抄録
本論文は,島木赤彦の筆名で歌人としても活躍した久保田俊彦が『信濃教育』誌上において展開した写生教育論について検討するものである。その際,久保田の写生論,鍛錬道および芸術教育についての議論を検討しながら,山本鼎による自由画教育論との比較を行う。その結果,以下の結論を得た。
久保田は,1903年という比較的早い時期にすでに写生画による教育論を提示している。これは往時の全国的な図画教育改良運動の時流に乗ったものであったが,同時に久保田自身の写生論を含む,歌人としてのあり方と関わるものであった。その久保田による写生教育論は,山本による自由画教育論とは,芸術教育論や臨画の問題を指摘する点において共通する部分を持ちながら,その方法論等については異なる点があったことが確認された。