日本地理学会発表要旨集
2003年度日本地理学会秋季学術大会
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弓ヶ浜の海岸侵食と伯耆大山から多量に供給される土砂礫の行方
*小玉 芳敬小西 立碁菊池 顕宏景山 龍也三村 清谷口 聡頼正 浩
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p. 60

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抄録
 伯耆大山の主峰(標高1,729m)は,巨大な溶岩円頂丘でデイサイト(石英安山岩)から構成されている.主峰の南側斜面と北側斜面は大規模な崩壊地となり,ここから供給された土砂は渓流を流れ下る.標高1,000m付近を通る環状道路では,毎年豪雨時に渓流から土砂が流出して道を塞ぐ.また山麓部に広がる火砕流台地の縁には,多くの崩壊が発生し,渓流に土砂を供給している.一方,日野川の河口付近から境港市までのびる弓ヶ浜半島の海岸では,現在も東側で海岸侵食が進行し,逆に西側では海岸線の前進が顕著である.砂浜の侵食は,堆積物の不足を意味する.伯耆大山中腹などで観察される多量の土砂供給との関連性はどのように理解されるのであろうか?「伯耆大山に展開している砂防施設により,日野川への土砂の供給量が減少し,このことが弓ヶ浜の海岸侵食に大きな影響を及ぼしている」といった声がしばしば聞かれる. 本発表では,弓ヶ浜半島外浜の構成材料が,大山起源の堆積物ではないこと,大山から供給される多量の砂礫は,大部分が運搬過程で細粒化し,濁り成分(シルト以細)となり,そのため日野川の掃流物質や弓ヶ浜海岸の砂浜へ与える影響は極めて小さいと考えられること,の2点について述べる. 鳥取県立博物館が所有する1968年以降5年おきに撮影された空中写真を比較検討することで,弓ヶ浜海岸の汀線変化を明らかにした.年次を追うに従って東側で侵食が進行し,西側では1978年に竹ノ内工業団地の埋め立てが開始されてから,この埋め立て地の東隣で着実に堆積域が拡大している. 弓ヶ浜の海岸侵食は,海岸線の平面形態が美保湾の入射波浪条件に釣り合うまで進行すると考えられる.外浜の平面形態は東側で奥行きが広く西側へと急減し,いわば「くさび形」を呈する.一方,内浜や中浜ではそれぞれ当時の海岸線はほぼ平行し,奥行きの東西変化も少ない.内浜や中浜の海岸線が美保湾の入射波に対して釣り合いがとれた状態と言えよう.すると外浜の海岸線も,内浜や中浜の海岸線と平行になれば,安定すると思われる.つまり外浜の海岸線は現在,動的平衡状態を目指して東側から西側へと砂の移動が生じている過程にあると認識すべきである. 弓ヶ浜とその東隣の淀江では,海岸堆積物が一見して異なる.つまり,弓ヶ浜海岸は石英粒や長石粒を主体として白色の粗砂や中砂から構成されているのに対して,淀江海岸はデイサイトの岩片を半分以上含んだ灰色の細砂からなる.これらの違いを海岸堆積物の粒度分析から明らかにした.また平野表層の堆積物も含めて,磁性岩片含有率の分布を調べ,含有率が高い淀江平野の特徴を明らかにした.磁性岩片のキュリー温度は,弓ヶ浜と日野川上流部では570℃であるのに対して,淀江海岸とここに流入する佐陀川の上流部では500℃を示した.つまり,弓ヶ浜の構成材料は日野川が中国山地から運搬してきた花崗岩質の堆積物からなり,淀江の構成材料は佐陀川が運搬してきた大山起源の堆積物からなることを示している. 伯耆大山南麓の三ノ沢における調査から,渓床にあるデイサイトの礫同士は,豪雨時の掃流過程で互いに摩滅しあいシルトを生産し,シルトは濁り水とともに流亡する様子が想像された.渓床に立つ樹木の年輪解析からは,樹皮を傷つけるような土砂移動頻度は渓流の上流側ほど高く,下流に急減することが明らかになった.逆に渓床堆積物に含まれる細粒岩屑の量は,下流方向に増加している.伯耆大山の「渓流_-_河川」沿いの河谷地形は,いずれもその幅が上流側で広く,下流方向に減少している.このことは掃流砂礫量が下流に減少することの表われと捉えられる.つまり,デイサイトの掃流礫は,運搬過程で破砕摩耗されてシルトとなり,浮流物質へと変化するためである.シルト以細となった物質は,出水時に日野川の濁り水として一気に美保湾の海底にまで運ばれていくのであろう. 流域単位での土砂流出環境を読むには,上流部で供給された土砂礫の特性(岩質・風化度合い・粒度組成など)や,さらにそれらが運搬過程で被る細粒化特性の把握が大切である.これらの特性に応じて,下流の地形に与える影響が異なるためである.伯耆大山中腹にみられる激しい土砂移動と,その麓の弓ヶ浜で進行する海岸侵食といったパラドックスの理解には,これらの視点が不可欠であろう.
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© 2003 公益社団法人 日本地理学会
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