抄録
本報告は明治農法と通称される農業技術、なかでも近代的短床犂を用いた田地における牛馬耕が、明治大正期の関東地方でどのように普及したかを検討したものである。明治後期の関東地方では、府県別にみると牛馬耕の普及率に大きな地域差が認められる。とくに群馬、栃木、埼玉の普及率が高率であるのに対して、茨城は非常に低率である。これらの地域差形成においては、近世以降における牛馬耕の伝統の有無や湿田比率などの諸要因が重要であるが、新技術導入にあたっての勧農政策の違いも影響していると考えられる。また、茨城県のなかでも牛馬耕比率には差異がみられるが、それには明治中後期における篤農層や農会の活動が影響していると考えられる。