抄録
本論文は,1924年から教員講習会講師や児童展覧会の審査員などとして長野県の美術教育に指導的な立場から関わった彫刻家,石井鶴三について信濃教育会機関誌『信濃教育』掲載記事における言及を検討し,長野県の美術教育及び教育界全体において,どのような意味を持って受容されたかということの一端を明らかにするものである。本稿では,1)自由画教育運動以降の美術教育の展開の中で,石井による彫塑や絵画の講習会は,教師たちが本格的な美術にふれ,自己研鑽をする重要な機会として認められていたこと。2)石井の人格や所作が,美術教育に限らない,理想的な教育者像として語られていること。3)長野県ゆかりの文化人の顕彰事業に関わる中で,それらの人物に比肩する県内教育界にとって重要な人物として認識されていったことの3点が確認された。