学を学ぶ者が優れた漢方医になるための参考点を探った。その結果,名医とは,病人を治せる知識や技術を持つことは当然であり,さらに人の心をわかる誠実な医師でなければならないと結論づけた。漢方を学ぶことは,観察力を鋭くする。現代医学に加えて漢方および医のこころを学ぶならば名医に近づけると考える。
  • 東北・関東地方太平洋沿岸を対象として
    伊比 大河, 岡崎 篤行
    都市計画報告集
    2023年 21 巻 4 号 460-463
    発行日: 2023/03/10
    公開日: 2023/03/10
    研究報告書・技術報告書 フリー

    日本の

    近世
    都市研究は、その歴史と文化を把握するために行われている。 しかし、
    近世
    の港町に関する研究は、城下町に比べて少ない。また、 日本海沿岸に位置する
    近世
    のいくつかの港町が、城下町の出港地として建設されたことは一般には知られていない。 そのため、本研究の目的は太平洋沿岸地域に位置する
    近世
    港町の形成過程と都市形態を明らかにすることである。

  • まとめとしての史観
    澤田 健吉
    日本土木史研究発表会論文集
    1989年 9 巻 95-102
    発行日: 1989/06/20
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    吉野川の歴史という課題を掲げて何回か発表を続けてきた。その方法は、その都度多くの資料を一定の考え方のふるいにかけて選り分け、それぞれについて議論をしたものである。この考え方が各回の副題になっているのはいうまでもない。こうすることにより川のいろいろな面が、多次元的に見えてくると考えたからである。このような手段による報告も、8回を数え一応の量にもなったので、これを纒めてみた。
    ただここで纒めるというのは、単に吉野川の周辺で起きた事件を編年的に並べることを意図したわけではない。このような事件の裏で、例えば住民の意識の変化が起きたか、川を見る目に変化が起きたか、これを問題することでなければならない。このために本研究会で発表した論文だけでなく、徳島科学史雑誌に投稿した経験などを活用してみた。
    さらに、これらを一つの体系の中に位置付けるため、誤解を覚悟であえてゲーテの自然学と呼ばれ、自然を対象化し制御しようとするものでない、新しい人間と自然の関係を求めるといわれる考えによってみた。
  • 二宮 公紀, 馬場 俊介, 福田 光修
    日本土木史研究発表会論文集
    1989年 9 巻 209-216
    発行日: 1989/06/20
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    世界の著名な石造アーチ橋の歴史を、形状と強度という技術的な観点から概説する。1章では、石造アーチに対する土木史としての取組みの重要さについて、美術的観点から触れる。2章では、アーチの平坦率を用いてアーチ形状の変遷について分類を行なう。3章では、アーチ橋の崩壊に対する安全性を有限要素法を用いて解析し、解析結果を示す。4章では、結論として、平坦率と安全率を組合せた石造アーチ橋の分類へのアプローチについて述べる。
  • 吉野川の治水に導入された労働量
    澤田 健吉
    日本土木史研究発表会論文集
    1988年 8 巻 211-217
    発行日: 1988/06/20
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    吉野川の歴史というテーマでいろいろな視点から考察を重ねてきたが, 今回は労働量の面から吉野川を見ることにした。川を治めるのに厳しい労働があったのは, 抽象的な表現ではいろいろ言われているが, 定量的に表現されたものを見るのは容易ではない。
    考察の基礎になるデータは明治の始めに実施された一種の国勢調査の結果と言える郡村誌で, これから堤防の断而形状が計算出来, これとその地点の自然条件の関係, また堤防築造土量の計算結果と社会的自然的条件の関係などを検討した。
    次の資料は第一の支川鮎喰川の凌渫の記録で, これから普請に動員される労働力の配分における争点と慣例を知ることが出来る。第十堰は吉野川第一の河川施設だが, この場合は幕末期に藩から出た維持費の補助, 明治になってからの地元負担の高低の関係が検討出来るにとどまっている。その他近接する勝浦川の渫普請の人夫割り付け帳などがあり, 割り付けの慣例がわかる。
    別の考察としては, やや強引だが今日のデータから推定した米作と土工の歩掛を尺度として, 農耕作業と川普請の負担の大小の比較を試み, 後者の影響の大きさをみた。
  • 石崎 正和
    土木史研究
    1992年 12 巻 403-408
    発行日: 1992/06/05
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    幕末の混乱期、異国からの開国要求に対応して海岸防備が進められる中で、急遽築造された品川台場は、鎖国政策の転換に伴って築造が中止され、幸いにしてその役割を果たすことなく放棄された。今日、第3、6台場のみが残されているが、わが国の伝統的な土木技術と西欧軍事技術の折衷によって築造された貴重な土木遺産である。この品川台場に関する文献資料は数多く、これまでにも歴史的な側面からの研究成果は郷土史などとしてとりまとめられているが、
    近世
    土木技術史といった側面からの研究は少ない。本稿では、品川台場に関する文献資料を基礎として、わが国最初の海上台場である品川台場築造の目的と背景から施工に至る経緯を概観し、品川台場の土木史的な特徴を明らかにすることを試みた。
  • 馬場 俊介, 岩本 雅伸
    土木史研究
    1992年 12 巻 25-36
    発行日: 1992/06/05
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    石造アーテ橋の構築技術の中から、地域性や時代性にあふれた固有技術として、(1)コーベルアーチ、(2)鉄楔付きアーチリブ、(3)せん断壁、(4)籠手型アーチ、(5)オープンスパンドレルの5点をとり上げ、これらの技術の必然性について有限要素解析に基づく構造論的な評価を行なう。討議の対象とした橋は、(1)~(5)の技術が構造上の要件として典型的な形で活かされたことで有名な石造アーチ橋で、それぞれ、(1)プラプトス橋、(2)安済橋、(3)放生橋、(4)サンタ・トリニタ橋、(5)ポンティプリッド橋である。これらの結果を用いれば、経験の集積としての技術の妥当性を今日的観点から評価することが可能となる。
  • 二宮 公紀
    土木史研究
    1992年 12 巻 191-196
    発行日: 1992/06/05
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    江戸末期に薩摩藩の中心部に造られた甲突川五大石橋は、土木史跡として規模も優雅さも歴史的な価値の高さを誇っている。しかも現在においても、これらの石橋は鹿児島市民の生活道路の重要な一角を担っている。このため五大石橋には生活の利便性を優先させるために破壊または撤去するか、歴史的遺産として保存するかの問題が常に対立している。この問題は、近年特に鹿児島県民の注目を浴びるようになっている。
    ここでは、保存, 撤去問題の歴史的な経緯を調査し、これらに対する土木関係者の立場と、今後の保存に対する考察を加える。
  • 馬場 俊介, 二宮 公紀, 小川 元秀
    土木史研究
    1990年 10 巻 41-52
    発行日: 1990/06/25
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    世界の著名な石造アーチ橋の歴史を、形態と強度という技術的な観点から概説する。1節では、石造アーチに対する土木史としての取組みの重要さと本論文の特徴について触れる。2節では、アーチ橋の概略史を述べる。3節では、アーチ橋の形態的な分類を56橋の歴史的な橋を用いて行う。4・5節が本論文の主要部で、アーチ橋の強度的な分類を、多数のシュミレート・アーチ橋と16橋の歴史的名橋を用いて行う。そして、形態と強度を組合せた石造アーチ橋の分類へのアプローチについて述べる。
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